MechaAG
- 今日の茂木健一郎(2025-07-08)(2)
他人には、なにかご事情があるのかもと、思えるような人になろう - YouTube
「決めつけ」の話。茂木健一郎はほんとやたら「決めつけ」が嫌いなんだよね。なんでそんなに嫌いなのか、ほんと理解に苦しむ。思うに、人生いろいろ嫌なことがあるじゃないですか。誰でも。俺もありますよ。ただ茂木健一郎の場合「嫌なこと」を全部「決めつけ」というカテゴリに全部押し込んでるじゃないですかね。
子供の頃、線背に反発したのも、学校で友人ができなかったのも、普通の会社に就職できなかったのも、ケンブリッジ大学から帰ってきたら、日本の教授に白い目で見られたのも、その後もいろいろ(笑。
いや、別にそういう個々の問題がどうとかじゃないですよ。長く生きてれば誰でも嫌な思い出はありますよ。俺にもたくさんあります。でも茂木健一郎はそれを「すれば○○さんが俺を○○だと決めつけたからだ」と、単純化してるじゃないの?
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茂木健一郎の思考を見るとそういう癖がある。物事の特定の側面だけ見て、結びつけてしまう。「あれ?AとBって関係あるんじゃないか?」と考えるのは、悪いことじゃない。文明はそうやって進歩してきたんだからね。
しかしそれはもろ刃の剣で、勘違いしやすいわけですよ。無関係なものを結び付けてしまう。陰謀論とか祟りとかはこの人間お思考の癖が原因。「関係ありそうなものを結び付けてみる」という思考法は強力な道具であると同時に、間違いの原因にもなる。そこで使いこなし方が重要になるんだけど、茂木健一郎はそれを学ばなかった。
科学とか数学で「ルール」が重視されるのは、この強力かつ危険な「道具」をいかにして使いこなすか?人類が数千年かけて編み出した方法なのに、茂木健一郎はそれを軽視してしまった。
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決めつけの話にもどるけど、決めつけって人間の思考の基本なので、あらゆる場面に出てくるわけですよ。決めつけって人間の判断力、すなわち人間の思考力そのものと言ってもいい。決めつけないというのは思考しないというのと同義です。
決めつけも重要な思考の道具。この強力かつ危険な道具の使いこなし方を身につけるのが、学校や社会に出てからの勉強なんだけど、これも茂木健一郎は勉強しなかった。
だから「これも決めつけだ」「あれも決めつけた」「とにかく決めつけると自分も他人も不幸になる」と。繰り返しになるけど決めつけというのは人間の判断力そのものなんだから、そりゃ何か判断をすれば、その結果として良いことも悪いことも起きますよ。
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んで茂木健一郎は自分は何も「判断しない」ことを60年間選んできたわけでしょ。まあ判断しなければ間違うことも人を不幸にすることもないからね。その代わり正しいことも人を幸福にすることもできない。要は茂木健一郎という人間がこの世に存在しないのと同じ。
まさに茂木健一郎の人生ってそんな感じじゃん。現実世界に「参加」していない。現実世界をテレビのように眺めて、感想を呟いているだけ。現実世界に何も働き抱えを行っていない。間違うと大変だからね。
自分で言えてたよね。何かのスポーツの試合で世間が盛り上がってる時、僕はどっちのチームも応援しない。フラットだ。それを眺めてるだけだ、と。
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まあスポーツの試合は俺も関心ないけど、茂木健一郎ってあらゆることに関心がないじゃん。俺はスポーツに関心がない分、ソフトウェア開発には人並み以上に関わって生きてきた。だからいろいろ成功もしたいし失敗もした。人生の楽しさってそういうものじゃないの。
だから茂木健一郎は「決めつけ(人間の思考)」が諸悪の根源だというとんでもない誤解を改め、どういう決めつけが成功や幸福をもたらし、どういう決めつけが失敗や不幸をもたらすかを考えるべきなんですよ。まあちょっと遅すぎるけど。
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動画の話に戻ると、「態度が悪いとか、真面目にやってない」ように見える人がいるとする。ふむ。「それに対して怒る人がいる」と。「もっとちゃんとやれよ」と。「締め切り守らない」とか、「言われたようにやってない」とか。そりゃそうだろうね。当たり前だと思うけどね。
しかし茂木健一郎は「そういう時に、怒るんじゃなくて、何かその人にも事情があるじゃないか」と思うことが大事だ、と。う~ん、だからさ、茂木健一郎は社会経験が乏しすぎです。説明してあがるから、ちゃんと聞いてね(苦笑。
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だからさ、茂木健一郎は社会経験がなさ過ぎて、こういう時に例に出すサンプルが少なすぎるわけですよ。たとえば自分の部下が「言われた通り仕事をしなかった」「締め切りを守らなかった」「なんかサボってるよう見えた」とする。
その場合上司としてどうするか?まあいろいろな上司がいるし、状況によって変わるけど、普段真面目に仕事してる部下が、その時だけ明らかに普段と違う仕事ぶりだったら、「どうしたんだ?なにか事情があるのか?」と聞きますよ。
理由を教えてくれれば、問題解決の力になることもできるし、詳しく説明できない事情だとしても、しばらく様子を見る。「なんか他人には言えない事情なのかもしれない」と。
しょうがないからその間、その人の仕事の負担を減らし、その分他の部下にやってもらうしかない。他の部下の負担が増えるけど、それは持ちつ持たれつですよ。みんなそうやって助け合ってしごとをしてるわけで。
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しかし、その人がいつもそんな感じだったり、そういう状態が半年とか1年続くなら、これはもう庇いきれないわけで、しょうがない。期待される仕事ができないなら、何かしら対処するしかない。
別な部署に移すとか、辞めた方がいいじゃないとか。昇給やボーナスも残念な結果になるだろうね。でもそれはしょうがないじゃん。ずっと大目に見てたらその間真面目に働いてる人が不公平じゃん。
またそういう「様子見」の期間は、その仕事や職場、あるいはその人のそれまでの信頼関係によって、さまざまですよ。例えば新入社員なら、まだ社会人として慣れてないからと、大目に見る期間が長くなる。数年に及ぶこともある。
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しかしいい年した中年のオッサンの中途採用で、まだ何の実績もあげてない段階じゃ、信頼関係はゼロなわけじゃん。それなのにいきなりそういうことを連発されたら、「この人を採用したのは失敗だった」「辞めてほしい」「少なくとも自分の部下でいてほしくない」となるわけですよ。どっか別な部署に行ってくれないかな、と。
居てほしくない、追い出したい、のだから、割り振る仕事や、指導なども、それなりの喪になるだろうね。この人は指導すれば野蒜という人を優先です。以前も言ったけど、これが学校と会社が違う点。学校はそんな生徒も成長させようとするじゃん。
会社もある程度忍耐強く社員を育てようとはするけど、忍耐力は無限ではない。これは感情的な問題ではなく、これ以上この人が会社にいると、会社にとって損だということですよ。
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会社は学校と違う、というのが茂木健一郎は60歳にもなってわかってない。会社は利益を上げ、その中から社員に給料を払ってるわけで、利益を上げるのに貢献しない社員がいると、困るわけですよ。やめて貰いたい。茂木健一郎が大好きなアメリカは、さばさばとリストラするじゃん。会社にとって不利益な社員は解雇です。
茂木健一郎は仕事というのは、相手の要望を満たすことで報酬を貰う作業だということがわかってないんじゃ。いくら事情があっても、相手の要望が満たせない人には報酬(給料)を払えないわけですよ。
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しかしいきなり解雇じゃかわいそうだから、とりあえず「怒る」んですよ。怒るというのは警告です。このままだと解雇するよ、という。だから怒られてるうちに改善しないと駄目です。
サラリーマンじゃなくて、茂木健一郎のような個人事業主(になるぼかな)は、もっと厳しい。サラリーマンの場合、警告の期間がやたら長いわけですよ。数年とか数十年とか。だからなかなか解雇にならない。
でも個人事業主なら会社とか会社の付き合いだから、ちょっと怒って、「あ、怒っても駄目な人なんだな」となって、じゃあ取引停止、となる。
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学校では「怒られる」のが最大の「嫌なこと」かもしれないけど、社会人は「怒られる」はまだ前座ですwww。本当に怖いのは、解雇や取引停止です。
でも茂木健一郎はそれがわかってなくて、60歳にもなって、学生気分のままだから、相手が感情的に怒ってると思ってるじゃじゃないですか。もし怒らなかったらいきなり解雇・取引停止ですよ?警告ないsに?そっちの方がいいですか?
そんなこともわからないから高校生なんですよ。
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茂木健一郎曰く、たとえばコンビニ店員の接客態度が悪いと感じたとする。しかしその店員はその時たまたま過酷な労働で疲れているのかもしれないと考えるべきだ、と。
客と店員の話ですか。上では俺は上司と部下の話をした。上司は部下の指導も仕事のうちだから、上述のようにある程度は部下の事情に配慮する。
一方店員と客の場合、赤の他人だからね。客が求めるサービスを、店員が提供しなかったなら、それは文句を言われても仕方ないですよ。その店員が過酷な労働条件で疲れていたとしても、それはその店全体の事情葉わけじゃん。
客が期待するサービスの品質を提供できないなら、その店の経営者が対策を考える必要がある。店員を増やすとか、その場合コストが増えるから商品を値上げするとかね。客は良いサービスのために、そのコストが商品価格に上乗せされても、それは我慢すべきだと思うよ。
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茂木健一郎はこう考えるだろうね。店の経営の問題なら、なおさら目の前の店員を怒るのは理不尽だ、と。でもそう考えるのが、茂木健一郎が社会の都がわかってない高校生である理由なんですよ。
よく言うでしょ、社員はその会社の看板を背負ってるのだ、と。客から見れば、目の前の店員が、その店なわけですよ。経営者とかもふくめて、目の前の社員が代表してるわけ。
そんなに理不尽じゃないか、経営者の責任に起因する客の怒りを何て店員が我が身に受けなければならないのか?と茂木健一郎は思うだろうけど、社会というのはそういうものなわけですよ。客の理不尽な怒りを自分の身に受けるところまでが仕事の範囲、給料に含まれてるあわけ。
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別な例を出そうか。医者は万能じゃない。最善を尽くしても患者が死んでしまうことは当然ある。でも残された家族は、その悲しみをどこにもっていっていいかわからないわけですよ。誰かにぶつけないと堪えられない。
その場合「あの医者のせいだ」「もっと○○してくれたら死ななかったのに」と。それがどんな理不尽な怒りでも、医者は積極的に反論しない。この人は大切な人を失って悲しみを自分が処理できないのだ。その悲しみや怒りを我が身(医者の身)に受けることも、医者の仕事の一部なのだ、と。
まあさすがに裁判で損害賠償とかになると、そうも言ってられず自分(医者)の正当性を主張するが、そうだなければ、特に弁明しない。そんなことをしても誰も得をしないからね。
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社会とは茂木健一郎が考えてるような単純なものではないわけですよ。例えば俺の仕事はエンジニアだけど、客先に納品したシステムが、何かトラブルを起こして動かなくなったとする。工場とかのね。
工場が商品を製造できないというのは、大変な事態なわけですよ。金銭的な損害もさることながら、期日通り商品を納品できないなら信用を失ってしまう。
だから俺が直しに行く時点で、客は怒ってるわけですよwww。別に俺が作ったシステムでなくても、俺がその会社の代表として、そのシステムを直しに来た以上は、客からすれば「おまえが悪い!なんてことしでかしたんだ!」と。まあ堪えるしかない。
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そもそもすべて機械には寿命があって、機械の故障の場合も多い。ただどこが壊れたのか?はいろいろわかってる人間じゃないと調査できないので、ソフトウェア担当の俺が行く場合も多い。俺が調査をして、この部品が故障してるよだと報告すると、会社からその部品をもってハードウェアのエンジニアがやってくる。
若い頃の話だけどね。下っ端の頃。みんなそういうのを若い頃に経験して成長していくわけですよ。「客の理不尽怒り」に晒されるのも含めてが仕事です。茂木健一郎がそう思ってないのは茂木健一郎が高校生のままだからです。
もちろん工場の人でも、俺たちの事情を分かってくれる人もいるよ。下っ端の担当者に怒りをぶつけても、意味がないどころかマイナスだとわかってる人もいる。そういう人は立派ですよ。自分がつらい立場の時に、他人に配慮できる人は、だいたい仕事でも優秀な人が多い。
やっぱそういう人のためになら、一生懸命働く気になるからね。普段無理なことを言わない人が、「今回だけは無理を言わせてください」となれば、これは一大事だ。最優先でこの人の無理を聞こう、となるわけですよ。
そう言う人は、部下や下請け会社からも慕われ、協力して貰え、結果的に出世していく。
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茂木健一郎はさ、責任ある立場になったことがないから、わからないわけですよ。茂木健一郎が言ってるようなことは、そんなことは誰でもわかってるわけ。しかしそれでは社会はうまく回らないから、茂木健一郎が「正しくない」と思うような行動をみんなとってるわけで、まずは社会勉強をしてください、としか(苦笑。
簡単に言えば、甘くすると、どんどんつけあがって、収拾がつかなくなるわけですよ。そうすると真面目に働いてた人たちが「なんだ、サボった方が得じゃないか」となって、組織が駄目になってしまう。
茂木健一郎はそんなこと考えたこともないでしょ。人間は「この前許されたんだから、今回も許してもらえるだろう」と考えるわけですよ。それが人間というものです。脳科学じゃ人間の心理、人間の狡さはわからないもんね。
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Aさんが何か事情があって締め切りを守れなかったとする。それを怒らないと、Bさんも締め切りをまもらなくなるわけですよ。「だってこのまえAさんだって守らなかったじゃないか」と。その調子でCさん、Dさんも誰も守らなくなったら、組織は崩壊してしまいます。
いくら事情があっても、約束が守れなければペナルティを負ってもらうしかない。たとえば事故にあって、その結果締め切りがまもれなかったとすれば、事故にあったのも不運だけど、締め切りが守れなくて、クビになるところまでが不運と思って、諦めるしかない。大人の世界は厳しいわけですよ。高校生の茂木健一郎にはまだわかないかもしれないけどね。あと20年ぐらいしたらわかるようになりますよ。
MechaAG 2025/07/08(Tue) 05:04
- 今日のPC(2025-07-08)
【絶望ソニー:PS5】店員「熱暴走対策には保冷剤が良いですよ^^」間違ったアドバイスで被害者多発か?バカの連鎖がヤバすぎる…絶対にやるな!!【モンハンワイルズ デススト2】 - YouTube
保冷剤は論外として、信頼と実績のソニーが作ったps5でさえ、放熱に悩まされてるのに、最近はやりの、ミニpcとか、ゲーミングノートpcとか、ちょっと動かした動くからと言って、ゲームのプレイって過酷じゃないですか。ずっとベンチマークしてるようなもの。
みなさん甘すぎです。いや、すべてわかった上で、割り切って使う人はいいですけどね。素人にお勧めするのは無責任(と俺は思う)。
やっぱ最近は中華メーカーとか一生懸命製品を売りたくて、youtuberを巻き込んで「いまはミニpcの時代ですよ!いまはゲーミングノートpcの時代ですよ!」とか宣伝させてるんだろうけど。初心者は駄目です。初心者はとにかく基本から始めないと。
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外付けのファンを付けるのも善し悪しで、内部の埃が増えると思うんだよね。全体に扇風機の風を当てるというのが無難なんじゃ。あるいはデスクトップpcのように吸気口にエアフィルターを付け、エアフィルターを掃除するとか。中を開けて掃除をいとわない人はフィルターなしでもいいけど。
MechaAG 2025/07/08(Tue) 02:21
- 今日の茂木健一郎(2025-07-08)
「ゾーンとは何か」無意識でメダリストとなった男と脳科学者の対話 為末大×茂木健一郎【@TamesueAcademy コラボ】 - YouTube
う~ん、こういうのは、論評に苦しむんだよね(俺が)。成功者は当然並々ならぬ苦労や努力をしてきたわけで、それを否定するわけではないが、自分がしてきた苦労や努力を「的確に説明(言語化)」できるかは、また別な問題なわけで。
別にこの人に限らず成功者は、「やってること」は正しいけど、「言ってること」はしばしば正しくない、というのが俺の持論。つまり自分がやってることを的確に言語化できない。これは別に成功者に限らないけどね。
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成功者が成功を収めた時「あの時なぜ自分がそうしたのか、後から考えるとわからない」というのはよくある。「感覚がなくなる」「記憶がなくなる」というものわかる。
というのも俺も、ささやかながら、自分では「すごいプログラムが組めた」場合、なんでそれができたのか、それをしてて時自分が何を考えていたのか、何をしての課、よく思い出せないことがある。
でもそれは過度の集中状態だと思うんだよね。人間の「意識」や意識によって生み出された「記憶」、あの時自分はこう考えていた、こう感じていたというのは、意識が自分の行動をモニターしてるからなわけですよ。
自分の行動を自分の意識がモニターし、「今、自分はこれを考えている」「自分はこう感じてる」というのを、記録(記憶)している。記憶の中には意識によらない記憶もある。「体が覚えてる」状態とか、「なんとなくこうした方がいいと思った」というのは、意識によらない記憶、そういうのを人間は「経験」と呼んでいるが、それによる判断。
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損で人間が極限まで集中していると、自分の行動をモニターしてる意識の機能が弱まってしまう。脳のすべてを集中してる思考に費やしてるので、モニター機能に脳の回してる余裕がない。
それで後から考えても、自分があの時何を考えたのか?がわからない。そういうものだと「俺は」思う。
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また宗教とかでも悟りの境地とか言う状態がある。これはランナーズハイなどと同様に、過度なストレスを体や脳に与えることによる、それを打ち消そうとする脳の働き(エンドルフィン)だと思う。あくまで俺の考えはね。
だからストレスがなくなる、ストレスが解放される、というよりも、麻酔のようにストレスを「感じなく」なるだけで、むしろ通常よりストレスがかかってる状態だと思う、俺はね。
ただストレスというのは悪いことばかりではないので、それを瀕死の重傷の患者に麻酔をしてるだけ、というつもりはない。
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じゃあ悟りの境地は良いものか?悪いものか?例えば悟りの境地で「宇宙の真理が見えた」みたいなのは、人間の思考、「おもいつき」の1つであって、それ以上でもそれ以下でもない。
人間はいろいろなきっかけで、いろいろなことを思いつく。リンゴが落ちるのを見て、それをきっかけに科学理論を思いつくこともある。だから価値がないとは言わないが、悟りの境地で思いついたからと言って、それが崇高で素晴らしいものとは限らない。
中には崇高で素晴らしいものもあるかもしれないが、短絡的感情的なものもあるかもしれない。すなわち思いついた内容の評価は、別途、冷静に理性でする必要がある。
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というのが俺のこの手の話に対する持論なんだけどね。
別に自我の限界なんてこえてないわけですよ。そもそも自我が何かって問題もあるし。その人が平時に「これが自分の自我だ」と思ってることとは「別なこと」を考えてるだけで。
それは何も、そういう特殊な精神状態でないと考えられないものではないと思うよ、俺はね。よくアーティストが薬物を利用して、新たな着想を得ようとするじゃん。でもそれは薬物を使わなくても生み出せるものだと思う。薬物を使うことで短期間に生み出せるというのは、あるかもしれないけど。
しかし「特殊な思い付き」は「特殊な精神状態」でないと生み出せないとは、俺は思わないけどね。「思いつき」というのは「宝探し」であって、そりゃゆっくり探すよりは、急いで走り回って探す方が、結果的には短時間で見つけるというだけだと思う。
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でも薬物は弊害が大きいし、ランナーズハイや、悟りの境地も、行ってみれば、漢方薬のようなもの。効果は弱く、その分副作用も弱いかもしれないけど、薬物であることには変わりない。悟りの境地もやっぱやりすぎると薬物のように副作用があるじゃないかと、俺は、思うけどね。漢方薬にも副作用がゼロではないのと同じで。
ん~感触は抵抗かもしれないけど、感触が本当にないのではなくて、体のセンサー(感覚器)はちゃんと脳に情報を与えてるけど、脳(意識)がそれを感じてない(処理してない)だけだと思うんだよね。
脳が処理しない理由は上述のように、あまりに集中しすぎて、モニタリング(記録)ができない状態だから。
だから重要なのはそういう「集中状態」の方であって、その結果生じる記憶の欠落の方ではない…と俺は思う。それは集中状態の副産物に過ぎない。
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脳のメインの処理は「無意識」がやってるわけですよ。無意識で上手くいかない部分だけ意識が介入する。習慣とかもそうじゃん。自動車の運転とか、それどころか二足歩行すら、人間は通常は無意識でやっている。
ところが時々、無意識では処理できない場合がある。何かに躓いて倒れそうになり、ちょっとぐらいなら無意識で体勢を立て直せるけど、それが限界だと「まずい、このままじゃ転ぶ、何か捕まるものはないか」と意識が介入する。
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我々が「意識」の方が主役だと思ってるのは、無意識で処理できないような複雑なことばかり、人間がやりたがるからですよ。意識が「もっと考えたい!」と求める。本能的に。
進化の中でこの欲求、過度の好奇心とかを偶然獲得したのが、人間がここまで繁栄した原因。それでも個人差があるじゃん。やたら難しいことを考えるのが好きなタイプと、逆のタイプ。
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イップス - Wikipedia
主にスポーツの動作に支障をきたし、突如自分の思い通りのプレー(動き)ができなくなる症状のこと。「無意識」がやってる処理は、意識が把握できないからね。無意識が上手くできない時に意識が介入してなんとかしようとするだけで、無意識が上手く処理できてる間は、意識は無意識がなにをやってるか、よくわからない。
だから意識が知らないような、変化があり、それが良い方向に結果することもあれば、悪い方向に結果することもある。アーティストとかにもスランプってあるし、スポーツ選手やアーティストほど目立たないだけで、普通のサラリーマンにもあると思う。「なんかこのところ上手くいかないな」と。逆に「なんか不思議と上手くいく」というのは「これが俺様の真の実力だ」と不思議には思わないから(大笑。
またサラリーマンがやってる作業は、必要なら意識が補えるし、他人が補ってくれることもあるしね。
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でもそれはこういったいろいろな要因の違いであって、やたらスポーツ選手やアーティストの思考を神秘的なものと考えるべきじゃない。だってやたら「不思議だ」と言ってても何も進まないじゃん。茂木健一郎は「不思議だ」というのが思考だと思ってるみたいだけどね。不思議なものを不思議じゃなくするのが研究ですよ。茂木健一郎はそこのところを間違えている。
MechaAG 2025/07/08(Tue) 00:23
- 今日の茂木健一郎(2025-07-07)(7)
お互い、「らしく」生きるためには、お互いに決めつけないことが大切。 - YouTube
茂木健一郎は「なぜ人は決めつけるか?」がわかってないんだろうね。子供の頃は「男らしくしろ」「中学生らしくしろ」と、親や先生に言われるじゃないですか。たぶん茂木健一郎が「決めつけ」と感じてるのはそういう「教育」のことだと思うんだよね。
これはしょうがないじゃん。子供は親や先生や先輩に指導されて育つわけですよ。指導される側としては必ずしも楽しくないはわかってるけどね。でも人類の大半はそれを受け入れてる。その方が長い目で見れば自分の得になる、と。茂木健一郎はそう思ってない人類の中でも少数派、稀有な存在。
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しかし「決めつけ」と「教育」は、本質的に別な物ですよ。似てる面もあるかもしれないけど。「決めつけ」というのは「分類」です。この人はこういう人だ、と。動物を見て「あれは犬だ」「これは猫だ」というのと同じ。人が分類するのは、分類する必要があるからしてるわけで。
じゃあ人間同士が他人を「この人はこういう人だ」と決めつける、分類するのはどういう目的か?それが茂木健一郎はわかってないじゃないの?だから子供の頃に「男らしくしろ」「中学生らしくしろ」と言われた経験から、それと同じような目的だと勘違いしてしまう。
だから「決めつけたって、他人はその通りにならない」という茂木健一郎の独特の意見が出てくるんじゃ。茂木健一郎は「決めつけ=指導のためだ」と思い込んでるから。繰り返すけどそうではなく「決めつけ=分類」です。
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人が人を分類する目的は、茂木健一郎だって「お気に入りの店」とかあるでしょ。この店は好きだ、この店は難か嫌いだ、だから今日はこの店を利用しよう、と。判断(選別)してるわけでしょ?
人間に対してもそうですよ。この人ともっと会いたいな、この人とは二度と会いたいくないな。今度行く旅行に、この人を呼ぼう。あの人はいつもトラブルを起こすので絶対呼びたくない、と。
さらにこの先、たぶんこれが茂木健一郎が知らない世界なんじゃないの?仕事をしてると「この仕事は誰に頼もうか?」というのを常に考える。会社同士であれば、この会社に発注しようとか、人間同士なら、この部下に頼もう、と。
「この仕事は部下Aより部下Bの方が得意そうだ」と決めつけて、実行してるわけですよ。
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茂木健一郎はこういうビジネスの世界を知らないんでしょ。学校だと「平等」が重視されるじゃん。だから生徒Aにも生徒Bにも「同じことをやらせましょう」というよね。でもそれは学校という特殊な環境の中だけで、社会に出たら人は平等ではない。
そりゃそうでしょ?たとえばサッカーの日本代表に選ぶのはサッカーが日本で一番上手い人じゃん。誰が一番上手いかは、誰かが決めつけて選ぶわけですよ。
え?いやいや、そんなことはないって?サッカーの勝敗は試合の結果という客観的なデータで判断されるんだ?でもそもそも試合のメンバーに選ぶのはそのチームの監督じゃん?選ばれなければ始まらない。
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社会とは人間が人間を評価して成り立っている。大人ならあたら今江のことなんだけど、高校生だとまだ「人間はみんな平等」って考え方から抜け出せないのかもね。何しろ小学校からずっとそう教えられてきたから。
世の中の大半の人は、大人の社会の入り口に立つ、大学生とか新入社員あたりで、その「切り替え」を学ぶわけですよ。「ああ、そうか、社会って学校とは違うんだな」と。
でも茂木健一郎はなんだかんだ35歳までケンブリッジ大学留学とかで学生を続けてたわけじゃん。社会人で35歳って仕事の現場を最前線で支えるもっとも活躍する時期なんですよ。22歳で社会人になった人は10年以上働いてるわけだからね。
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まだ管理職にはなれなくても、現場のリーダーとして、チームのメンバーや後輩に「おまえはこの作業をやれ」と指示・指導する立場なわけですよ。でも茂木健一郎は高校生の精神年齢のまま。そしてそれ以降もそうで、60歳の現在までずっと小学校で習った通り「人間は平等です」「誰にでも平等にチャンスを与えるべきです」と思い続けてきたわけでしょ。
「どうあるべきか」という理想論はともかく、まずは「現状の社会」を正しく認識しなければ、まともにものを考えられないですよ。現状を理解した上で、こう変えていくべきだ、と適切なアプローチを考えられるわけで。
敵を知り己を知れば百戦危うからずです。先ずは現状を正しく把握し、さらに自分の能力も客観的に把握してこそ、適切な行動ができる。高校生はまだ社会がわかっておらず、自分の実力も正しく評価できないので半人前。茂木健一郎もそうです。
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社会ではその人の「過去の実績」で評価(決めつけ)られる。高い評価をされた人は優遇され、会議でその人の意見も受け入れられる。「○○さんがそういうなら、その方針で進めましょう」とね。
茂木健一郎はそれがわかっておらず、小学校の学級会のようにすべての発言者は平等で、実績のない自分の意見も、実績のある誰かの意見と平等に扱われるべきと思ってるじゃないの?それで毎日毎日youtubeで「マウントをってくる嫌な人間が多い」とぼやいてるんでしょ。
それはその人は実績があり、茂木健一郎には実績がないからで、社会人としては普通のこと、むしろそれが推奨されることなんですよ?そういう肝心なことがわかっていない。
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スポーツでも、将棋とかのゲームでも、世界チャンピオンとど素人が平等なわけないじゃないですか。世界チャンピオンが「Aをすべきだ」といい、小学生が「いや、Bをすべきだ」と言ったなら、みんな「Aをしましょう」となるわけですよ。そんなの当たり前でしょ。
でも茂木健一郎は小学校の「平等」が好きだから、きっと「いつも世界チャンピオンの意見を聞いてるから、たまにはド素人の意見を採用すべきだ」とか思ってるじゃないの?世界チャンピオンもド素人も、チャンスは平等に与えるべきだ、と。アホです。
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茂木健一郎が「人は成長しなくてもいいんだ」と言ったのに驚いた。その人が幸せなら成長しなくてもいい、と。それはさ、お金と同じですよ。お金がなくても幸せならいいかもしれないけど、多くの幸せはお金がないと手に入らない。
成長も同じです。組織の中、社会の中で、活動しようと思えば、過去の実績が重要で、そのためには能力を高める(成長する)必要がある。そりゃお金がなくても得られる幸せがあるように、成長しなくても得られる幸せもないとは言わない。しかしそれはかなり少ない。
実際、茂木健一郎みたいな生き方をしてる人は少数でしょ?ホームレスとかも、本人は幸せと思ってる人がいるんだろうけど、多くの人はホームレスになりたくはない。
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組織の中でも、能力の低い人間だって生きられますよ。ちゃんと給料を貰える。しかしやりたいことはできないし、自分の提案も通らない。何を言っても「いいから、おまえは言われたことだけをやっていろ」となる。まあそれを幸せと感じる人もいると思うよ。言われたことだけやってれば、責任はないし、そんなに考えなくてもいい。
さらに言われたことができなくても、それはその人が悪いのではなく、その人ができない仕事をさせた上司が悪いとなるから、まあ幸せと言えば幸せかもしれない。しかし多くの人はそうは思わないわけですよ。
もちろん茂木健一郎が「自分はそういうのが幸せだ」と感じるのは否定しないよ。生き方はそれぞれですよ。でも茂木健一郎が「みんなも僕みたいな生き方をすればいいのに」と言っても、ほとんどの人は「何いってんだ?こいつ」と心の中では思い、無視する。
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「普通」と違うことをやるなら、黙って、こっそり、目立たないようにやるべきです。みんなそうやってるわけですよ。俺もそう。どうしても非常識なことをやりたいとする。それなら非常識なことをっ焼てるのを隠さないと駄目です。わざわざ「俺はこれから非常識なことをやるぞ」と宣言したら、邪魔が入るに決まってるじゃん。
え?MechaAGはどんな非常識なことおやってきたのかって?だから俺はプログラミングが好きで、ただでもいいからプログラミングを存分にしたかったわけですよ。でも当然だけど会社は採算を取らなきゃ駄目なわけじゃん。俺は採算度外視でプログラムを作りたかった。それであの手この手で、出来ることをやった。まあ当時の俺の上司たちには、迷惑かけて御免なさい、というしかwww。
だから実際にはそんなに時間がかからない作業をやってるふりして、別なことをやったり(オイ。でもそれは俺だからそんなに時間がかからないのであって、普通の人がやったら、それぐらい時間がかかるわけですよ。だからバレなかった。いやバレてたんだろうけど大目に見て貰えた。
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そういうことができたのも、俺のプログラミング能力が高かったからですよ。これは別に特別なことじゃなくて、プログラマの能力って、優秀な人と優秀でない人とでは、同じ時間でできる作業量が桁違いなんですよ。10倍とか普通に差が出る。仏の人が1~2週間かかる仕事が優秀な人なら1日でできる。
組織内では優秀な人は、わりとわがままが通る。もちろん限度はあるけどね。だからみんな優秀な人になりたがるわけですよ。茂木健一郎は組織内で仕事をしたことがないから、それがわかってないじゃない?
茂木健一郎が「優秀でなくてもいいんだ」というのは、優秀でない人でもできる仕事しかしてこなかったからですよ。やっぱそうなると優遇はしてもらえない。なので優遇されてる人を見て、妬ましく思うじゃないの?「人間は平等なはずなのに、なんであいつばかり…」と。
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さらも10代の若者なら「優秀になった方が得だよ」とアドバイスするけど、60歳のオッサンはもう間に合わないわけですよ。努力しても残り時間が少なすぎ。だからそういう人には「(もう無駄だから)成長しなくてもいいんだよ、今が幸せならそれでいいんだよ」と、アドバイスしてくれた人がいるじゃないですか。
小学生と同じですよ。小学生の茂木健一郎に「キミは(努力してもみんなと同じことができないんだから(無理して努力する必要ないんだよ」と言ってくれた人がいるじゃない?
よく言うじゃん。怒られてるうちが華だ、と。怒られるというのは「怒れば成長する」と、期待して貰ってるわけで。怒られなくなったというのは「この人は怒っても成長しない」とあきらめられたからです。
MechaAG 2025/07/07(Mon) 21:31
- 今日の茂木健一郎(2025-07-07)(6)
茂木健一郎は「1つの意識仮説」を唱え、それは「単一電子宇宙仮説」からヒントを得たという。でも単一電子宇宙仮説がそもそも「思いつき」レベルのものなわけですよ。
まあ思いついた研究者が(他の功績によって)世界的に有名な研究者だったというだけで。
ジョン・ホイーラー - Wikipedia
リチャード・P・ファインマン - Wikipediaペンローズの量子脳理論と同じパターン。ペンローズも他の功績で有名だけど、量子脳理論はまったく評価されていない。
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茂木健一郎はなんでわざわざ、有名な研究者の「評価されてない部分」を真似するんですかwww。どうせなら評価されてる部分を真似した方がいいんじゃ。
たぶん茂木健一郎は1つ1つの学説の信憑性まで評価できず、なんとなく世界的に有名な研究者が思い付きで語った仮説を、「世界的に有名な研究者なんだから間違いない!」とか思って、真似してるんじゃないですか。
あのさ、他の多くの研究者が無視してる仮説は、無視されるだけの理由があるわけですよwww。逆に大区の研究者に評価される仮説は評価されるだけの理由がある。
科学の世界で「大穴狙い」は、自分の一生を棒に振る危険性が高い。アインシュタインも統一理論で失敗したしね。まあそのリスクがわかった上で、「それでも俺はこれに一生をかける!」というのであれば、止めないけど。
—
お笑い芸人とかの世界や、フィクションの世界は、大穴狙いが大成功をもたらす可能性がある。でも科学の場合、それはほぼ失敗への片道切符www。
ペンローズとかアインシュタインとかファインマンとか、すでに他の健で功績を上げてる人が、片手間に研究するならいいけど、何も実績を上げてない研究者が手掛けるのは、人生を棒に(略。
MechaAG 2025/07/07(Mon) 12:52
- ガンダムジークアクス(2025-07-07)
これはルパンダイブでは。
この監督フリクリでもルパンっぽいのやってたし。
MechaAG 2025/07/07(Mon) 08:48
- 今日の茂木健一郎(2025-07-07)(5)
#脳教室 自分も他人も、簡単にラベリングしないこと。 - YouTube
ラベルを張られると、そのラベルのように生きなければならないと「思わされる」と。いやいやwww。そんなことないですよ。たとえば茂木健一郎はどうなの?貼られたラベルのよう生きようともう?思わないでしょ?他の人だって同じですよ。
茂木健一郎は「なぜ人は他人にラベルを貼るか?」がわかってないだろうね。「そのラベル通りの振る舞いをさせたい」からと思ってるじゃん。どうしてそういう思考になるのかな。
単なる「分類」のためですよ?便宜上の。「男/女」「大人/子供」という程度の意味しかない。分類するのは必要だから分類するわけじゃん。例えば遊園地の乗り物とか、小さな子供だと危険だから分類するわけですよ。それぞれに意味があるわけ。
—
茂木健一郎はなんか勘違いしてるじゃないの。たとえば「男らしく生きなさい」とか「もう中学生なんだから、中学生らしくしなさい」とか。
それは「ラベル貼り」じゃないわけですよ。それは「教育」です。こうなりなさいという指導ね。一方一般社会での分類は、現状を分類してるわけですよ。「この人は男らしい人間だ」「この人は中学生らしい人間だ」と。
別に分類したからと言って、「男らしくなれ」とか「中学生らしくなれ」とか誰も言ってないわけで。すでに男らしい人、中学生らしい人を、そう分類してるだけで。
—
茂木健一郎はほんと頭の中が思春期のままなんだろうね。中学生レベルの頭脳で、大人の社会の複雑なことを考えようとするから、いろいろ勘違いしちゃう。
MechaAG 2025/07/07(Mon) 08:30
- 今日の茂木健一郎(2025-07-07)(4)
ヴィトゲンシュタインの家族的類似。俺はこの言葉知らなかった。ai先生にいろいろ質問して教えて貰いましたよ。いや、面白いし、一つの物の見方としては、素晴らしい。いや~哲学もまんざら捨てたもんじゃないんだね(オイ。勉強になりました。いや、ほんと。俺の中では相対性理論を初めて知ったぐらい、感動しましたよ。
さて、茂木健一郎は「1つの意識仮説」を唱えている、と。まあ唱えるのは自由だけど、唱える必要性が重要で、アインシュタインの相対性理論はそれがないと、観測された物理現象を説明できなかったので、支持された。
相対性理論とは別な理論で、相対性理論以上に上手く物理現象を説明できるなら、そっちの説が支持される。いまのところ相対性理論がベストだというだけで。
—
だから茂木健一郎も自説が支持されてほしいなら、その必要性が重要。「1つの意識仮説」でないと説明できない現象があるか。その現象は他の理論では説明不可能なのか、という点ね。
ユングの集合無意識もそうだけど、派手なわりには必要性が乏しいわけですよ。そう考えてもいいけど、そう考えなければならない必要性も特にないよね、と。
科学においては「オッカムのカミソリ」という原則がある。必要性の低い理論をむやみに増やすのではなく、既存の理論で説明可能なら、それを選ぶべき、と。
—
茂木健一郎は自説を「単一電子仮説」に例えている、と。
そうだね、茂木健一郎ってそういう思考なんだよね。「マッハの原理」とかもそう。別な分野から脳科学にいろいろなものを引っ張ってこようとする。俺、茂木健一郎をいろいろ勉強してるでしょ?日本で茂木健一郎に一番詳しいというのは伊達じゃないですよwww。
別なジャンルをヒントにするのは構わないけど、「ヒントにした」レベルで全部止まってるわけで、それじゃ駄目ですよ。ちゃんと自説を組み上げないとね。なので茂木健一郎は世の中を舐めてるな、と言ってるわけ。
—
誤解の内容に念を押しておくけど、そういう考えが駄目だといってるじゃないよ。そういう考え方を途中で辞めちゃうのが駄目だ、と言ってる。もっと命がけで、この理論が完成しないなら俺は死ぬ!ぐらい頑張らないと駄目です。気が狂うぐらい。
俺はソフトウェアを開発してる時、なんどもそういう状態まで考えたよ。だからもしかして俺は気が狂ってるのかもしれない。自分ではわからないけど。
数学者とかも晩年精神を病んでる人が少なくないじゃん。新しいものを生み出すというのは、そういうものですよ。命がけです。
—
ミミズの意識も家族的類似出繋がっている、と。でもaiの意識は現時点ではつながっていない、と。ん~茂木健一郎はミミズには意識があるけど、aiには意識がないって主張なの?
それはどういう根拠?まあそもそもヴィトゲンシュタインの家族的類似が、類似の基準のあいまいさ、主観的な部分を内在してるわけで、単に「茂木健一郎がそう思ってるだけ」ってことになるじゃないの?ミミズの意識と人間の意識には類似点があるけど、aiの意識と人間の意識には類似点がない…と茂木健一郎が思ってるだけ。
じゃあゾウリムシとか単細胞生物とかの意識は人間の意識と類似点がある?ない?トランジスタラジオの意識には人間の意識と類似点はどう?
結局類似点があるかないか、その人がそう思うかどうか名わけじゃん。茂木健一郎の考えと、別な人(例えば俺)の考えは同じではない。俺はゾウリムシにもトランジスタラジオにも意識はあると思うよ。掃除機のルンバに意識があると思う。それが人間の意識より単純だというだけで。
—
茂木健一郎の主張はすべて「僕はそう思った」という域をでないわけですよ。だから「別な人はそうは思わない」と反論される。すくなくともなぜ「ミミズと人間」の意識には類似性を認め、「aiと人間」の意識の類似性は認めないのか、それなりの理屈が必要です。「なんとなくそう思う」では駄目です。
たとえばさ、ゾウリムシとかは「記憶」を持たない。外界の刺激に反応してるだけで、過去自分が何をしたか覚えていない。そういうのは人間の意識と類似性はない、と言えるかもしれない。でもその場合、aiは過去の記憶を持ってるから、aiの方は人間の意識と類似性が高くなる。
ゾウリムシの方が人間に近い要素を見つけるなら、生物だから外部から栄養を摂取して、増殖するという点は、aiより人間に近いといえるよね。これはすなわち「生物である」ことが意識を持つ重要な条件と考えたということだよね。
まあそういう考えをするのは勝手だけど、それなら議論の余地ないじゃん。aiは生物じゃないんだから。悩む必要ない。最初から結論は決まってる。
—
じゃあなぜaiが意識を持つか?が議論になるか?それは「aiを人間に近づけたい」からですよ。それぐらいまで人間に近づいたか?という指標の1つとして意識の有無が議論されるわけで、「半導体の塊のaiは西武じゃないから、意識はない」というなら、それはそれで1つの考えだけど、「aiがどれだけ人間に近づいたか」という指標としては役に立たないよね。
茂木健一郎はさ、「その議論が何のために行われているのか」を考えないよね、いつもいつも。
なんかいつもより気合を入れて反論してしまった。「1つの意識仮説」も考えるのは自由だけどさ、その必要性が…。何のためにその学説が必要か?を考えないと。
—
茂木健一郎は肝心なことがいつもわかってない。たとえばアインシュタインは世界中から「すごい天才だ!」と言われてるじゃん。茂木健一郎破それを見て「自分もアインシュタインみたいになりたい」と思ったわけでしょ。
しかし「なぜ世界中から天才だと言われてるのか?」を考えないと駄目なわけですよ。それは世界中の人々が相対性理論をすごいと認めたから…ではない。世界中の科学者が相対性理論は正しいと認めたkらですよ。
世界中の科学者がみとめた相対性理論を考えたアインシュタインを、世界中の人々はすごい、と言ったわけ。現に、相対性理論が発表された時点では一般人は騒がなかった。日食の観測で、相対性理論が正しいと世界中の科学者が認めたから、一般人が騒ぎ出した。
—
茂木健一郎は「なぜ?」を考えないよね。茂木健一郎は自分の説が世界中の人々から賞賛されたいなら、どうすればいいか?を考えないと駄目です。世界中の科学者に「茂木健一郎の説は正しい」と認めさせないと。
そのためには「日食の実験」のように他の研究者が「検証なもの」を示さないと駄目です。「僕はこれが正しいと思う」と言ってるだけじゃ駄目なんですよ。科学の世界はね。哲学とか文学の世界なら、それでいいかもしれない。芸能界でも「面白ければいい」し。
でも科学の世界はルールが厳しいわけですよ。逆に言えば厳しいルールで勝ち残れるから、科学者は尊敬されるわけで。
—
でもまあaiと人間の意識について家族的類似を考えるのは、面白いと思った。案外そこから何か生み出せるかもよ。頑張ってください。俺も少し考えて見たくなった。
俺からすれば、なんで「aiに意識がある」ということを(感情的に)拒絶する人間がこれほど多いのか?謎なわけですよ。家族的類似なら、aiと人間の間に中間の物を作ればいいんじゃないの?
遠すぎて橋を架けられないなら、途中にもう1つ島を作れば、橋を架けられる。
ああ、その意味では「人型ロボット」とかは、懸け橋になってくれるかもね。
でも最近は嘘か本当か「aiを恋人のように感じる」人もいるぐらいだから、たぶん10年後には、aiに意識があるか?とか議論する人はいなくなりますよ。仮にaiが今のまま進歩しなくてもね。つまり「人間側」の問題です。
そう言えばこの前、茂木健一郎のチャンネルに出演してた人もそんなようなこと言ってたじゃん。aiアライメントの議論で。
MechaAG 2025/07/07(Mon) 06:39
- 今日のPC(2025-07-07)(2)
Amazon.co.jp: Anker Nano Charger (130W, 6 Ports) ホワイト : パソコン・周辺機器
う~む、このところ65wクラスの充電器が欲しかったんだけど、小型のじゃなくて、割り切ってこういうのもいいかもな。どうせノートpcと一緒に持ち歩くわけだし。上にQiとかつかないですかね。贅沢ですかね。そうですね。
MechaAG 2025/07/07(Mon) 04:54
- 今日のPC(2025-07-07)
googleがパスキーを設定しろというから、重い腰を上げてやってみたが…やっぱわかりにくいよね。
パスキーの管理をgoogleに管理させるか、windows hello(microsoft)に管理させるか、appleのなんか(名前忘れた)に管理させるか、それぞれ別々で。あ、悩ましいのはwindowsやgoogleへのログインのパスキーじゃなくて、たとえばamazonのサイトへのログインのパスキーの話ね。
android osなら良くも悪くもgoogleしか選択肢がないからいいんだけど、windowsの場合、なんか選択肢が出てくるときと出てこない時が。
—
単にgoogleへのログインだけパスキーにするだけなら、ややこしくないけど。まあこの辺もゆくゆくはもっと使いやすいように整備されていくだろうけど。当面はパスキーの設定はgoogleへのログインだけにしておいた方がいいのかな。
パスキーはデバイスに保存されるといいながら、それが複数デバイスでどうできできる点がややこしい。いや、その方が便利なんだけど。
駄目です。パソコン音痴のオッサンです。
MechaAG 2025/07/07(Mon) 04:21
- 今日の茂木健一郎(2025-07-07)(3)
#脳教室 他人のパフォーマンスを見て学ぶ - YouTube
他人がやってるのを見て学ぶのはもちろん大事なんだけど、問題は「何を」見るかなわけですよ。自分と縁もゆかりもないものを見ても、感動はするかもしれないけど学べない。
見たことを自分でも真似しないと。「見た」時に学ぶんじゃなくて、「真似する」時に学ぶわけですよ。茂木健一郎は見るだけじゃん。だから全然自分の学びにつかなってない。
自分が真似できるレベルを学ばないと駄目です。身の丈に合ったものを。茂木健一郎はそれがわかってないから「わーすごいなー」で終わってしまう。それを60年間つづけてきたから、ちゃんと身の丈に合った学びを積み上げてきた人とは、もう取り返しのつかない大差がついてしまっている。
MechaAG 2025/07/07(Mon) 02:20
- アメリカ長距離トラック(2025-07-07)
アメリカ長距離トラック運転手 整備日記 HONDA再調整 錆との闘いエコヒーター位置調整 in in Springfield ミズーリ州 【#1801 2025-7-5】 - YouTube
グランドラインを2重にしたらしい。やっぱ長距離トラックって過酷だよな。雪の中走ってたり、暑い中走ってたり。
こういうカバーを止めるネジも取れてしまう、と。トラックや発電機自身の振動でですかね。メーカーが想定してるより過酷な条件なんですかね。
—
おー、こういうゴチャッとしたの好き。
劣化してるらしい。でも数年だよね、たぶん。塩害かなにかですかね。
MechaAG 2025/07/07(Mon) 01:48
- 今日の茂木健一郎(2025-07-07)(2)
お互い、「らしく」生きるためには、お互いに決めつけないことが大切。 - YouTube
「僕は僕らしく生きたい」と決めつけるのは自分の多様性を制限してる、と。いや、だからさ、茂木健一郎は言葉を額面通り解釈しすぎなんですよwww。
なんでそういう辞書的な意味を馬鹿正直に受け取るのかな。もしかして茂木健一郎って生成ai?「僕は僕らしく」という言葉の後に何が続くか、統計的に予測してるのwww。
「人間は本当のことを言わない」という人間社会で生きていく上で不可欠なことを学び損なってる。基本のキなわけですよ。たとえば掛け算の九九を間違って覚えてたら、その後の方程式とか三角関数とかすべて間違うわけじゃん。
茂木健一郎は「他人の言葉を真に受けない」という非常に重要なことを学べてないwww。
—
「僕は僕らしく生きたい」というのは、「常にそう生きる」という意味ではなくて、「それが適切な時だけ」そう生きる、という宣言なわけですよ。
だから実際には何も自分の行動を制限してないわけですよ。その程度のことがわからないのは、茂木健一郎が他人とコミュニケーションしてないからですよ。
コミュニケーションしてれば、人間の会話がどれだけ辞書的な意味からかけ離れてるか、わかるはずなのに。そういうのを小学校~高校で学ぶのに。だいたい10代の頃学ぶわけですよ。その頃「大人はうそつきだ」とかよく文句を言うじゃないですか。でもそのうち言わなくなる。「みんな嘘をつき合ってるんだ、言葉は額面通りの意味じゃないんだ」とわかるからですよ。
なのに茂木健一郎は60歳になっても、それがわかってないwww。
—
さて、「自分が自分を決目つける」問題は上述の通り。単なる茂木健一郎の国語力の欠如による誤解です。じゃあ他人を決めつける問題。まあこれは割とその通りだと思うよ。「茂木健一郎はこういう人間だ」「トランプ大統領はこういう人間だ」「イーロンマスクは、スティーブジョブズは、ペンローズは、養老孟司は」と。
でも茂木健一郎だって他人を決めつけてるじゃん?茂木健一郎は養老孟司を尊敬してるでしょ?ペンローズを尊敬してるでしょ?それは「養老孟司はこういう人間だ」「ペンローズはこういう人間だ」と決めつけて、その決めつけに対して尊敬の念を抱いてるわけでしょ。
たとえば茂木健一郎が時々youtubeで一緒に散歩してる哲学者の人。茂木健一郎は「この人はこういう人間だ」と決めつけてるから、安心して一緒にいられるわけでしょ?茂木健一郎に対してマウントを取ってくる嫌な人間だったら、一緒に散歩しないでしょ。
—
要は人間は決めつけて行動してるわけですよ。「決めつけ=予測能力」なわけで。逆に決めつけると何が問題なの?別に何の問題もないと思うけど。
たぶん茂木健一郎は自分が「茂木健一郎はこういう人間だ」と決めつけられると、不快なんじゃないの?「俺はそんな人間じゃねー。お前に俺のなにがわかるんだ」と。
でもそれは単なる一時的な感情であって、実害はないでしょ?何か問題があるの?不快さぐらい我慢すればいいことでしょ。
—
それとも「茂木健一郎は気まぐれで、和を乱す人間だ」と決めつけ、「だから茂木健一郎をチームに入れるのはやめよう」とか、そういう話。それは確かに実害があるけど、でもそれはしょうがないじゃん。
茂木健一郎だって嫌な人間と一緒にいたくないでしょ?他の人だって茂木健一郎が嫌な人間だと感じれば、一緒にいたくないわけですよ。
—
社会の中でも政治思想などで分類する傾向がある、と。まあそうだけど、それが何の問題なの?生物を「犬」や「猫」に分類するのと何が違うの?
犬や猫は客観的・雅楽的に分類できるけど、人間を思想で分類することは科学的でも客観的でもないって話?まあでもそもそも犬や猫だって「分類する必要がある」というのが、最初にあって、その精度を高めていった結果、科学が発達したに過ぎないわけですよ。
もし科学が発達してなくても、人間は犬と猫と分類したと思うよ。主観や思い付きでね。「僕はこれは猫とだと思う」「俺はこれは犬だと思う」と。馬とか鹿とかも。
—
科学的である方が望ましくはあるけど、科学的でないなら分類しちゃいけないというのは、おかしいわけですよ。なぜ人は分類するか?必要性があるからですよ。牛と豚は人間にとって用途が違う。逆に人間の生活にあまり関係ない生物の分類は、いい加減になる。
つまり人間は「分類する必要がある」から、分類するわけですよ。政治思想による分類もそう。「分類」が必要なのであって、必ずしも正しい分類でなくてもいいわけ。もちろん正しい分類の方が望ましくはあるけどね。
茂木健一郎の思考って全部こんな感じなんだよね。現実的に「必要性」があって行われてることを、それを取り払って「正しさとは?」「真実とは?」みたいな浮世離れした思考ばかりしている。
—
まあ俺も浮世離れした話も嫌いじゃないけど、それと現実的な問題は別です。茂木健一郎は現実世界に関わってないから、浮世離れした思考しかしない。
大人なら、理想は理想、現実は現実と分けなければ駄目です。現実を無視して理想論だけ言ってると「役に立たない人間」と決めつけられてしまいますwww。
「あいつ一流大学卒なのに、現実の仕事が全然できないな」とかってよくあるじゃん。ああ、茂木健一郎にとっては「政治問題」というのは現実的な仕事じゃないってことなのかな。娯楽ですか?そんな感じだよね。茂木健一郎がメディアの討論会で喋ってるのも、全部「娯楽」モードなんだよね。
まあメディアの討論会ならいいけど、仕事の会議でそれをやると、追い出されます。追い出されるというのは比喩で、実際にはいろいろ理由をつけて、だんだん会議に呼ばれなくなる。仕事の会議は「現実」の問題の対処方法を決める場だからね。
—
「この人はこうだと名前ができたとする」と。分類の名前ってことかな。例えば共産主義者とかナチズムとか。ふむ、それで?
名前ができたからと言ってその人は常にそうしなければならないわけじゃない、と。また変なことを言い出したwww。
分類というのはその人のために分類するわけじゃないでしょうが。犬と猫を分類するのは人間の都合であって、犬や猫のためじゃないよねwww。
—
分類というのは分類する側の利便性のためであって、分類される側の事情なんて、知ったこっちゃないわけですよ。別にどう分類されても、その人は自分で自由に生きればいいじゃないですか。
まあでも不便になるかもしれないけどね。例えば「この人は過去に口論で人を殴ったことがある」という分類は、その人にとって不便かもしれないけど、他人にとっては必要な分類なわけですよ。
なので不利益になるような分類をされないように、行動には気を付ける、すなわち自分で自分の行動に制限をかけることは必要。「いや、俺はそんなこと嫌だ、自由に生きるぜ」という人は「自分勝手に自由に生きる人」に分類されるわけですよ(大笑。
「自分勝手に自由に生きる人」という分類は、その人にとってかなり不利益をもたらすけど(いろいろな場から排除されるとか)それを承知の上でならいいんじゃないの。
—
茂木健一郎は「自分勝手に生きたい」が他人から「自分勝手な人間」と分類されるのが嫌なわけでしょ。でもそれはわがまま過ぎです。他人は必要があるから分類するわけですよ。
そりゃ茂木健一郎にとっては分類されない方がいいかもしれないけど、他人にとっては必要な分類なわけで。
—
「決めつける」と「多様性」が失われる、と。これも意味不明なんだよね。決めつけると何が問題なのか、これだけ茂木健一郎の動画を見てる俺にもわからない。決めつけるとどういう多様性が失われるの?もっと具体的に言ってくれないと。
たとえば「おまえはこういう人間だ」と決めつけられると、そういう人間としての行動しかできなくなるって意味?そんなことないでしょ。自分がどう行動するかは自分の自由じゃん?
そもそも他人に決めつけられたからと言って、その通り行動する人間がいるの?むしろその人がその通り行動するなら、その決めつけが正しかったってことじゃん?そうでしょ?ほんと茂木健一郎は議論が逆立ちしている(笑。
—
決めつけは、生命の自由を奪ってしまうことになる、と。どういう理屈で奪われるわけ?そこを説明してくれないと。たとえば就職で「この人間は営業職に向いている」「この人間は開発職に向いている」と決めつけられるけど、それは仕方のないことじゃん。
不満なら転職するしかない。だってそうやって役割分担をしないと組織は維持できないわけで。まさか茂木健一郎はそんなこともわからないのかな?「全員が白雪姫」みたいな?
どうしてもやりたいことがあるなら、自分の力で獲得するしかないわけですよ。実力でその地位(役割)をもぎ取るしかない。成功者はみんなそうしてきたわけで。
—
組織内の役割分担と、なんか哲学的な「決めつけ」の話がごっちゃになってるじゃないのwww。役割分担は必要なわけですよ。あんたはこの作業をやってください。あなたはあの作業をやってください、と。誰もがやりたい作業をできるわけじゃない。それが大人の社会です。
茂木健一郎は本気で言ってるなら、やっぱ頭の中が小学生のままなんだろうね。小学生なら「やりたいことをのびのびとやりましょう」でいいけどさ。それでも組織的な行動は小学生でも求められるよね。運動会とか学芸会とか、遠足とか。「あなたは○○の係です」と。
きっと茂木健一郎は小学生の頃からそういうのが嫌だったんだろうけどね。「協力する」というのは「組織的に行動する」ということですよ。
—
ああ、そうか、茂木健一郎は「協力=組織的な行動」というのがわからないのかもね。茂木健一郎は、おばあさんの荷物を持ってあげるとか、そういう個人的な親切を、協力だと思ってるのかもね。
ああ、そんな感じだ。「(個人的な)親切」と「(組織的な)協力」がわかってない。それで茂木健一郎はとしては虚力してるつもりなのに、みんなから非協力的だと評価されて、ムカつくじゃ。60年間ムカつき人生。
でも茂木健一郎が考えてる「協力」というのは、世間一般が考えてる強力ではないわけですよ。例えばサッカーで協力し合うというのは、組織的に行動するということです。気まぐれで行動したら、いくらそれが親切心から出たものであって、非協力的な行動とみなされます。
—
おかげさまでまた1つ茂木健一郎に関する理解が深まりましたよ。たぶん俺は日本で一番茂木健一郎のことを理解してると思うよ。茂木健一郎の家族より俺は茂木健一郎のことを理解してると思う。
そりゃ茂木健一郎の家族は、茂木健一郎の言動を俺より知ってるだろうけど、言動の動機が、極めて難解なわけですよ。なぜ茂木健一郎がそういう言動をするのか?どこでなにを茂木健一郎は勘違いしてるのか。
今回の成果。茂木健一郎は「親切」と「協力」能別がついていない。「協力」とは「組織的行動」の意味を含むということがわかっていない。
—
俺だって本当はパソコンのアプリケーションのソフトウェアを作りたかったんですよ。でも産業用ロボットのソフトウェア開発の仕事をすることになってしまった。まあ、やってみたら思いのほか面白かったからいいけど。何でも自分の思い通りにはいきません。
考えてみれば大学で制御工学とか勉強したから、それや会社としてはそういう配属になるよな、と今ならわかりますよ。今なら。でも当時はそこまで考えなかったwww。だって俺が大学の頃は「パソコンのアプリケーションの作り方」を勉強する学部や学科なんてなかったわけで。
まあでも今は、アプリケーション開発じゃなくてよかったとさえ思う。産業用ロボットの開発って、国内外のいろいろな企業と共同開発が多くて、いろいろ経験できた。もしアプリケーション開発の仕事だったら、もともと出不精な性格だから、ずっと会社の机に向かってプログラムを組んでるだけだったと思う。まあそれはそれで楽しかったと思うけどね。
—
上司になった時も、最初は嫌で嫌でね~。俺は自分でプログラムを書きたいのに、部下に書かせる仕事って、他人が美味しい料理を食べてるのを見てる役目としかwww。俺だったらこうするのに、と。
「こうした方がいいじゃない」と部下にアドバイスしても「俺の好きにやらせてください」と反発するし。かつての俺みたいにwww。自分がこんな目に合う日が来るとは、夢にも思いませんでしたよ。
でもまあこれもやってると、面白さに気づいた。他人に「強制される」のって悪いことばかりじゃないんですよ?自分が知らない自分を発見できる。それこそ「俺はアプリ開発がやりたいんだ」「俺は管理職じゃなくて現場の仕事がやりたいんだ」と自分で決めつけてたと言える。それを打破してくれたのが「他人からの強制」ですよ。「これをやれ」と。
—
一方「決めつけられるとその仕事しかできない」というのは、しょうがないですよ。みんな専門職なわけで。その能力が高いから、その仕事を依頼されるわけで、能力を高めるには1つのことをやり続けるしかない。だから大半の人間は一生1つのしごとをやってるわけで。逆に素人と同じレベルだったらその人に仕事を依頼する意味ないじゃん。
茂木健一郎は強制をすべて拒否してきたから、自分の殻を破れてない。「自分はこういう人間だ」と決めつけてるのは茂木健一郎の方です。「自分は組織に向かない」と決めつけてるわけでしょ?最初は嫌でも我慢してやってみると、別な世界が発見できるのに。
それに何度も言うけど「いろいろなことをやる」というのはすべてが「素人レベル」にとどまるということ。素人に仕事を依頼しても意味がない。プロ(専門家)というのは素人よりその仕事が高度にできるから、お金を払って仕事を依頼されるわけで。
—
まあ誰でもできる仕事でも「手が足りない」とか、いないよりはいた方がマシとかはあるだろうけど。悪いけど俺からは、茂木健一郎がやってる仕事ってそのレベルに見えるんだけどね。
人数さえそろえれば能力は問わない、というような。そういう仕事もあるわけですよ。人海戦術で「数」で押し切るような仕事。仕事自体は高度ではなく誰でもできるレベル。茂木健一郎がやってる仕事って、別に茂木健一郎じゃなくてもできるよね?メディアで討論したり、インタビューしたり。
学生への講義もyoutubeで公開されてるのを見る限り、たいしたこと喋ってないし。クオリアの本だって、例えば要領のいいひとなら、即興でオリジナルの論文を調べて、書けるじゃない?まあ茂木健一郎の本を全部読んだわけじゃないけど。
茂木健一郎の卒業論文(だっけ?)の、ニューロンの同時発火云々も、だから何?って感じだし。まあ論文については、あまり言うと、茂木健一郎ではなく、茂木健一郎の論文をと通した教授を批判することになるから、言わないけど。「え?これが東大のレベル?」と思ってしまうけどね。
—
「その人しかできない能力」を身に着けるには、やっぱそてなりの時間を1つのことに費やさないと駄目です。そうでないと一生(誰でもできるような)雑用をやるしかなくなる。「これはこの人にしかできない」となれば、優遇して貰えるし、多少のわがままも通る。つまり組織内でやりたいことができる。
茂木健一郎は、本人が生きがいを感じてるなら「成長しなくていいんだ」とか言ってるけど、組織内で成長しないとやりたいことができないわけですよ。茂木健一郎は組織に所属しないで一人ぼっちで生きてるから、そう言ってられるだけで。いてもいなくてもいい人の意見は組織の中では通りません。
茂木健一郎の意見が組織の中で通らないのは、「マウントを取ってくる人がいる」からではなく、茂木健一郎がその組織にとって重要人物じゃないからですよ。茂木健一郎は60歳にもなってそういう社会の仕組みがわかってない。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 22:06
- 今日の茂木健一郎(2025-07-07)
意識がないからこそ、AGI、ASIが爆誕する? - YouTube
TRONの坂村健が茂木健一郎みたいな的外れなことを言ってて驚いた。まあ坂村健も73歳だから、甘利俊一(89歳)みたいによっぽどaiの専門家じゃないと最先端に追い付くのは難しいのかな。というか甘利俊一が異常な気がする。
よくインターネットはドッグイヤーだと言ってたけど、aiはインターネットに比べても数倍速い。どうなんだろう1980年代のパソコン業界の進歩の10年分が1年で進むような感覚に思える。
1980年代のパソコン業界で、5年後、10年後が「未来」だとすると、aiって1年後、2年後が「未来」なわけで。パソコン業界だって他の産業と比べれば進化が速かったと思うんだよね。俺は他の産業知らないけど。
—
将来のaiのことを考える文脈で、なぜ「今のchatgpt」を考えるのか。だって1年後、2年後には、chatgptだって進化してるわけですよ。というか数か月後かもしれない。
これまでの変化速度がわかってれば、それがわかると思うんだけどね。ただロボットを含めたaiの進化速度は、そこまで急激じゃないと思う。やっぱロボットは物理的な体を持ってる。特にバッテリーの問題が大きいし。メンテナンスの問題もある。家電はメンテナンスしなくても10年ぐらい動くけど、高性能な機械ってメンテナンスしないと、性能が維持できないわけですよ。
だから実験室の試作機では可能でも、社会で実用的に使われるロボットになるには大きなハードルがある。飛行機だってライト兄弟が飛行機を飛ばしてから、ジャンボジェット機が定期便として社会のインフラになるには時間がかかった。
—
その辺の感覚がわかってない人が多い。aiの進化速度を過小評価し、ロボットの進化速度を過大評価している。もちろんaiのgpuだって壊れていくわけだけど、サーバーだからメンテナンスはエンドユーザーが知らないところで行われてるわけですよ。
またaiの進化も両極端なんだよね。いま、この瞬間のchatgptができないことだからと言って、1年後、いや数か月後のchatgptならできるかもしれないことを「aiの限界」だと思ってる人が多い。茂木健一郎は言うまでもなく、他の人でもね。そういう人は大勢いるわけですよ。ただ坂村健までそうだったとは思わなかったけど。
一方、そこから先を考えると一気に、神にようなaiの想定になってしまう。人間が考えてることはすべてお見通しなai。いや、いくら高性能なaiだって、人間が感が照ることはわかりませんよ。そのための情報を人間がアウトプットしない限り。
—
予測能力は高くても、予測に必要な情報がなければ正しく予測できないという、ものすごく基本的なことがわからない人たちがいる。外から観察できることは情報収集できても、頭の中で考えてることは、その人が自主的に語らない限りわからないわけで。
ただ少しでも語れば、他の人間の行動パターンや思考パターンから、その人が語らなかったことも推測できるだろうけどね。それは大人が小さな子供の行動を予測できるのと同じ。子供が嘘をついても、親は見抜けるじゃん。茂木健一郎は見抜けないのかもしれないけどね。
例えば「僕、勉強していい子になるよ!」とか子供が突然言い出せば、「なんかあるな。お小遣いのおねだりかな」とか思うじゃん。
—
茂木健一郎はそういう「予測能力の限界」がわかってないじゃないの?「何もかもお見通し」というのは、人間の脳をMRIとかでスキャンでもしない限り無理ですよ。
でもなんかそれができないから、aiには意識がないんだとか、トンチンカンなことを言ってるような。意識を持ってるはずの人間だって他人が何を考えてるかわからないじゃん。だったらaiが人間がないをかんがえてるかわからないからといって、意識を持たないという根拠にはならないでしょ。
意識をもってるはずの茂木健一郎にもできることと、できないことがある。意識を持ってる別な人にもできることとできないことがある。茂木健一郎ができて別な人ができないこともあれば、別な人ができるのに茂木健一郎ができないこともある。
それはそれぞれの個性なわけで、当然aiにも個性があると考えるのが妥当でしょ?茂木健一郎ができることすべてをaiができないと、aiに意識はないというのは暴論です。
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なんかaiはすべての人間ができることがすべてできないと、意識を持ってないと言ってるようだけど、そんな論法なら人間にも意識がないことになると思うんだけどね。
なぜ人間に個性があるか?両立しない能力があるからですよ。能力Aを高める学習は、能力Bにとってマイナスの学習になる(ことがある)。これはaiの学習もそう。ある能力を高める学習をさせたら、別な能力が下がっちゃった、と。
まあそれぞれ得意なaiを作ればいいし、そういう研究はされてる。というかすでにいまあるaiにも部分的には組み込まれてる。三人寄れば文殊の知恵です。
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人間の場合リソース(脳の処理能力)に限界があるから、脳を半分に分けて2つのことがほどほど得意になるより、1つの分野に全力を尽くした方が、有利だと思うけどね。茂木健一郎は分けすぎです。100個ぐらいに分けてるから1つ1つの能力が常人の100分の1にwww。
茂木健一郎は「知識の暗記」しかできないから、この処理能力の低下が自覚できてない。暗記だけなら、上記のような能力Aと能力Bの二律背反は起きないわけで。
例えば格闘型の対戦ゲームは、お互い相手の次の動き、1秒後というか0.1秒後の相手の動きを予測して対処しなければならない。一方、チェスとか将棋は深読みが求められる。
[オラタン]タニタ杯2022_決勝トーナメント準決勝vsスペシネフ(えーぜ) - YouTube
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たとば1台で100のことを考えるaiを作ると、2つの組み合わせだと100x100=10000の計算量になる。でも10のことを考えるaiを10台作れば、10x10=100が10個あるわけだから、1000の計算量で済むわけですよ。分割することで10分の1の計算量に節約できる。
もちろん100x100のaiでないと計算できないこともあるだろうけどね。での多くのことが(10x10)x10のaiで用が足りるなら、その方がいい。計算速度も速くなるしね。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 20:58
- 今日のAI(2025-07-06)(3)
1999年といったら、Space1999でしょ。
Gerry Anderson’s Space:1999 Opening Titles (Season 1) - YouTube
でも考えてみたら、日本語版のopにはSeptember 13th 1999ってないな。
Space:1999 Japanese Main Titles Season 1 - YouTube
見比べてしまった。使われてる映像はほぼ同じだけど、順序が変わってる?
MechaAG 2025/07/06(Sun) 13:05
- 今日のAI(2025-07-06)(2)
ai先生との対話。最近注目されているリベラルアーツって何?と。いろいろな分野を学ぶことで、多角的な視点や問題解決能力の育成、固定観念からの脱却を目指すものだ、と。
でもそのためにいろいろな学問を学ぶのは効率悪すぎじゃないのか?と。むしろそういう「思考の枠組み」を各分野から抽出し、それ自体を学べば効率がいい、と俺。むろん個別の知識の有用性は認めるが。
そしたら「クリティカルシンキング」「デザイン思考」「システム思考」「ロジカルシンキング」「問題解決学」というのがある、とai先生。
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まあ確かにそういうのはビジネス書とかでよく出てくるから、現状はハウツー的なものにとどまってるのを、学問として熟成・昇華させたらいいじゃないか、と。
「思考の学問」っていいですね、とai先生。認知科学、哲学・論理学、データサイエンス、組織論などを包含した物が考えられそう、と。
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なんとなく昔のコンピュータサイエンスの位置づけを思い出させる。昔はコンピュータサイエンスという学問がなくて、いろいろな学問の一部として散らばっていた。
同様に「人間の思考」を扱う学問としての括りがあるといいんじゃ。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 12:06
- 今日のAI(2025-07-06)
「生成AI」(5) 坂村健・東京大学名誉教授 2025.5.23 - YouTube
ん~なんかつまらないことしか言ってないな。坂村健も老いた感じですかね…。
なんという凡庸さ。aiが「指示待ち」になってるのは、人間がそうしてるからですよ。そういうaiを人間が求めてるから。
こんなつまんない人になってしまったのか…。
いやいや、aiが会っても「解く力」は必要ですよ。自動車があれば人間は歩く必要ないと言ってるのと同じ。
やっぱaiの登場は一種のパニックを生み出してる感じかな。終戦による天皇の人間宣言レベルのカルチャーショック。aiを過大評価したり、過小評価したり。
そんなことないですよ。aiが人間の上司になってもいいわけで。だからさ、aiを「指示待ち人間」と捉えてるから、こういう発想しか出てこないわけで。
コードを書いてくれるけど、そのコードが正しいかはやっぱ人間が理解できないと駄目ですよ。理解できなくていいんだという人もいるけど、それは簡単なプログラムの話。
プログラムの難しさ、簡単さは「量」ではないから。量だけならコードの大部分は簡単なコードなわけで。
この問題だけど、やっぱ「下積み」をやらせると思うよ。だってそうしないと、この人が言ってるように育たないから。
この「そばもん」のマンガがすべてだと思うよ。人間は手打ちの技術を習得した上で、必要なところは機械に任せてる。
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う~ん、これはどうだろう。まあ1つの考え方としてはありかもね。
まあこれはその通りだな。「aiは平凡な答えしかしない」とか言ってる人は、平凡な質問しかしないからですよwwww。
なにこれ。有名人が日本のaiについて議論してる。でも言ってることはその辺に転がってるような内容だけwww。やっぱ演技じゃ駄目なんじゃ。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 11:47
- 今日のビジネス(2025-07-06)
戸田覚 【一気に来てる】AIで音声データの価値爆増中。これからは、何でもかんでも録音だ! - YouTube
3年後には契約書がなくなる、と。すべて録音しておけば、行き違いがなくなる、と。え~そんなことないでしょ。「そういう意味で言ったんじゃない」ってなるはずwww。
別に音声が重要なのはaiと関係ないと思うんだけどね。文字起こしできるかどうかは本質ではないじゃん?
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仕事中に喋った内容はすべて録音される時代があっという間にくる、と。この人は「人間は新しいものに抵抗する」ってのを知らないのかな。
文筆業の人って「こうなるだろう」と言ってるだけだからね。それを現場で実行するのがどれだけ大変かを知らないだろうな。中高生が理想論を語ってるような。
まあなるかもしれないし、ならないかもしれない。
「仕事中には何を喋ったかは自分で責任持たなきゃいけない」と。そうだけど、なんかこの人は嫌なことあったですかねwww。
「会社は給料払ってるんだから」と。大昔からそうだけどね。別に最近そうなったわけじゃないですよ?
戸田覚はサラリーマンをやったことないからわからないのかもしれないけど、サラリーマンって常にそばに上司がいるわけですよwww。監視されてるwww。会議の場でも。
ああ、そいうか小さな下請け会社との打ち合わせは、上司がいなくて担当者だけのことも多いかな。下請け会社でも重要な仕事の場合は、数人が同席するけど。だって何億円もの取引を1人の担当者に任せたら怖いじゃん。でも100万円とかの取引なら1人だろうね。たまに上司が出てくるぐらいで。
だから戸田覚はサラリーマンのそういう場面しか見てないじゃない?
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音声が重要になる…逆だと思うけどな。全部aiが文字起こししたものを見ればいいわけで、だったらそもそも人間が喋る必要もないじゃん?まあ戸田覚は喋るのが仕事だから、そう考えないだけで。
まあこの辺は他人の仕事を否定するわけじゃないけどね。むしろテキストを音声として聞きたい場合に、aiの読ませればいいだけだと思う。ラジオみたいに何かやりながら聞くというのは、価値があるからね。google notebooklmとかの音声での要約とか。
人間が喋らなくていい時代になると俺は思うけどね。喋りたい人はしゃべってもいいけど、それを相手は聞かないで、aiに文字起こしさせて、aiに要約させて、aiに喋ってもらって、人間はそれを聞く、と(笑。でもそれならそもそも人間が喋る必要ないじゃん。戸田覚は喋るのが仕事だからそう思うだけで。
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講演を聞いてる時に…と。申し訳ないが俺は講演って時間の無駄からほとんど言ったことがない。どんな偉い人の講演でもね。きっとそれは音楽の生演奏みたいな、独特の価値観を求めるんだろうけど、俺はそういうの要らないです。
これは俺がひねくれてるのかもしれないけど、「○○先生の講演を聞いて素晴らしかったです」というのが俺には理解できない。その人の著書に書いてあるようなことばかりでしょ?書いてないこともしゃべるかもしれないけど、重要なことならそのうち著書に書くじゃないの。
自分から講演を聞きに行ったのは1回しかないような。ビルゲイツが来日した時。ただそれも別に講演を聞きたかったというのではなくて、まあ俺もいろいろ悩みや迷いはあるわけで、自分の中の踏ん切りをつける儀式として、聞きに行ったって感じかな。俺だって転職しようかとか悩むこともあるわけで。
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だから情報を得るために講演にいったことはない。会社から言われてなんかの講演に行ったことはある気がするけど、全然覚えてないな。内容どころかどんな講演に行ったかも覚えてない。
自営業の人は知り合いになったり、顔つなぎとか、そういう意味があるんだろうけど。営業の人とかもね。もちろんエンジニアも。あ、俺が特殊だってだけで、すべてのエンジニアが俺と同じってことはないからね。
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今は自分で資料を作り上司に提出してるが、数年後には自分が喋ったことをaiがまとめてくれて上司に提出してくれる時代になる、と。う~ん、戸田覚は「書く」より「喋る」方が便利だという考え見体だけど、俺は逆だけどね。
俺は「喋る」のと「考える」のが同時にできない。たぶん戸田覚や他のyoutuberの人も、「喋りながら考える」ってのができるんだろうけど、俺はできないんですよ。「書く」のと「考える」は同時にできるけど。
あくまで俺の言い分としては、「書く」のは自分がすでに書いたものを読みながら書けるじゃないですか。でも喋るのってそれができないじゃん?自分がどこまで喋ったか覚えてないとならない。お前はその程度のことができないのかって?できないんですよwww。
考えてると、どこまで喋ったか、わからなくなるwww。すでに喋ったつもりになって、途中を飛ばして、結論だけ言ってしまうとか。「だから○○だと思う」「おまえ、そのだからって、どこから続いてるんだ?」と。
たぶん無口な人って俺と同じだと思う。多弁な人にはわからない苦労があるわけですよwww。
自分がばーっと喋ったことをaiがばーっとまとめて綺麗な資料を作ってくれる、と。う~んまあ俺の場合、口頭で喋れるような単純な資料を作ってるわけじゃないので。
俺の場合じゃなくても、ビジネスの資料ってそういうレベルじゃないと思うけどね。まあやってる仕事がこの人とは違うのかな。失礼ながら、この人はあまりたいした資料を作ったことがないんじゃ?
ああ、そうか。たとえばこの人がyoutubeで喋ってるような内容を紙の資料にするとかなら、いいかもね、なんか最近は講演とかやってるんだっけ?でも「講演の資料」と「ビジネスの資料」は違いますよ。講演というのは「楽しくて、わかりやすければ」いいわけじゃん。
ビジネスの資料はそれをもとに重要な判断をするわけで、そういうものじゃないです。
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aiの使いどころとしてdeep researchでリサーチの資料を作るのに便利らしい。「らしい」というのは、俺は上手くいかないwww。そもそもリサーチって仕事で流行らないし。興味本位に「こういうデータ調べて」と言ってもなんか、俺が求めるものが出てこない。
まあ俺が下手なだけかもしれない。使いこなしてる人も多いみたいだから。「おまえはaiも使いこなせないのか」って言われる立場になるかも。でも何度かやってみてるけど、上手くいかないんだもん。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 10:50
- 今日の茂木健一郎(2025-07-06)(8)
いろいろ経験してから、フォーカスすること。 - YouTube
生きがいを感じている時、人は別に成長しなくてもいい - YouTube
茂木健一郎は昨日と今日で言ってることが違うどころか、1日のうちでも言ってることが逆なんだよね。「いろいろ経験すべきだ」と言ったり、同じことを繰り返してもいいんだ、と言ったり。
なんで矛盾したことを恥ずかしげもなく言えるのかわからない。同じことをやってたら、いろいろ経験できないじゃん?www。
あ、それとも茂木健一郎は「生きがいを感じてない」から、いろいろやってるのかな?生きがいを見つけるために?まあそれなら、わからないでもないけどね。でも60歳で生きがいを見つけられないって、不幸だと思うけどね。
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まあでも茂木健一郎は「やりたいこと(生きがい)がない」ってのは、そうだと思うよ。だからいろいろなことをやってるわけじゃん。やりたいことがあれば、ずっとそれをやるわけですよ、人間は。サッカーであれ、登山であれ、プログラミングであれ。
茂木健一郎はやりたいことがないから、いろいろなことをつまみ食い的にやって暇つぶしをしてる。
茂木健一郎が「やりたいこと(いきがい)が見つからない」のは、やっぱ1つのことを一定のレベル以上深められないからだと思うよ。だからすぐに壁に突き当たってしまって、つまらなくなってしまう。
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簡単なことしかやらないから、過ぎに飽きてしまうわけですよ。
簡単なこと=暗記・基礎
簡単じゃない事=理解・応用理解というのは暗記に比べて格段に複雑な作業。
初心者が聞きかじったレベル=暗記が大半
専門家のレベル=理解が大半茂木健一郎は「理解」ができないから、専門家のレベルに到達できない。だからすぐに行き詰って、つまらなくなってしまう。脳科学とかも本や論文を暗記してるだけじゃん。理解していない。
それこそ茂木健一郎が批判しているaiと同じですよ。暗記してることを答えてるだけwww。
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茂木健一郎はなぜ他の人間が「暗記してないこと」を答えられるか?がわからないわけでしょ。それが「理解」なんだけど、茂木健一郎は「理解」というものがわからない。
そんで茂木健一郎のコンピュータのイメージは「暗記したものを答える機械」だから、コンピュータに、暗記してないことを答えられるわけがない。aiに創造性などない、と。
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ペンローズについては、ゲーデルの不完全性定理を過大評価してるんですよ。まあ過大評価なんて言ったら、怒られちゃうかもしれないけど、不完全性定理ができたのは100年近く前だよ。1931年だよね。コンピュータがない時代。地動説もそうだし、相対性理論もそうだけど、発表された当時は画期的でも、100年経てばそうでもなくなるわけですよ。
以前も言ったけど不完全性定理を形式主義に対する否定ととらえてるようだけど、そもそも不完全性定理自体が形式主義で記述されてるわけで、むしろ形式主義の勝利だと思うけどね。
え?過大評価とか勝利だとか、なに主観的なことを言ってるのかって?だってペンローズのこの部分の主張がそもそも主観的なんだからしょうがないじゃん。え?科学がしゅかんてきでいいわけないだろうって?そうですよ。だからペンローズの量子脳理論は専門家から評価されていない。科学としてはね。与太話です。
ノーベル賞学者に失礼だろうって?別に俺が言ってるわけじゃなくて、他の研究者、ノーベル賞級の他の専門家も言ってるわけですよ。茂木健一郎はそういう都合の悪い情報が耳に入らないみたいだけどね。ペンローズの「皇帝の新しい心」(1994年)も30年前の本だしね。
コンピュータの発達で非線形な物の解析が容易になった点が大きいと思う。人間はどうしても方程式を解いて…となるから、解けない方程式は扱いにくかった。でもコンピュータならシミュレーションで答えが出せるわけで。30年前から格段に進歩してる。数学の証明にコンピュータが使われることも珍しくなくなった。最近のai以前からね。
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茂木健一郎は、科学者が「言う」ことがすべて、科学だと思ってないですか?ノーベル賞学者だって、いい加減なことは言うわけですよ。いいじゃないですか?何が問題なんです?確実なことしか言えなかったら窮屈でしょ?
MechaAG 2025/07/06(Sun) 09:10
- 今日の茂木健一郎(2025-07-06)(7)
生きがいを感じている時、人は別に成長しなくてもいい - YouTube
プロの思考というのをちょっとだけ語ってあげる。と言っても難しい話じゃなくてね。俺は1人ぐらい市の頃、スクランブルエッグを良く作っていた。早くできていいじゃん?普通の卵焼きや目玉焼きより早くできる。
適当の作ってずっと食べてたんだけど、ある時こんな記事を目にした。フランパンの上で適切な硬さになるまで炒めては駄目だ、と。フライパンから皿に移して、さらに食べるまでの時間、どんどん卵は自身の熱で加熱されていくから、必要以上に固くなってしまう、と。
なのでその分を差し引いてフライパンでの過熱をやめなければ、おいしいスクランブルエッグはできない、と。
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俺としては目からうろこだったわけですよ。確かにその通りにやった方が美味しい。同時に「俺はこれまでたくさんのスクランブルエッグを作ってきたのに、一度もそんなこと考えなかった」と。
料理人だって最初は俺みたいに痛めてたんだと思う。でも「もっと美味しくできないか?」「まだ何か改良する点がないか?」と考え続けた結果、そういう点に気づいたのだと思う。
つまり常に「もっと」「さらに」と考える姿勢がプロなわけですyお。
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これはプログラミングもそうで、俺はプログラミングの専門家だから、そういうことを考えてプログラミングをしてきた。思いつくままに書いて、動いてるからそれでいいや、といういい加減がコードが許せなかった。なぜもっといいコードを書く努力をしないのか?と。なぜそこで思考停止してしまうんだ、と。
でもスクランブルエッグに関しては俺は素人だったわけですよ。「どうすればもっと美味しくできるか?」を考えなかった。なんとなく作って、とりあえず食べられるからこれでいいや、と。
そういうのは、もし俺がプログラマではなく料理人だったら、許しがたい行為に思うはず。料理に対する冒涜だ、と。だってプログラムに関してはそう感じるんだもん。だからきっと料理人は料理に対してそう感じてるはず。
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こういうのが、ソフトウェア開発と料理という全然違う分野に共通するプロの思考。でも茂木健一郎は思考停止してるじゃん。俺のスクランブルエッグと同じですよ。まあなんとなくそれっぽいものができたから、これで十分だ、と。許しがたいですよ。冒涜です。
俺だけでなく茂木健一郎を批判する人は、茂木健一郎のそういう部分を批判してるですよ。個々のウケウリの知識ではなくてね。ほんと茂木健一郎は自分のどういうところが批判されてるかも、わからないんだよな。
思考停止しないでどこまで考え続けられるか?がその人のプロとしての能力なわけですよ。茂木健一郎は小学生レベル。ちょっと考えて「この先はわかりませーん」と。それが人生を舐めてる点です。
茂木健一郎自身がそういう生き方をするのは勝手だけど、そのレベルで他人がやってることを批判するから、「わかってない人間が偉そうに」と言われる。俺みたいに口に出さなくても、心の中でみんなにそう思われるわけですよ。
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「茂木健一郎って人はここまで深く考えてるのか!」と誰もが驚愕するレベルまで思考停止せずに考えてるなら、非常識なこと、過激なことを言っても、現状のようには批判されない。別な批判はされるかもしれないけど、それはむしろ誇っていい批判のされ方。
でも茂木健一郎は、未熟な小学生がプロに向かって、わかった風な口をきいてるレベルだから、軽蔑されるわけですよ。
浅く気楽に生きるのは結構だけど、だったら他人を批判しないことです。他人を批判する資格はありません。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 07:18