MechaAG
- 今日の茂木健一郎(2025-07-07)(2)
お互い、「らしく」生きるためには、お互いに決めつけないことが大切。 - YouTube
「僕は僕らしく生きたい」と決めつけるのは自分の多様性を制限してる、と。いや、だからさ、茂木健一郎は言葉を額面通り解釈しすぎなんですよwww。
なんでそういう辞書的な意味を馬鹿正直に受け取るのかな。もしかして茂木健一郎って生成ai?「僕は僕らしく」という言葉の後に何が続くか、統計的に予測してるのwww。
「人間は本当のことを言わない」という人間社会で生きていく上で不可欠なことを学び損なってる。基本のキなわけですよ。たとえば掛け算の九九を間違って覚えてたら、その後の方程式とか三角関数とかすべて間違うわけじゃん。
茂木健一郎は「他人の言葉を真に受けない」という非常に重要なことを学べてないwww。
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「僕は僕らしく生きたい」というのは、「常にそう生きる」という意味ではなくて、「それが適切な時だけ」そう生きる、という宣言なわけですよ。
だから実際には何も自分の行動を制限してないわけですよ。その程度のことがわからないのは、茂木健一郎が他人とコミュニケーションしてないからですよ。
コミュニケーションしてれば、人間の会話がどれだけ辞書的な意味からかけ離れてるか、わかるはずなのに。そういうのを小学校~高校で学ぶのに。だいたい10代の頃学ぶわけですよ。その頃「大人はうそつきだ」とかよく文句を言うじゃないですか。でもそのうち言わなくなる。「みんな嘘をつき合ってるんだ、言葉は額面通りの意味じゃないんだ」とわかるからですよ。
なのに茂木健一郎は60歳になっても、それがわかってないwww。
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さて、「自分が自分を決目つける」問題は上述の通り。単なる茂木健一郎の国語力の欠如による誤解です。じゃあ他人を決めつける問題。まあこれは割とその通りだと思うよ。「茂木健一郎はこういう人間だ」「トランプ大統領はこういう人間だ」「イーロンマスクは、スティーブジョブズは、ペンローズは、養老孟司は」と。
でも茂木健一郎だって他人を決めつけてるじゃん?茂木健一郎は養老孟司を尊敬してるでしょ?ペンローズを尊敬してるでしょ?それは「養老孟司はこういう人間だ」「ペンローズはこういう人間だ」と決めつけて、その決めつけに対して尊敬の念を抱いてるわけでしょ。
たとえば茂木健一郎が時々youtubeで一緒に散歩してる哲学者の人。茂木健一郎は「この人はこういう人間だ」と決めつけてるから、安心して一緒にいられるわけでしょ?茂木健一郎に対してマウントを取ってくる嫌な人間だったら、一緒に散歩しないでしょ。
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要は人間は決めつけて行動してるわけですよ。「決めつけ=予測能力」なわけで。逆に決めつけると何が問題なの?別に何の問題もないと思うけど。
たぶん茂木健一郎は自分が「茂木健一郎はこういう人間だ」と決めつけられると、不快なんじゃないの?「俺はそんな人間じゃねー。お前に俺のなにがわかるんだ」と。
でもそれは単なる一時的な感情であって、実害はないでしょ?何か問題があるの?不快さぐらい我慢すればいいことでしょ。
—
それとも「茂木健一郎は気まぐれで、和を乱す人間だ」と決めつけ、「だから茂木健一郎をチームに入れるのはやめよう」とか、そういう話。それは確かに実害があるけど、でもそれはしょうがないじゃん。
茂木健一郎だって嫌な人間と一緒にいたくないでしょ?他の人だって茂木健一郎が嫌な人間だと感じれば、一緒にいたくないわけですよ。
—
社会の中でも政治思想などで分類する傾向がある、と。まあそうだけど、それが何の問題なの?生物を「犬」や「猫」に分類するのと何が違うの?
犬や猫は客観的・雅楽的に分類できるけど、人間を思想で分類することは科学的でも客観的でもないって話?まあでもそもそも犬や猫だって「分類する必要がある」というのが、最初にあって、その精度を高めていった結果、科学が発達したに過ぎないわけですよ。
もし科学が発達してなくても、人間は犬と猫と分類したと思うよ。主観や思い付きでね。「僕はこれは猫とだと思う」「俺はこれは犬だと思う」と。馬とか鹿とかも。
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科学的である方が望ましくはあるけど、科学的でないなら分類しちゃいけないというのは、おかしいわけですよ。なぜ人は分類するか?必要性があるからですよ。牛と豚は人間にとって用途が違う。逆に人間の生活にあまり関係ない生物の分類は、いい加減になる。
つまり人間は「分類する必要がある」から、分類するわけですよ。政治思想による分類もそう。「分類」が必要なのであって、必ずしも正しい分類でなくてもいいわけ。もちろん正しい分類の方が望ましくはあるけどね。
茂木健一郎の思考って全部こんな感じなんだよね。現実的に「必要性」があって行われてることを、それを取り払って「正しさとは?」「真実とは?」みたいな浮世離れした思考ばかりしている。
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まあ俺も浮世離れした話も嫌いじゃないけど、それと現実的な問題は別です。茂木健一郎は現実世界に関わってないから、浮世離れした思考しかしない。
大人なら、理想は理想、現実は現実と分けなければ駄目です。現実を無視して理想論だけ言ってると「役に立たない人間」と決めつけられてしまいますwww。
「あいつ一流大学卒なのに、現実の仕事が全然できないな」とかってよくあるじゃん。ああ、茂木健一郎にとっては「政治問題」というのは現実的な仕事じゃないってことなのかな。娯楽ですか?そんな感じだよね。茂木健一郎がメディアの討論会で喋ってるのも、全部「娯楽」モードなんだよね。
まあメディアの討論会ならいいけど、仕事の会議でそれをやると、追い出されます。追い出されるというのは比喩で、実際にはいろいろ理由をつけて、だんだん会議に呼ばれなくなる。仕事の会議は「現実」の問題の対処方法を決める場だからね。
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「この人はこうだと名前ができたとする」と。分類の名前ってことかな。例えば共産主義者とかナチズムとか。ふむ、それで?
名前ができたからと言ってその人は常にそうしなければならないわけじゃない、と。また変なことを言い出したwww。
分類というのはその人のために分類するわけじゃないでしょうが。犬と猫を分類するのは人間の都合であって、犬や猫のためじゃないよねwww。
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分類というのは分類する側の利便性のためであって、分類される側の事情なんて、知ったこっちゃないわけですよ。別にどう分類されても、その人は自分で自由に生きればいいじゃないですか。
まあでも不便になるかもしれないけどね。例えば「この人は過去に口論で人を殴ったことがある」という分類は、その人にとって不便かもしれないけど、他人にとっては必要な分類なわけですよ。
なので不利益になるような分類をされないように、行動には気を付ける、すなわち自分で自分の行動に制限をかけることは必要。「いや、俺はそんなこと嫌だ、自由に生きるぜ」という人は「自分勝手に自由に生きる人」に分類されるわけですよ(大笑。
「自分勝手に自由に生きる人」という分類は、その人にとってかなり不利益をもたらすけど(いろいろな場から排除されるとか)それを承知の上でならいいんじゃないの。
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茂木健一郎は「自分勝手に生きたい」が他人から「自分勝手な人間」と分類されるのが嫌なわけでしょ。でもそれはわがまま過ぎです。他人は必要があるから分類するわけですよ。
そりゃ茂木健一郎にとっては分類されない方がいいかもしれないけど、他人にとっては必要な分類なわけで。
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「決めつける」と「多様性」が失われる、と。これも意味不明なんだよね。決めつけると何が問題なのか、これだけ茂木健一郎の動画を見てる俺にもわからない。決めつけるとどういう多様性が失われるの?もっと具体的に言ってくれないと。
たとえば「おまえはこういう人間だ」と決めつけられると、そういう人間としての行動しかできなくなるって意味?そんなことないでしょ。自分がどう行動するかは自分の自由じゃん?
そもそも他人に決めつけられたからと言って、その通り行動する人間がいるの?むしろその人がその通り行動するなら、その決めつけが正しかったってことじゃん?そうでしょ?ほんと茂木健一郎は議論が逆立ちしている(笑。
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決めつけは、生命の自由を奪ってしまうことになる、と。どういう理屈で奪われるわけ?そこを説明してくれないと。たとえば就職で「この人間は営業職に向いている」「この人間は開発職に向いている」と決めつけられるけど、それは仕方のないことじゃん。
不満なら転職するしかない。だってそうやって役割分担をしないと組織は維持できないわけで。まさか茂木健一郎はそんなこともわからないのかな?「全員が白雪姫」みたいな?
どうしてもやりたいことがあるなら、自分の力で獲得するしかないわけですよ。実力でその地位(役割)をもぎ取るしかない。成功者はみんなそうしてきたわけで。
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組織内の役割分担と、なんか哲学的な「決めつけ」の話がごっちゃになってるじゃないのwww。役割分担は必要なわけですよ。あんたはこの作業をやってください。あなたはあの作業をやってください、と。誰もがやりたい作業をできるわけじゃない。それが大人の社会です。
茂木健一郎は本気で言ってるなら、やっぱ頭の中が小学生のままなんだろうね。小学生なら「やりたいことをのびのびとやりましょう」でいいけどさ。それでも組織的な行動は小学生でも求められるよね。運動会とか学芸会とか、遠足とか。「あなたは○○の係です」と。
きっと茂木健一郎は小学生の頃からそういうのが嫌だったんだろうけどね。「協力する」というのは「組織的に行動する」ということですよ。
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ああ、そうか、茂木健一郎は「協力=組織的な行動」というのがわからないのかもね。茂木健一郎は、おばあさんの荷物を持ってあげるとか、そういう個人的な親切を、協力だと思ってるのかもね。
ああ、そんな感じだ。「(個人的な)親切」と「(組織的な)協力」がわかってない。それで茂木健一郎はとしては虚力してるつもりなのに、みんなから非協力的だと評価されて、ムカつくじゃ。60年間ムカつき人生。
でも茂木健一郎が考えてる「協力」というのは、世間一般が考えてる強力ではないわけですよ。例えばサッカーで協力し合うというのは、組織的に行動するということです。気まぐれで行動したら、いくらそれが親切心から出たものであって、非協力的な行動とみなされます。
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おかげさまでまた1つ茂木健一郎に関する理解が深まりましたよ。たぶん俺は日本で一番茂木健一郎のことを理解してると思うよ。茂木健一郎の家族より俺は茂木健一郎のことを理解してると思う。
そりゃ茂木健一郎の家族は、茂木健一郎の言動を俺より知ってるだろうけど、言動の動機が、極めて難解なわけですよ。なぜ茂木健一郎がそういう言動をするのか?どこでなにを茂木健一郎は勘違いしてるのか。
今回の成果。茂木健一郎は「親切」と「協力」能別がついていない。「協力」とは「組織的行動」の意味を含むということがわかっていない。
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俺だって本当はパソコンのアプリケーションのソフトウェアを作りたかったんですよ。でも産業用ロボットのソフトウェア開発の仕事をすることになってしまった。まあ、やってみたら思いのほか面白かったからいいけど。何でも自分の思い通りにはいきません。
考えてみれば大学で制御工学とか勉強したから、それや会社としてはそういう配属になるよな、と今ならわかりますよ。今なら。でも当時はそこまで考えなかったwww。だって俺が大学の頃は「パソコンのアプリケーションの作り方」を勉強する学部や学科なんてなかったわけで。
まあでも今は、アプリケーション開発じゃなくてよかったとさえ思う。産業用ロボットの開発って、国内外のいろいろな企業と共同開発が多くて、いろいろ経験できた。もしアプリケーション開発の仕事だったら、もともと出不精な性格だから、ずっと会社の机に向かってプログラムを組んでるだけだったと思う。まあそれはそれで楽しかったと思うけどね。
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上司になった時も、最初は嫌で嫌でね~。俺は自分でプログラムを書きたいのに、部下に書かせる仕事って、他人が美味しい料理を食べてるのを見てる役目としかwww。俺だったらこうするのに、と。
「こうした方がいいじゃない」と部下にアドバイスしても「俺の好きにやらせてください」と反発するし。かつての俺みたいにwww。自分がこんな目に合う日が来るとは、夢にも思いませんでしたよ。
でもまあこれもやってると、面白さに気づいた。他人に「強制される」のって悪くないんですよ?自分が知らない自分を発見できる。それこそ「俺はアプリ開発がやりたいんだ」「俺は管理職じゃなくて現場の仕事がやりたいんだ」と自分で決めつけてたと言える。それを打破してくれたのが「他人からの強制」ですよ。「これをやれ」と。
茂木健一郎は強制をすべて拒否してきたから、自分の殻を破れてない。「自分はこういう人間だ」と決めつけてるのは茂木健一郎の方です。「自分は組織に向かない」と決めつけてるわけでしょ?最初は嫌でも我慢してやってみると、別な世界が発見できるのに。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 22:06
- 今日の茂木健一郎(2025-07-07)
意識がないからこそ、AGI、ASIが爆誕する? - YouTube
TRONの坂村健が茂木健一郎みたいな的外れなことを言ってて驚いた。まあ坂村健も73歳だから、甘利俊一(89歳)みたいによっぽどaiの専門家じゃないと最先端に追い付くのは難しいのかな。というか甘利俊一が異常な気がする。
よくインターネットはドッグイヤーだと言ってたけど、aiはインターネットに比べても数倍速い。どうなんだろう1980年代のパソコン業界の進歩の10年分が1年で進むような感覚に思える。
1980年代のパソコン業界で、5年後、10年後が「未来」だとすると、aiって1年後、2年後が「未来」なわけで。パソコン業界だって他の産業と比べれば進化が速かったと思うんだよね。俺は他の産業知らないけど。
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将来のaiのことを考える文脈で、なぜ「今のchatgpt」を考えるのか。だって1年後、2年後には、chatgptだって進化してるわけですよ。というか数か月後かもしれない。
これまでの変化速度がわかってれば、それがわかると思うんだけどね。ただロボットを含めたaiの進化速度は、そこまで急激じゃないと思う。やっぱロボットは物理的な体を持ってる。特にバッテリーの問題が大きいし。メンテナンスの問題もある。家電はメンテナンスしなくても10年ぐらい動くけど、高性能な機械ってメンテナンスしないと、性能が維持できないわけですよ。
だから実験室の試作機では可能でも、社会で実用的に使われるロボットになるには大きなハードルがある。飛行機だってライト兄弟が飛行機を飛ばしてから、ジャンボジェット機が定期便として社会のインフラになるには時間がかかった。
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その辺の感覚がわかってない人が多い。aiの進化速度を過小評価し、ロボットの進化速度を過大評価している。もちろんaiのgpuだって壊れていくわけだけど、サーバーだからメンテナンスはエンドユーザーが知らないところで行われてるわけですよ。
またaiの進化も両極端なんだよね。いま、この瞬間のchatgptができないことだからと言って、1年後、いや数か月後のchatgptならできるかもしれないことを「aiの限界」だと思ってる人が多い。茂木健一郎は言うまでもなく、他の人でもね。そういう人は大勢いるわけですよ。ただ坂村健までそうだったとは思わなかったけど。
一方、そこから先を考えると一気に、神にようなaiの想定になってしまう。人間が考えてることはすべてお見通しなai。いや、いくら高性能なaiだって、人間が感が照ることはわかりませんよ。そのための情報を人間がアウトプットしない限り。
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予測能力は高くても、予測に必要な情報がなければ正しく予測できないという、ものすごく基本的なことがわからない人たちがいる。外から観察できることは情報収集できても、頭の中で考えてることは、その人が自主的に語らない限りわからないわけで。
ただ少しでも語れば、他の人間の行動パターンや思考パターンから、その人が語らなかったことも推測できるだろうけどね。それは大人が小さな子供の行動を予測できるのと同じ。子供が嘘をついても、親は見抜けるじゃん。茂木健一郎は見抜けないのかもしれないけどね。
例えば「僕、勉強していい子になるよ!」とか子供が突然言い出せば、「なんかあるな。お小遣いのおねだりかな」とか思うじゃん。
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茂木健一郎はそういう「予測能力の限界」がわかってないじゃないの?「何もかもお見通し」というのは、人間の脳をMRIとかでスキャンでもしない限り無理ですよ。
でもなんかそれができないから、aiには意識がないんだとか、トンチンカンなことを言ってるような。意識を持ってるはずの人間だって他人が何を考えてるかわからないじゃん。だったらaiが人間がないをかんがえてるかわからないからといって、意識を持たないという根拠にはならないでしょ。
意識をもってるはずの茂木健一郎にもできることと、できないことがある。意識を持ってる別な人にもできることとできないことがある。茂木健一郎ができて別な人ができないこともあれば、別な人ができるのに茂木健一郎ができないこともある。
それはそれぞれの個性なわけで、当然aiにも個性があると考えるのが妥当でしょ?茂木健一郎ができることすべてをaiができないと、aiに意識はないというのは暴論です。
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なんかaiはすべての人間ができることがすべてできないと、意識を持ってないと言ってるようだけど、そんな論法なら人間にも意識がないことになると思うんだけどね。
なぜ人間に個性があるか?両立しない能力があるからですよ。能力Aを高める学習は、能力Bにとってマイナスの学習になる(ことがある)。これはaiの学習もそう。ある能力を高める学習をさせたら、別な能力が下がっちゃった、と。
まあそれぞれ得意なaiを作ればいいし、そういう研究はされてる。というかすでにいまあるaiにも部分的には組み込まれてる。三人寄れば文殊の知恵です。
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人間の場合リソース(脳の処理能力)に限界があるから、脳を半分に分けて2つのことがほどほど得意になるより、1つの分野に全力を尽くした方が、有利だと思うけどね。茂木健一郎は分けすぎです。100個ぐらいに分けてるから1つ1つの能力が常人の100分の1にwww。
茂木健一郎は「知識の暗記」しかできないから、この処理能力の低下が自覚できてない。暗記だけなら、上記のような能力Aと能力Bの二律背反は起きないわけで。
例えば格闘型の対戦ゲームは、お互い相手の次の動き、1秒後というか0.1秒後の相手の動きを予測して対処しなければならない。一方、チェスとか将棋は深読みが求められる。
[オラタン]タニタ杯2022_決勝トーナメント準決勝vsスペシネフ(えーぜ) - YouTube
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たとば1台で100のことを考えるaiを作ると、2つの組み合わせだと100x100=10000の計算量になる。でも10のことを考えるaiを10台作れば、10x10=100が10個あるわけだから、1000の計算量で済むわけですよ。分割することで10分の1の計算量に節約できる。
もちろん100x100のaiでないと計算できないこともあるだろうけどね。での多くのことが(10x10)x10のaiで用が足りるなら、その方がいい。計算速度も速くなるしね。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 20:58
- 今日のAI(2025-07-06)(3)
1999年といったら、Space1999でしょ。
Gerry Anderson’s Space:1999 Opening Titles (Season 1) - YouTube
でも考えてみたら、日本語版のopにはSeptember 13th 1999ってないな。
Space:1999 Japanese Main Titles Season 1 - YouTube
見比べてしまった。使われてる映像はほぼ同じだけど、順序が変わってる?
MechaAG 2025/07/06(Sun) 13:05
- 今日のAI(2025-07-06)(2)
ai先生との対話。最近注目されているリベラルアーツって何?と。いろいろな分野を学ぶことで、多角的な視点や問題解決能力の育成、固定観念からの脱却を目指すものだ、と。
でもそのためにいろいろな学問を学ぶのは効率悪すぎじゃないのか?と。むしろそういう「思考の枠組み」を各分野から抽出し、それ自体を学べば効率がいい、と俺。むろん個別の知識の有用性は認めるが。
そしたら「クリティカルシンキング」「デザイン思考」「システム思考」「ロジカルシンキング」「問題解決学」というのがある、とai先生。
—
まあ確かにそういうのはビジネス書とかでよく出てくるから、現状はハウツー的なものにとどまってるのを、学問として熟成・昇華させたらいいじゃないか、と。
「思考の学問」っていいですね、とai先生。認知科学、哲学・論理学、データサイエンス、組織論などを包含した物が考えられそう、と。
—
なんとなく昔のコンピュータサイエンスの位置づけを思い出させる。昔はコンピュータサイエンスという学問がなくて、いろいろな学問の一部として散らばっていた。
同様に「人間の思考」を扱う学問としての括りがあるといいんじゃ。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 12:06
- 今日のAI(2025-07-06)
「生成AI」(5) 坂村健・東京大学名誉教授 2025.5.23 - YouTube
ん~なんかつまらないことしか言ってないな。坂村健も老いた感じですかね…。
なんという凡庸さ。aiが「指示待ち」になってるのは、人間がそうしてるからですよ。そういうaiを人間が求めてるから。
こんなつまんない人になってしまったのか…。
いやいや、aiが会っても「解く力」は必要ですよ。自動車があれば人間は歩く必要ないと言ってるのと同じ。
やっぱaiの登場は一種のパニックを生み出してる感じかな。終戦による天皇の人間宣言レベルのカルチャーショック。aiを過大評価したり、過小評価したり。
そんなことないですよ。aiが人間の上司になってもいいわけで。だからさ、aiを「指示待ち人間」と捉えてるから、こういう発想しか出てこないわけで。
コードを書いてくれるけど、そのコードが正しいかはやっぱ人間が理解できないと駄目ですよ。理解できなくていいんだという人もいるけど、それは簡単なプログラムの話。
プログラムの難しさ、簡単さは「量」ではないから。量だけならコードの大部分は簡単なコードなわけで。
この問題だけど、やっぱ「下積み」をやらせると思うよ。だってそうしないと、この人が言ってるように育たないから。
この「そばもん」のマンガがすべてだと思うよ。人間は手打ちの技術を習得した上で、必要なところは機械に任せてる。
—
う~ん、これはどうだろう。まあ1つの考え方としてはありかもね。
まあこれはその通りだな。「aiは平凡な答えしかしない」とか言ってる人は、平凡な質問しかしないからですよwwww。
なにこれ。有名人が日本のaiについて議論してる。でも言ってることはその辺に転がってるような内容だけwww。やっぱ演技じゃ駄目なんじゃ。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 11:47
- 今日のビジネス(2025-07-06)
戸田覚 【一気に来てる】AIで音声データの価値爆増中。これからは、何でもかんでも録音だ! - YouTube
3年後には契約書がなくなる、と。すべて録音しておけば、行き違いがなくなる、と。え~そんなことないでしょ。「そういう意味で言ったんじゃない」ってなるはずwww。
別に音声が重要なのはaiと関係ないと思うんだけどね。文字起こしできるかどうかは本質ではないじゃん?
—
仕事中に喋った内容はすべて録音される時代があっという間にくる、と。この人は「人間は新しいものに抵抗する」ってのを知らないのかな。
文筆業の人って「こうなるだろう」と言ってるだけだからね。それを現場で実行するのがどれだけ大変かを知らないだろうな。中高生が理想論を語ってるような。
まあなるかもしれないし、ならないかもしれない。
「仕事中には何を喋ったかは自分で責任持たなきゃいけない」と。そうだけど、なんかこの人は嫌なことあったですかねwww。
「会社は給料払ってるんだから」と。大昔からそうだけどね。別に最近そうなったわけじゃないですよ?
戸田覚はサラリーマンをやったことないからわからないのかもしれないけど、サラリーマンって常にそばに上司がいるわけですよwww。監視されてるwww。会議の場でも。
ああ、そいうか小さな下請け会社との打ち合わせは、上司がいなくて担当者だけのことも多いかな。下請け会社でも重要な仕事の場合は、数人が同席するけど。だって何億円もの取引を1人の担当者に任せたら怖いじゃん。でも100万円とかの取引なら1人だろうね。たまに上司が出てくるぐらいで。
だから戸田覚はサラリーマンのそういう場面しか見てないじゃない?
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音声が重要になる…逆だと思うけどな。全部aiが文字起こししたものを見ればいいわけで、だったらそもそも人間が喋る必要もないじゃん?まあ戸田覚は喋るのが仕事だから、そう考えないだけで。
まあこの辺は他人の仕事を否定するわけじゃないけどね。むしろテキストを音声として聞きたい場合に、aiの読ませればいいだけだと思う。ラジオみたいに何かやりながら聞くというのは、価値があるからね。google notebooklmとかの音声での要約とか。
人間が喋らなくていい時代になると俺は思うけどね。喋りたい人はしゃべってもいいけど、それを相手は聞かないで、aiに文字起こしさせて、aiに要約させて、aiに喋ってもらって、人間はそれを聞く、と(笑。でもそれならそもそも人間が喋る必要ないじゃん。戸田覚は喋るのが仕事だからそう思うだけで。
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講演を聞いてる時に…と。申し訳ないが俺は講演って時間の無駄からほとんど言ったことがない。どんな偉い人の講演でもね。きっとそれは音楽の生演奏みたいな、独特の価値観を求めるんだろうけど、俺はそういうの要らないです。
これは俺がひねくれてるのかもしれないけど、「○○先生の講演を聞いて素晴らしかったです」というのが俺には理解できない。その人の著書に書いてあるようなことばかりでしょ?書いてないこともしゃべるかもしれないけど、重要なことならそのうち著書に書くじゃないの。
自分から講演を聞きに行ったのは1回しかないような。ビルゲイツが来日した時。ただそれも別に講演を聞きたかったというのではなくて、まあ俺もいろいろ悩みや迷いはあるわけで、自分の中の踏ん切りをつける儀式として、聞きに行ったって感じかな。俺だって転職しようかとか悩むこともあるわけで。
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だから情報を得るために講演にいったことはない。会社から言われてなんかの講演に行ったことはある気がするけど、全然覚えてないな。内容どころかどんな講演に行ったかも覚えてない。
自営業の人は知り合いになったり、顔つなぎとか、そういう意味があるんだろうけど。営業の人とかもね。もちろんエンジニアも。あ、俺が特殊だってだけで、すべてのエンジニアが俺と同じってことはないからね。
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今は自分で資料を作り上司に提出してるが、数年後には自分が喋ったことをaiがまとめてくれて上司に提出してくれる時代になる、と。う~ん、戸田覚は「書く」より「喋る」方が便利だという考え見体だけど、俺は逆だけどね。
俺は「喋る」のと「考える」のが同時にできない。たぶん戸田覚や他のyoutuberの人も、「喋りながら考える」ってのができるんだろうけど、俺はできないんですよ。「書く」のと「考える」は同時にできるけど。
あくまで俺の言い分としては、「書く」のは自分がすでに書いたものを読みながら書けるじゃないですか。でも喋るのってそれができないじゃん?自分がどこまで喋ったか覚えてないとならない。お前はその程度のことができないのかって?できないんですよwww。
考えてると、どこまで喋ったか、わからなくなるwww。すでに喋ったつもりになって、途中を飛ばして、結論だけ言ってしまうとか。「だから○○だと思う」「おまえ、そのだからって、どこから続いてるんだ?」と。
たぶん無口な人って俺と同じだと思う。多弁な人にはわからない苦労があるわけですよwww。
自分がばーっと喋ったことをaiがばーっとまとめて綺麗な資料を作ってくれる、と。う~んまあ俺の場合、口頭で喋れるような単純な資料を作ってるわけじゃないので。
俺の場合じゃなくても、ビジネスの資料ってそういうレベルじゃないと思うけどね。まあやってる仕事がこの人とは違うのかな。失礼ながら、この人はあまりたいした資料を作ったことがないんじゃ?
ああ、そうか。たとえばこの人がyoutubeで喋ってるような内容を紙の資料にするとかなら、いいかもね、なんか最近は講演とかやってるんだっけ?でも「講演の資料」と「ビジネスの資料」は違いますよ。講演というのは「楽しくて、わかりやすければ」いいわけじゃん。
ビジネスの資料はそれをもとに重要な判断をするわけで、そういうものじゃないです。
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aiの使いどころとしてdeep researchでリサーチの資料を作るのに便利らしい。「らしい」というのは、俺は上手くいかないwww。そもそもリサーチって仕事で流行らないし。興味本位に「こういうデータ調べて」と言ってもなんか、俺が求めるものが出てこない。
まあ俺が下手なだけかもしれない。使いこなしてる人も多いみたいだから。「おまえはaiも使いこなせないのか」って言われる立場になるかも。でも何度かやってみてるけど、上手くいかないんだもん。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 10:50
- 今日の茂木健一郎(2025-07-06)(8)
いろいろ経験してから、フォーカスすること。 - YouTube
生きがいを感じている時、人は別に成長しなくてもいい - YouTube
茂木健一郎は昨日と今日で言ってることが違うどころか、1日のうちでも言ってることが逆なんだよね。「いろいろ経験すべきだ」と言ったり、同じことを繰り返してもいいんだ、と言ったり。
なんで矛盾したことを恥ずかしげもなく言えるのかわからない。同じことをやってたら、いろいろ経験できないじゃん?www。
あ、それとも茂木健一郎は「生きがいを感じてない」から、いろいろやってるのかな?生きがいを見つけるために?まあそれなら、わからないでもないけどね。でも60歳で生きがいを見つけられないって、不幸だと思うけどね。
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まあでも茂木健一郎は「やりたいこと(生きがい)がない」ってのは、そうだと思うよ。だからいろいろなことをやってるわけじゃん。やりたいことがあれば、ずっとそれをやるわけですよ、人間は。サッカーであれ、登山であれ、プログラミングであれ。
茂木健一郎はやりたいことがないから、いろいろなことをつまみ食い的にやって暇つぶしをしてる。
茂木健一郎が「やりたいこと(いきがい)が見つからない」のは、やっぱ1つのことを一定のレベル以上深められないからだと思うよ。だからすぐに壁に突き当たってしまって、つまらなくなってしまう。
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簡単なことしかやらないから、過ぎに飽きてしまうわけですよ。
簡単なこと=暗記・基礎
簡単じゃない事=理解・応用理解というのは暗記に比べて格段に複雑な作業。
初心者が聞きかじったレベル=暗記が大半
専門家のレベル=理解が大半茂木健一郎は「理解」ができないから、専門家のレベルに到達できない。だからすぐに行き詰って、つまらなくなってしまう。脳科学とかも本や論文を暗記してるだけじゃん。理解していない。
それこそ茂木健一郎が批判しているaiと同じですよ。暗記してることを答えてるだけwww。
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茂木健一郎はなぜ他の人間が「暗記してないこと」を答えられるか?がわからないわけでしょ。それが「理解」なんだけど、茂木健一郎は「理解」というものがわからない。
そんで茂木健一郎のコンピュータのイメージは「暗記したものを答える機械」だから、コンピュータに、暗記してないことを答えられるわけがない。aiに創造性などない、と。
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ペンローズについては、ゲーデルの不完全性定理を過大評価してるんですよ。まあ過大評価なんて言ったら、怒られちゃうかもしれないけど、不完全性定理ができたのは100年近く前だよ。1931年だよね。コンピュータがない時代。地動説もそうだし、相対性理論もそうだけど、発表された当時は画期的でも、100年経てばそうでもなくなるわけですよ。
以前も言ったけど不完全性定理を形式主義に対する否定ととらえてるようだけど、そもそも不完全性定理自体が形式主義で記述されてるわけで、むしろ形式主義の勝利だと思うけどね。
え?過大評価とか勝利だとか、なに主観的なことを言ってるのかって?だってペンローズのこの部分の主張がそもそも主観的なんだからしょうがないじゃん。え?科学がしゅかんてきでいいわけないだろうって?そうですよ。だからペンローズの量子脳理論は専門家から評価されていない。科学としてはね。与太話です。
ノーベル賞学者に失礼だろうって?別に俺が言ってるわけじゃなくて、他の研究者、ノーベル賞級の他の専門家も言ってるわけですよ。茂木健一郎はそういう都合の悪い情報が耳に入らないみたいだけどね。ペンローズの「皇帝の新しい心」(1994年)も30年前の本だしね。
コンピュータの発達で非線形な物の解析が容易になった点が大きいと思う。人間はどうしても方程式を解いて…となるから、解けない方程式は扱いにくかった。でもコンピュータならシミュレーションで答えが出せるわけで。30年前から格段に進歩してる。数学の証明にコンピュータが使われることも珍しくなくなった。最近のai以前からね。
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茂木健一郎は、科学者が「言う」ことがすべて、科学だと思ってないですか?ノーベル賞学者だって、いい加減なことは言うわけですよ。いいじゃないですか?何が問題なんです?確実なことしか言えなかったら窮屈でしょ?
MechaAG 2025/07/06(Sun) 09:10
- 今日の茂木健一郎(2025-07-06)(7)
生きがいを感じている時、人は別に成長しなくてもいい - YouTube
プロの思考というのをちょっとだけ語ってあげる。と言っても難しい話じゃなくてね。俺は1人ぐらい市の頃、スクランブルエッグを良く作っていた。早くできていいじゃん?普通の卵焼きや目玉焼きより早くできる。
適当の作ってずっと食べてたんだけど、ある時こんな記事を目にした。フランパンの上で適切な硬さになるまで炒めては駄目だ、と。フライパンから皿に移して、さらに食べるまでの時間、どんどん卵は自身の熱で加熱されていくから、必要以上に固くなってしまう、と。
なのでその分を差し引いてフライパンでの過熱をやめなければ、おいしいスクランブルエッグはできない、と。
—
俺としては目からうろこだったわけですよ。確かにその通りにやった方が美味しい。同時に「俺はこれまでたくさんのスクランブルエッグを作ってきたのに、一度もそんなこと考えなかった」と。
料理人だって最初は俺みたいに痛めてたんだと思う。でも「もっと美味しくできないか?」「まだ何か改良する点がないか?」と考え続けた結果、そういう点に気づいたのだと思う。
つまり常に「もっと」「さらに」と考える姿勢がプロなわけですyお。
—
これはプログラミングもそうで、俺はプログラミングの専門家だから、そういうことを考えてプログラミングをしてきた。思いつくままに書いて、動いてるからそれでいいや、といういい加減がコードが許せなかった。なぜもっといいコードを書く努力をしないのか?と。なぜそこで思考停止してしまうんだ、と。
でもスクランブルエッグに関しては俺は素人だったわけですよ。「どうすればもっと美味しくできるか?」を考えなかった。なんとなく作って、とりあえず食べられるからこれでいいや、と。
そういうのは、もし俺がプログラマではなく料理人だったら、許しがたい行為に思うはず。料理に対する冒涜だ、と。だってプログラムに関してはそう感じるんだもん。だからきっと料理人は料理に対してそう感じてるはず。
—
こういうのが、ソフトウェア開発と料理という全然違う分野に共通するプロの思考。でも茂木健一郎は思考停止してるじゃん。俺のスクランブルエッグと同じですよ。まあなんとなくそれっぽいものができたから、これで十分だ、と。許しがたいですよ。冒涜です。
俺だけでなく茂木健一郎を批判する人は、茂木健一郎のそういう部分を批判してるですよ。個々のウケウリの知識ではなくてね。ほんと茂木健一郎は自分のどういうところが批判されてるかも、わからないんだよな。
思考停止しないでどこまで考え続けられるか?がその人のプロとしての能力なわけですよ。茂木健一郎は小学生レベル。ちょっと考えて「この先はわかりませーん」と。それが人生を舐めてる点です。
茂木健一郎自身がそういう生き方をするのは勝手だけど、そのレベルで他人がやってることを批判するから、「わかってない人間が偉そうに」と言われる。俺みたいに口に出さなくても、心の中でみんなにそう思われるわけですよ。
—
「茂木健一郎って人はここまで深く考えてるのか!」と誰もが驚愕するレベルまで思考停止せずに考えてるなら、非常識なこと、過激なことを言っても、現状のようには批判されない。別な批判はされるかもしれないけど、それはむしろ誇っていい批判のされ方。
でも茂木健一郎は、未熟な小学生がプロに向かって、わかった風な口をきいてるレベルだから、軽蔑されるわけですよ。
浅く気楽に生きるのは結構だけど、だったら他人を批判しないことです。他人を批判する資格はありません。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 07:18
- 今日のAI(2025-07-06)
Reconstructing van Gogh’s Field with Irises near Arles - YouTube
2018.06.24 Digital restoration of Van Gogh’s Field with Irises - YouTube
MechaAG 2025/07/06(Sun) 06:44
- 今日の茂木健一郎(2025-07-06)(6)
生きがいを感じている時、人は別に成長しなくてもいい - YouTube
茂木健一郎は「局所的な生きがい」を生きがいだと思ってるだろうな。
毎朝コーヒーを飲むでも、犬の散歩をするでも、短期的には同じことの繰り返しだけど、長期的に見れば違うわけじゃん。最初はインスタントコーヒーだったのが、だんだん本格的な物なったり、飼ってる犬も最初は1匹だったのが増えたり、死んでしまって別な犬を飼い出したり。
人間はやっぱ変化を求めるわけですよ。俺であれば最初に使ったプログラミング言語はbasicだった。当時の定番。次はアセンブラ。これも当時の定番。初心者はまずbasicをやり、それで物足りなくなったら、アセンブラを使うようになる。
当時の8bitパソコンは非力で、それ以上のプログラミング言語、現在ならc言語とかを動かすことができなかったから。
—
やがてc言語でプログラミングするようになり、それが長かったかな。その後c++が登場。そしてjava言語。片手間にperlとか少しはできたけど俺の本格的なプログラミング人生はこのあたりまでかな。
あ、perlというのはrubyの原型ね。rubyというのは日本人が作った言語。日本人が作った言語で世界的に普及したのはこれだけだよね。
ai時代になってpythonという言語が一躍有名になった。chatgptとかもこれで記述されている。全部じゃないけど。大規模なシステムはそれぞれの言語が得意な部分を組み合わせて作られてるからね。
でも俺はもうプログラミングできないね…いや、やりたいなとは思うけど、なかなか腰が上がらない。俺がいま高校生なら絶対やってるけどね。
—
まあ要するに、一見同じようなことをやってるように見えて、少しずつ変化しているわけですよ。変化=成長。どうも茂木健一郎はさ、「成長」というと定量化された数値があって、「テストの点を80点から90点にする」みたいなのをイメージしてるじゃないの?あるいは「売り上げを2倍に!」みたいな。
成長というのはそういう近視眼的なものではないわけですよ。プログラミング言語習得の「basic→アセンブラ」というのは、basicの方が習得が簡単だから。basicなら間違うとエラーを出してくれる。この行でエラーが起きました、と。だからそれを見て修正すればいい。
アセンブラだとエラーが出ない。とにかくひたすら動こうとする。暴走ですよ。しかたないからリセットや電源offしてさいきどうするんだけど、そうなると、「何がおかしくてこうなったのか?」って情報も消えてしまう。
—
それでも「きっとここがおかしかったんだ」と見つけ出して修正しなければならない。大変です。プログラミング初心者にはハードルが高すぎ。でもbasicでずっとプログラム組んでると、物足りなくなるわけですよ。
当時の雑誌にはアセンブラで組んだプログラムが発表さてたからね。やっぱbasicじゃ限界がある。やっぱアセンブラができるようになりたい、と。
basicだと速度が遅くて、高速なゲームとか作れないんですよ。アセンブラでないと。あくまで当時の話ね。自分のできることを増やしていきたい、と誰でも自然に考えると思うけどね。
—
だってずっと同じじゃ、やることがなくなっちゃうじゃん。まあ茂木健一郎はそれでいろいろなジャンルに水平方向に広げてるのかもしれないけど、仮に1つの分野に限定するなら、垂直方向に展開するしかないじゃん?「もっと難しい方向に」「もっと高度で複雑な方向に」と。
ピアノとかだって、ずっと初心者が引くような曲ではなくて、弾くのが難しい曲を弾きたくなるでしょ。ちなみに俺の妹はエレクトーンをやっていた。俺も真似して最初はひいてたけど、そのうちついてけなくなったwww。小学生の頃。一応右手と左手で別な鍵盤を押せるぐらいまでは頑張ったんだけどね。
—
茂木健一郎も「同じこと」をやってるわけじゃないじゃん。茂木健一郎は水平方向に広げ、他の人た垂直方向にひろげるわけですよ。あまりいろいろなことに手を出さない。「これだ」と思う分野を究めようとする。
だってなんどもいうけど、「ちょっとかじった程度」じゃ誰でもできて、つまらないじゃん?茂木健一郎は「深めていく」面白さがわからないみたいね。それは「暗記」だからじゃないの。
「深めていく」には「暗記以外」の能力が必要なわけですよ。でも茂木健一郎はそれがなにかわからないわけでしょ。だから暗記するジャンルを増やすしかない。
「深める」というのは、「AとBを暗記する」だけじゃなくて、AとBの関係」を考える必要がある。A、B、Cと暗記するだけなら、1個、2個、3個と暗記する項目が増えていくだけじゃん。
しかし「AとB」の関係、「BとC」の関係、「AとC」の関係、「AとBとC」の関係、「AとBとD」の関係っとか考えていくと、考えなければならないものが級数的に増えていくわけですよ。
暗記は直線的な増加。理解は指数関数的な増加。これが「理解」の難しさなんだけど、茂木健一郎の脳はこの難しさに耐えられない。
しかし何度も言うけど、簡単なことばっかやって、何が面白いの?それがさっぱりわからない。簡単にできることやってもつまらないじゃん?
富や名声を得たいとかじゃなくて、面白いか面白くないかの問題ですよ。
—
見てると茂木健一郎は「A」「B」「C」を個別に暗記はできるけど「AとBの関係」とか「BとCの関係」とかになると、上手く思考できないでしょ?
例えば「重力があるからリンゴは下に落ちる」というのは理解できても、「空気抵抗があるから、落下が邪魔される」となると、そろそろ処理能力オーバーでしょ?わかりますよ。そんな感じだもん。
「重力」「空気抵抗」それぞれ単独では考えられても「重力と空気抵抗の関係」になると、茂木健一郎は思考停止になってしまう。
社会問題もたいてい単独の問題ではなく、複数の問題が絡んでるわけで、茂木健一郎はそれが上手く思考できない。なので「偏差値反対!」とか「日本の大学は駄目!アメリカの大学は素晴らしい!」みたいな短絡的な、小学生みたいな思考しかできない。
—
それは茂木健一郎の欠点(能力不足)なわけですよ。まあ能力不足は仕方ないにしろ、その事実は受け入れるべき。「自分の方が正しい」とか言ってないで。能力不足の茂木健一郎にとってはそれが最適な方法なのかもしれないが、他の人にとっては違うんですよ。
歩いてて足をくじいたとする。助けを呼べない状況なら、片足を引きずりながらでも、歩くしかないじゃん。助けが貰える場所に行くまでは。その状況ならそれがベスト。でも普通の人も足を引きずりながら歩くべきというのは、おかしいでしょ。茂木健一郎が言ってることはそういうことなんですよ。
茂木健一郎は「全人類が茂木健一郎と同じ」という思考をやめるべきです。それは小学生の思考ですよ。小学生は「女の子は男の子と違う」ということが理解できないじゃん。「なんで女の子はすぐ泣くんだ?」と。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 06:09
- 今日の茂木健一郎(2025-07-06)(5)
生きがいを感じている時、人は別に成長しなくてもいい - YouTube
成功しないと駄目だ、スタートアップとか、アメリカ的なイデオロギーだ、と。だからさ、そうやって外的なものに影響されてるのは茂木健一郎でしょ。脳科学でノーベル賞をとりたいとか、NHKには出たからイギリスのBBCに出たいとか、日本人ではじめてTEDに出演したとか。
常に「他人」に評価されたいというのが、茂木健一郎の生きがいなわけでしょ?茂木健一郎がそういう生きがいを持つのは自由だけど、他にも生きがいというのはあるわけですよ。
サッカーが生きがいだとか、登山が生きがいだとか、釣りが生きがいだというのは、別に他人に評価されなくてもいいわけですよ。自分がそれを「やりたい」わけだから。俺はプログラミングがやりたかった。別に成功するとか、他人から評価されるとかではなくてね。
—
茂木健一郎が勝手に「いきがい=他人から評価されるもの」と決めつけて、さらにそれを勝手に否定してるだけじゃん。茂木健一郎って全部そういうものなわけですよ。
茂木健一郎が否定してる生きがいがそもそも一般的な生きがいではない。「茂木健一郎が」他人から評価されることを生きがいに60年間いきてきただけですよ。他の人はそうではないわけ。
アインシュタインやスティーブジョブズも、別に「他人から評価されたくて」いろいろやってきたわけではないわけですよ。イーロンマスクもそうだと思うよ。トランプも。やりたいことをやってきたわけですよ。
—
だから「やりたいこと」は必ずしも派手なことや目立つことではない。釣りや登山など、仲間内で楽しんでるだけで、世界的な成功者とかないでしょ。茂木健一郎が陳腐だ、トリビアルだといった東大の研究者だって、その研究がやりたいからやってるのであって、それで世界的に有名になろうとかではないわけですよ。
なのに勝手に「そんな研究をやっても意味がない」「世界から評価されない」「陳腐だ」「トリビアルだ」と否定してきたのが茂木健一郎でしょ。
東大クイズ王だって別にクイズが好きな人たちがやってるわけですよ。東大生がそんなのやるべきじゃないとか言ってたのが茂木健一郎なわけでしょ。「東大生ならもっとやるべきことがあるだろう」と。
—
茂木健一郎が言う「陳腐じゃない」事と言うのは、アインシュタインやスティーブジョブズ見たいに世界的有名になることじゃん。「生きがい=成功者になること」だと決めつけてるのは茂木健一郎でしょ?だからそうじゃないことを生きがいにしてる人達を、陳腐だ、トリビアルだと、否定してきたわけじゃん。
ほんと一人相撲だよね。世界の多くの人は茂木健一郎が考えてるようなものではないわけですよ。茂木健一郎の妄想の中にしか存在しない世界を、茂木健一郎自身が否定してる。一人遊び。
ああ、そうか、茂木健一郎は60年間そういう「一人遊び」をしてきたんだね。自分の妄想を自分で「こんな世界間違ってる」と否定する。それって60年間続けられるほど、飽きない事なの?
—
まあそうだとしたら一人遊びとしては、楽しいのかもね。陰謀論に近いかな。実在しない組織を自分の妄想で作り、それを一生懸命批判する。フリーメイソンとかイルミナティとか。まあフリーメイソンは実在するが。
UFOの世界でもMJ-12という秘密機関があって、宇宙人と密約を結び、利益を独占してる…という陰謀論があった。1980年代。UFOの目撃情報が握りつぶされてるのはこの機関のせい、と。
まあ陰謀論って楽しいからね。茂木健一郎の「存在しない世界」を自分で妄想し、自分で否定するというのも、その一種なのかもね。「この真実に気付いているのは自分だけだ!」と(大笑。
—
安心してくださいよ。そんな世界存在しませんから。茂木健一郎の頭の中にしか存在しない。そうか…茂木健一郎はそういう一人遊びを60年間してきたんだ。不思議だったんだよね。「この人(茂木健一郎)って何が楽しくて生きてるんだろう?」と。それこそ「何を生きがいにして生きてるんだろう」と。
陰謀論が生きがいだったわけだ。「世界にはこんな問題がある」「でも誰もこの重大さに気づいてない」「気づいているのは俺だけだ」「みんなに知らせないと!」「偏差値反対!日本の笑いはオワコン!そばをすする音は不快!」と。
一人相撲人生。まあそれが茂木健一郎がやりたいことなら、別にいいと思うよ。誰からの評価されなくても、そういう一人遊びが好きなら。登山や釣りや趣味のプログラミングとか、趣味の小説書きとか、それが本人がやりたいことなら。
—
でもなぁ、妄想と現実をごっちゃにしちゃうのは危険だと思うけどなぁ。「この世界には人間に変装した宇宙人がたくさんいる」みたいな。
THEY LIVE Clip - Obey (1988) - YouTube
淀川長治『ゼイリブ』解説(1991年9月29日・日曜洋画劇場) - YouTube
「この世界は誰も気づかないうちに実は宇宙人に支配されてる」。茂木健一郎の「この世界はアメリカのイデオロギーに支配されている」というのもそっくり構図が同じじゃん。
そもそも「日本は駄目だ、アメリカを見習え」といってたのは茂木健一郎じゃん。茂木健一郎こそアメリカのイデオロギーの奴隷www。
陰謀論に騙される人って、次々に別な陰謀論に騙されていく。「俺がこれまで言ってたことは間違いだった」というから、目が覚めたのかと思ったら、別な陰謀論を語り出すwww。
—
そうか…茂木健一郎は選ばれた存在だもんね。世界の真実に気付いてるの茂木健一郎だけだから、誰も茂木健一郎を支持しない。いくら茂木健一郎が根拠を示して「世界はこうなってる!なぜみんなそれに気づかないんだ!」と言っても、騙されてる大半の人間は「変なことを言う人だ、気でも違ったのか」と。
茂木健一郎は、そんな世界で60年間頑張って、戦ってきたわけだ。それは崇高な使命だよね。世界の人々に真実を伝える。キリストに匹敵する偉業じゃないかな。
だから茂木健一郎が他人に対して見下した態度をとるのも当然。自分だけが真実を知っている。真実を愚民どもに伝えるのが茂木健一郎の使命。どんなにいばらの道でも。
—
茂木健一郎はメディアに毒されすぎなんですよ。メディアは儲けたいから「成功する方法」「きみもスティーブジョブズになれる!」とか煽ってるだけで、大半の人たちは、まともに相手してないわけですよ。
でも茂木健一郎はそういうメディアに洗脳されてしまって、世界中の人たちが「スティーブジョブズみたいに成功を目指してる」と思い込んでるわけでしょ。そしてさらに「そんな成功をめざさなくてもいいんだ」と呼びかけてるわけでしょ。一人相撲ですよ。ほんとアホだな。
youtubeでもゴミのような動画がたくさんあるじゃん。「ai時代に生き残るために!」「aiで大成功する方法」みたいな。いつの時代も「こうすれば成功できる」「こうすれば金儲けができる」というのは一定の人気なわけですよ。
でもあくまで「一定」を超えられない。そういうのに騙される人は人類全体の一部に過ぎないからね。茂木健一郎は騙されてるわけ。なんでメディアが報道する世界が、真実の世界だと思うんだろうね、こまった人だ(苦笑。現実社会の経験が乏しいから、メディアの情報を鵜呑みにするしかないわけでしょ。メディアが報道してるのが、「嘘の世界」なわけですよ。茂木健一郎はそっちを本当の世界だと思ってるようだけどね。
—
それこそ自分で何かを作り出してみればいいんですよ。自分が作り出したものは、真実じゃん。他人が作り出したものは偽物かもしれないけど。
あとえばNASAが作ったロケットは偽物かもしれないけど、自分が作ったロケットは本物なわけじゃん。
ホリエモンロケット「MOMO2号機」打ち上げ失敗(IST提供) - YouTube
失敗するというのは、本物だから失敗するわけですよ。
MOMO3号機は何がすごいのか?打ち上げ成功の一部始終を公開 - YouTube
別に成功して世界的に有名になるとか、お金持ちになるとかではなく、それをやること自体が楽しいわけですよ。それを「何のためにやるんですか?」とメディアは聞くから、それっぽい理屈(科学技術の発展のためとか日本のためとか)をつけてるだけで、実はそんなのどうでもいいわけで。
そもそも「自分は何のために生きてるのか?」とか、高校生あたりが悩むことで60歳のオッサンが悩むことじゃないwww。茂木健一郎は60年間ずっと高校生。
カンタータ“アンパンマンのマーチ”~悲壮な戦い~ - YouTube
行け未来の為に…「アンパンマンのマーチ」 - YouTube
茂木健一郎は永遠の高校生ですな。俺も高校生ぐらいまでは「妄想」た楽しかったんだけど、いつの間にか「現実」の方が楽しくなっちゃったんだよね。現実の方が手ごたえがあるから。妄想は自由な分、どこか空虚。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 05:07
- 今日の茂木健一郎(2025-07-06)(4)
生きがいを感じている時、人は別に成長しなくてもいい - YouTube
茂木健一郎は「楽しさ」を感じる脳の回路が壊れてるんじゃ。普通の人と違う。何度も例に出すけど、ゲームって、最初勝てないのが、あれこれ工夫して勝てるようになる過程がたのしいわけですよ。
だから上手になりすぎちゃって、工夫する余地がなくなると、妻ならくなって別なゲーム、もっと難しいゲームをやりたがるようになる。対戦ゲームなら、もっと強い人、自分が勝てない人と対戦したくなる。
それが結果的に「成長」と呼ばれるものですよ。成長というのは強制されるものではなく、遺伝子に組み込まれてるもの。だから古今東西あらゆる文化に、「他人と競う」要素がある。
それは生殖相手、異性を取り合う本能に根差してるんだと思うよ。食料を調達するための縄張りとか。
本能なんだから、理屈ではないわけですよ。空腹になったら食料を求め、生殖時期になったら相手を求めるのと同じ本能なんだから、逆らえない。それが「自然」な状態なわけで。
—
まあでも本能の強弱にも個性があるじゃないですか。やたらセックスしたがる人とか、やたら大食いな人とか。逆に茂木健一郎は本能が弱い感じですかね。ADHDとワンセットなのかもね。
茂木健一郎がそういった本能的欲求が弱いのは別に構わないけど、人類の大半は茂木健一郎とは違うってことですよ。それに対してみんなも茂木健一郎みたいに生きればいいと言ったって、基本的な本能が違うんだから、どうしようもない。
茂木健一郎も普通の人のように生きられないわけでしょ?普通の人も茂木健一郎のようには生きられないわけですよ。
—
茂木健一郎はさ、小学生からいきなり、80代の高齢者になっちゃったんじゃ。間をすっ飛ばして。
ずっと小学生だったのが、いきなり高齢者に。
あまりこういうこと言いたくないけど、事実として、幼児や高齢者は複雑な思考ができないじゃん。体力もそう。やっぱ人間は20代~30代が活動期なわけですよ。でも茂木健一郎は小学生からいきなり…。
茂木健一郎の場合、ピークがないような。
普通の人は20代~30代が一番活発に活動できる時期だと思うんだけどね。生物学的にも、生殖相手探しと、子育ての時期。
20代で子供を産んだ場合、その子供が同じく20代になるのが40代の頃じゃん。現代人の場合文明が進歩して全体的に後ろにずれてるけど。生物的には40代になったら生物としての役目は終わりですよ。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 01:19
- 今日のAI(2025-07-06)
シャッター押した後巻かないと次が撮れない、とwww。72枚とり終わるまで撮った写真が見れない、と。フラッシュもキュイーンって充電時間が必要でないとw。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 00:45
- 今日の茂木健一郎(2025-07-06)(3)
生きがいを感じている時、人は別に成長しなくてもいい - YouTube
茂木健一郎はさ、「成長」というのを、学校のペーパーテストの成績を上げるようなものだと思ってるじゃないですかwww。ほんと「何のために勉強するですか」という中学生とから一歩も進歩していない。
なにも変化しなくていいんだ、と。変化を求めてるのは茂木健一郎じゃん?だから次から次へといろいろなことをやるわけでしょ。TEDに参加したり、本を書いたり、テレビに出たり。
変化しなくていいなら、ずっと一つのことをやってればいいじゃん?俺の方がいいたいですよ。なんで茂木健一郎はそんなに変化を求めるんだ?と。
—
一方、「変化しない」というのとは生物である限り無理なわけですよ。赤ん坊として生まれて、成長し、子供を産み、やがて老いて死んでいく。変化は強制です。岩石とかなら別だけどね。
手塚治虫の「サンダーマスク」に珪素系生物の話が出てくる。手塚治虫のマンガのサンダーマスクはテレビ特撮とは全然違うストーリー。
珪素系生物というのは、理論的にはこういうのもあるじゃないか、という話ね。我々は炭素系生物。
手塚治虫のマンガの中では、珪素系生物はすごくゆっくり動く、という設定。上記の石像のような人間も、実は生きていてすごくゆっくりと動いている。
—
「子供→大人→子育て→死」というのは自然の摂理だから、変わらないわけにはいかない。子供の役目と大人の役目は違うからね。たとえば思春期にギラギラしてるのは、生殖相手を見つけるためですよ。茂木健一郎の場合、その時期を過ぎてあとは余生を過ごすだけだから、「もう変わらなくていいんだ(あとは死ぬだけだ)」と思うのかもしれないけどね。自然の摂理には逆らえない。
茂木健一郎は養老孟司に影響されすぎですよ。養老孟司は87歳じゃん?10代の少年と、20代の青年、60歳の茂木健一郎と、87歳の養老孟司は、それぞれ生物として果たす役割が違うわけですよ。
でも茂木健一郎はそういうこと考えないで、小学生のように、すぐに何かを鵜呑みにしてしまう。
—
きっと茂木健一郎は養老孟司に「もっと力を抜いて生きた方がいい」とか言われたんじゃないですか。でもそれは茂木健一郎があまりに、あちこちに喧嘩を売って生きてるから、「もっと普通に生きるべきだ」「仲間との調和・協調を重視すべきだ」という忠告なわけですよ。
でも茂木健一郎には養老孟司の言葉は高級すぎて、理解できなかったようですな。
—
茂木健一郎は何もわかってない。物事の表面だけを丸暗記。苦労が足りませんよ。失敗が足りない。絶望が足りない。絶望して初めて見えてくるものがあるわけですよ。「自分にはこれしかない」と思ったことが「すべて駄目だった」時の絶望。人生はそこからが本番ですよ(笑。
茂木健一郎はそういう時に「自分は悪くない、○○さんがマウントを取るのが悪い」と責任転嫁して生きてきたわけでしょ。
—
茂木健一郎の生きがいと呼んでるものは、毎日コーヒーを飲むとか、犬の散歩をするレベルのことらしい。あまりそういうのを生き甲斐とは言わないと思うけどね。ああ、これも「茂木健一郎用語」なのか。
生き甲斐って自分の人生をかけるものだと思うけどね。サッカーが生きがいとか、将棋が生きがいとか、俺ならプログラミングが生きがい。茂木健一郎はクオリアの研究が生きがいじゃなかったの?まあ茂木健一郎にとっては「ひまつぶし=生き甲斐」みたよだよね。クオリアの研究も暇つぶしとしてはいいじゃない?
だってさぁ、小学生が「僕は犬の散歩が生きがいだ」「一生犬の散歩をして生きていくことに決めた」とか、変じゃん。まあ犬の散歩もそれを極めれば生きがいと言えるかもしれないけどね。自分はこれまで何万匹もの犬を散歩させてきた、みたいな。
「生きがい」というのは「極めたくなる」ものですよ。そうでないものは「暇つぶし」「日課」です。
—
「生きがい」というのは、「それをやめるぐらいなら死んだ方がマシ」というレベルの物ですよ。「それをやるために生きてる」というレベル。
別に生き甲斐を持たない生き方を否定してるわけじゃないよ。茂木健一郎みたいに生きがいを持たず、60年間暇つぶしで生きるのはその人の自由ですよ。でも生きがいを見つけてそのために生きてる人の方が、多くの人にとって楽しいわけですよ。
手塚治虫は最後「原稿を…」と言って死んだらしい。自分のすべてをかけられるものが見つかった人は幸せですよ。
—
毎朝コーヒーを飲むのが生きがいって、笑った。すごく短期的な、近視眼的な生きがいだよね。茂木健一郎の射程距離がわかりますよ。茂木健一郎がどの辺の未来を見てるか。
小学生と同じで、明日の朝のことも考えない。今目の前のことだ消し考えられない。だから小学生は、宿題をやらずにゲームをすると、明日どうなるか?が思考できないわけじゃん。茂木健一郎はずっと小学生のままwww。
暇つぶしと生きがいの区別がついてなかったとはね。「犬の散歩ができないなら死んでもいい」とか「コーヒーを飲めなければ死ぬ」とか、そこまで行けば生きがいと言えるかもしれないけどね。
暇つぶし→別なもので代用可能
生きがい→代用不可能茂木健一郎の「生きがい」という言葉が軽すぎるwww。
—
茂木健一郎は自分で何かを「生み出す」「やり遂げる」ということがどれだけ大変で、どれだけ楽しいか知らないまま、人生を終えるんだろうねぇ。他人がやってるのを見て、感想を言うだけの人生。可哀そうだねぇ。
MechaAG 2025/07/06(Sun) 00:02
- 今日の茂木健一郎(2025-07-06)(2)
いろいろ経験してから、フォーカスすること。 - YouTube
茂木健一郎は「大学が必要ないとは思わない」と。え?まえ東大に行っても意味がないとか言ってたじゃん?茂木健一郎は都合の悪いことはどんどん忘れていくんだろうね。
というか「過去の茂木健一郎」と、「現在の茂木健一郎」は違う人間ってことなのかな。「僕は手のひら返しをする」って公言してたしね。
だから「深い思考」ができないわけですよ。1年前にはこう思っていた。現在は反対のことを思ってる。それがいまの自分なんだから、いいじゃないか、と。いやいや、駄目ですwww。
—
そこで思考停止するから駄目なんですよ。「なぜ1年前はこう思ってたのに、現在の自分は考えが変わってしまったのか?」を考えることで、物事の本質がより深くわかるわけで。
たとえば茂木健一郎は自分で「若い頃の自分はいろいろ過激だった」と言ってたよね。若い頃っていつなのか?って突っ込みたいけどね。普通は10代とか20代だと思うけど、茂木健一郎の場合、数年前も過激だったよねぇ。いまも過激だと思うけどね。日本のお笑いはオワコンと言ったり。まあ自覚がないだろうけど。
でも子会はその話じゃなくて、若い頃の茂木健一郎がどう考えていたか。そしていまの茂木健一郎はどう考えているか。その2つを比較しないと駄目なんですよ。
—
茂木健一郎は直感でしか考えないけど、普通の人は筋道立てて結論を出す。「これがこうで、あれがああだから、結論としてこうだ」と。学校に行ってもペーパーテストの暗記だけで思考力がつかないから、自分の好きなことを体験した方がいいんだ、と。某少年革命家にもそうアドバイスしてたよね。
一方、現在の茂木健一郎は「経験して始めた分かることがあるのだから、学校も経験した方がいいのだ」と。仮にそういう意見だとしましょう。正確ではないかもしれないけど、説明を簡単にするためにね。ここではどっちの茂木健一郎が正しいか?ではなく、なぜ違いが生じたのか?を考える。
—
数年前の学校に行っても意味ない」と言ってた茂木健一郎は「経験してわかることの貴重さ」を知らなかったのか。知ってても軽視してたのか。現在の茂木健一郎は自由に生きた結果、現在の茂木健一郎の人生があまり芳しくないものになったので、反省したのか。
あるいは養老孟司の影響か。ならば数年前の茂木健一郎には養老孟司の言葉が届かなかったのか。
もっと別な理由かもしてない。やっぱ「話題になる」には非常識なことを言わなければならない。「学校に行った方がいい」というより「学校なんて行かない方がいいんだ」と言った方が非常識なので、耳目を集められるメリットがある、と。
じゃあいまの茂木健一郎はなぜそれをやめてしまったのか。薄っぺらな過激な発言で耳目を集めるのに飽きたのか、それとももはや過激な発言をしても相手にされなくなったからなのか。
—
そういう「なぜ?」を自己分析することで、自分がどのような方法で思考してるか?がわかり、思考の方法を修正することで、賢い思考ができるようになるんですよ。
上記は過去の自分の思考と現在の自分の思考を比較分析したけど、スティーブジョブズの思考と自分の思考を比較分析すれば、「なるほど、こういう思考をすれば、スティーブジョブズみたいな発想ができるんだ」とか、思いつく。
別にスティーブジョブズでなくても、子供は身の回りの人、親や先生、あるいは同級生の思考を、自分の思考と比較分析してるわけ。茂木健一郎はしてないようだけど、茂木健一郎が例外であって、大半の人はそれを小学校頃からやってるですよ。
—
やっぱきっかけは「友人との遊び」を通してだと思うよ。スポーツやゲームでいつも俺は負ける。あいつと俺のどこが違うのか?あいつはどういう思考をしてるのか?と。
スポーツやゲームが上手い人の思考と自分の思考を比較分析することで、自分も上手い人と同じことができるようになるわけですよ。そうするとスポーツやゲームに勝てるようになって、嬉しくても「もっと強くなりたい!」となる。すなわち「もっと強い人を真似したい!」と。真似をするために対戦するわけですよ。それによって相手のテクニックを盗む。
仕事だってそうですよ。なんであいつはあんなに仕事ができるんだ。なんであいつの意見は会議で通るのに、俺の意見は無視されるんだ。俺とあいつの何が違うんだ、と自己分析することで人間は成長する。
別にAさんとそっくりな人間になる必要ないわけですよ。Aさんのいいところと、Bさんのいいところと…というように部分的に真似していけば、それが自分の個性になるわけで。
—
落語とか歌舞伎とかも経験して、自分がなにをしたいか決めればいい、と。この場合の経験というのは、そういうものを「観客としてみる」ってこと?それとも自分も落語や歌舞伎をやってみるってこと?
茂木健一郎は「見てるだけ」だよねwww。茂木健一郎にとって「経験」って「見てるだけ」じゃん。アインシュタインやスティーブジョブズも「すごいな~」と見てるだけだよね?
それじゃ本当の経験ではないわけですよ。料理を食べてるだけじゃ、料理人としての経験は積めない。だから俺は自分でプログラムを書いた。人が書いたプログラムを見てるだけじゃ、満足できなかったからね。
パソコンを(親にw)買ってもらって、最初に作ったプログラムはブロック崩しだった。basic言語でね。でもなんか間違えてるらしくて、プレイしてると、ボールがどっか行っちゃうwww。
—
茂木健一郎になんで「見てるだけ」で満足できるの?やっぱ自分でやりたくならないの?サッカーでもゲームでも、他人がプレイしてるのを見てるだけじゃつまらないじゃん。自分もやりたくなって、ウズウズしないの?
「見てるだけ」って「暗記」と同じじゃん。他人がやってるのを丸暗記してるだけじゃん。「俺ならそうじゃなくて、こうする!」とか思わないの?まあ茂木健一郎の場合「口先で言う」だけなのかもね。「そこはこうした方がいいよ」と。それは嫌われますよwww。「だったらお前がやってみろ」と言われて無視されるだけです。
何で「見てるだけ」で満足できるのか不思議。「自分もやってみたい!」と感じる脳の回路が壊れてるんじゃ。ミラーニューロンってあるじゃん。
—
さて、茂木健一郎は「歌舞伎をわかったつもり」らしい。だから見てもいない人が歌舞伎についてあれこれ言うのはどうなのか、と思うらしい。
でも上には上がいるわけで、茂木健一郎が「俺はド素人よりは歌舞伎のことを知ってる」と思ってても、専門家や実際に歌舞伎をやってる人から見れば、「ろくにわかりもしないのに、知ったかぶりして」と映るかもしれないじゃん。というか映ってますよ。
茂木健一郎はいつもこんな感じで、「自分から見える他人」しか見てないんだよね。茂木健一郎自身も他人から観察されてるわけじゃん。そういう思考ができない。他人の視点で自分を見れない。メタ認知ができない。これは幼稚園児~小学校低学年の発達段階なわけですよ。
—
「他人の気持ちをわかる人間になりましょう」と小学校で習ったでしょ?茂木健一郎は「他人に優しくすべき」というけど、実際何もわかってないわけですよ。それは本に書いてあった「他人に優しくするとはこういうことだ」というのを、暗記してるだけ。
「優しい言葉をかける」のが優しさじゃないんだけど、そういうのはメタ認知ができないと、わからない。本を読んでるだけじゃ、メタ認知能力は養われない。茂木健一郎よりも普通の小学6年生の方が、メタ認知能力は高いと思うよ。「相手の立場に立って考える」ということができる。
本に「他人に優しいとは、優しい言葉をかけてあげることだ」と書いてあっても、現実の場面で「今この人は、優しい言葉をかけてもらうと、嬉しいだろうか?」を考えないと駄目なんですよ。茂木健一郎は考えないから「本にかいてあることをやる」だけ。そして相手が喜んでないにもかかわらず、「本にこう書いてあるんだから、これで正しいんだ」と思って60年間生きてきたわけじゃん。
—
もちろん本に書いてある通りの場合もある。でもそうじゃない場合もあるわけですよ。どういう場合にそうで、どういう場合はそうじゃないかは、自分が実践して、その結果相手が本当に喜んでるのか?を見ないと駄目です。
さらに複雑なのは、相手は「演技」をする点。本当はうれしくないけど、茂木健一郎が自分のために優しい言葉をかけてくれたんだから、喜んだふりをしておこう、と。そういうケースがあるから、難しいわけですよ。
そういうのを普通の人は10代、20代と、経験を積んでるのに茂木健一郎は何もやってこなかったわけじゃん。「見てるだけ」じゃ経験は積めませんよ。実践して、失敗をしないと。
—
失敗塔いのは自分の思考が間違ってたってことじゃん。茂木健一郎はそこで何も考えないよね?それが駄目なんですよ。「なぜ間違えたのか?」を考えないと。正解を暗記するだけじゃ駄目です。なぜそれが正解なの?正解の通りにやったのに、なぜ目の前のケースでは結果が違ってしまったのか?本に書いてあることと、現実世界のことの「どこが」違うのか。
それを考えることで、「なるほど、これは本には書いてなかった点だ」と気づき、次からそれを考慮した行動ができる。本で学んだ以上のことができるようになるわけですよ。
学校のペーパーテストは本(教科書)に書いてある通りにすればいいけど、現実は教科書に書いてある以上のことをしないと駄目です。それがわかってないよね。なんでこんなことがわからないのか。
—
やってみて、結果が予想外なら、なぜ予想外になったのか?を考えないと駄目です。でもこんなこと茂木健一郎もこれまでの人生で数限りなく忠告してくれた人がいると思うんだよね。でも茂木健一郎はそういう人の忠告を聞かなかったわけでしょ。俺は教科書を丸暗記して東大に合格したんだ。それが自分のやり方が正しい証拠だ、と。
馬鹿ですね。そこからが本当の勉強なのに。勉強というか「勉強の仕方」を勉強するんですよ。何を学べばいいか?を学ぶわけで。先生や先輩の忠告を真摯に聞くとかね。その時は理解できなくても、「こうしろ」ということはやるとか。「後で正しいことがわかる」と言われて、存名の嘘だと反発するんじゃなくて、人生の先輩が言うんだから、従っておくか、と。
そういう謙虚さを学ぶのが人生です。でも茂木健一郎は「自分のやり方は正しい」「俺に口を出すな」「おまえに何がわかる」とwww。高校生の頃にそういうならわかるけど、60歳の今でもそんなこと言う人って初めてですよ。
—
いろいろ経験してきた上で思うことがある、と。日本のお笑いも,テレビ局の収録などで現場を見てきた、と。その上で言いたいことがある、と。
だからさ、上には上がいるわけですよ。ちょっとかじったぐらいで、偉そうに言うのが嫌われるわけで。例えばその分野で日本一とか世界一になった人間がら、俺はこう思う。俺と違う意見の人間は未熟者だというなら、まあ許されますよ。
でも自分でやらないで、見てるだけの人に何がわかるんですか、と。え?それでも何もわからない人間よりは、自分(茂木健一郎)の方が偉いだろう?きっと茂木健一郎はそう思ってるだろうね。
—
でもさ、プロの道ってジャンルは違っても、共通部分があるわけですよ。サッカーとラグビーは違うスポーツだけど、チームワークが大事だとか、毎日のトレーニングが大事だとかは共通するわけじゃん。
海原雄山もモーツアルトとルノワールの共通性を語っている。ソフトウェア開発だってそうですよ。その道のプロは、プロだけがわかる共通点がある。それは「見てるだけ」ではなく自分で実践しないとわからない部分。
茂木健一郎は「見てるだけ」なのが問題なわけですよ。歌舞伎の知識がどうこうではなくて。茂木健一郎は1つのことを必死にやったことがないので、その部分が欠けてるわけ。その欠けた認識力のまま、あれこれ表面的な知識自慢をするから、みんなから嫌われるわけですよ。
美味しんぼには素人の浅知恵が失敗するエピソードが無数に出てくる。茂木健一郎もそう。茂木健一郎は「観客」として「表面」しか見てないわけですよ。もっと大事なものがあるんだけど、「見てるだけ」の茂木健一郎にはそれがわからない。
一方普通の人は歌舞伎の知識はなくても、それぞれ自分の仕事を一生懸命やってる。サラリーマンだってある意味専門家なわけですよ。いろいろな経験を積み、こういう場合はこうしなければ駄目だ、と。一見この方法が良さそうだけど、これを無視すると大失敗する、と。
そういう経験をしてる「普通の人間」の方が、「表面的な歌舞伎の知識だけある茂木健一郎」よりも、深い考察ができるということです。
何度も言うけどさ、茂木健一郎は自分が興味ある部分しか見ないじゃん。物事のかっこよくて目立つ部分しか見ないじゃん。それが幼稚だってことですよ。「目立たない部分にこそ重要なブブがある」というのがわからない原因は、丸暗記だけで自分で何かをやってこなかったから。
—
「自分(茂木健一郎)はいろいろなことを経験してきた」と。だからさ、「経験の質」の問題ですよ。どれもこれも薄っぺらく、ちょっとかじってはすぐに別なことをやる。それではそれぞれの分野の「プロ」だけがわかる、共通のもの、分野に関係なく共通するもの、が経験できていない。
広く浅くでは駄目です。狭く深くの人同士は、分野が違っても通じるものがある。
茂木健一郎は浅く広くつまみ食い的に掘ってるだけ。
分野は違えど、「ある深さ」まで掘った人間だけがわかり合える部分のがあるんですよ。
浅く広く掘ったって、たいした意味はありませんよ。だってそんなこと誰でもできるわけで。自分にしかできないことをやらないと、面白くないじゃん。
茂木健一郎は幼稚園児のようなもの。幼稚園児って他人が遊んでる玩具に目移りしちゃうじゃん。他人が自動車の玩具で遊んでると、自分も自動車の玩具が欲しくなり、他人が水鉄砲で遊んでると自動車の玩具への興味が薄れて、水鉄砲が欲しくなる。
幼稚園児ならいいけど、60歳のオッサンが幼稚園児と同じじゃ駄目でしょ。
MechaAG 2025/07/05(Sat) 23:38
- 今日の茂木健一郎(2025-07-06)
意識がないからこそ、AGI、ASIが爆誕する? - YouTube
ペンローズは「皇帝の新しい心」の話。これは過去何度も言ってるけど、他のほとんどの研究者から支持されていない。単に「こうかもしれない」といってるだけで、理論になってないし。
茂木健一郎はそういうペンローズの悪い部分(というのもなんだけど、未完成な部分)ばかり真似してるわけですよ。ペンローズが評価されているのはそういう「思いつき」の部分ではなく、正しいと多くの人が認める実績の部分だから。
ペンローズがノーベル賞を取ったりして評価されてるのは、「それ以外」の部分なわけですよ。ノーベル賞学者だって別に「思い付き」を言ってもいいじゃないですか。評価はされないけどね。
—
同様に茂木健一郎も思いつきを言ってもいいんですよ。俺も思い付きをいろいろ書いてるよね、このブログで。問題点はそこじゃなくて、ペンローズは「思いつき」以外のことをしっかりやってるのに、茂木健一郎の場合「思いつき」しかやってない点なわけですよ。それで評価しろというのは無理です。
アインシュタインも「神はサイコロを振らない」と思い付きを述べてるよね。でもアインシュタインのその部分は評価されてないわけですよ。
むろん「思いつき」は研究のきっかけとなり、もしかしたらすごい理論の発端になるかもしれない。しかしほぼ99%の思い付きは、そうはならず、何の成果も出せないまま埋もれていく。その事実を直視しないと。
—
たぶん茂木健一郎はさ「活字になってることは、なんでも正しい」と思ってるじゃないの?俺も小学校の頃はそう思ってた。だからUFOとか幽霊とかも「なるほど、こういうことがあるんだ」と無邪気に思っていた。解明できてないだけで、事実としては存在するのだ、と。
小学生の俺にはそれが「根も葉もない作り話」が大半だったとは思いませんでしたよ。人間は、事実でないことを言うわけですよ。「作り話」が無価値とは思わないけど、それは事実と区別しなければ駄目です。
同様にいくらアインシュタインやペンローズのようなノーベル賞学者が言ったからと言って、「思いつき」と「事実」は違うわけで。茂木健一郎はそういうことがわかってないんだとも思うよ。アインシュタインやペンローズが間違ったことを言うはずない、と。
—
また「意識」は安定を求めるという話。そんなことないでしょ。それならこんなに戦争が起きるわけないじゃないですかwww。「茂木健一郎の意識」は安定を求めるのかもしれないけど、いろいろな意識があるわけですよ。それが個性です。
なんで茂木健一郎は自分の意識が全人類代表の意識だと思うわけ?いつも多様性とか言ってるけど、全然逆じゃん。すべての人類は茂木健一郎と同じ意識を持ってるってことになるよね?ほんと「世界の王様」気取りなんだから。
自分(茂木健一郎)と違い意識を持ってる人間は不良品だとか思ってるでしょ。そんな感じだもん。自分の考えは正しいはずだ。だから自分た違う考えの人間は、不良品だ、と。
—
人間は「飽きる」と。aiが飽きないのは、飽きる回路を人間がaiに組み込んでないからですよ。人間の都合でしかない。茂木健一郎はさ、「aiは人間が作ってる」ってことを忘れてるじゃないの?人間は人間に役に立つaiを作ろうとするわけで、飽きっぽいaiはあまり人間の役に立たない。少なくとも現在の人間はそう考えてる。
でも実際はaiのもちゃんと飽きる回路が組み込まれてるですよ、ミクロ的にはね。
なんども例に出してるけど局所最適解の探索。どこまで遠くまで探すか?aiは1つの最適解を探すために全力を出してるわけじゃないので、適当なところで切り上げる必要がある。「もうこの辺でやめにしよう」と。つまり「飽きる」ためのアルゴリズムが組み込まれてるわけですよ。
問題解決の方法は1つじゃない。Aを改良すればいいかもしれないけど、Bを改良しても同じ効果が得られるかもしれない。だから1つのことばかり考えてても、全体の効率は上がらない。
たとえばロケットを遠くまで飛ばすには、燃料をたくさん積めばいい。だからそのための方法を考えればいい。でもロケットを軽く作れば、同じ燃料でも遠くまで飛ぶ。だからロケットを軽く作る工夫も必要。
じゃあどっちを優先して考えればいいか?それは「あれこれやってみる」しかないわけですよ。方法Aで改良できるうちは、方法Aを一生懸命やって、行き詰ったら方法Bを試す。方法Bで改良できるうちは方法Bを一生懸命やって、それが行き詰ったら、どうしよう?また方法Aを試そうか?それとも方法Cに取り組もうか、と。
—
こういう思考って人間と同じなわけですよ。人間がaiに、人間の真似をさせてるだから。茂木健一郎のaiのイメージって、昭和の「電子頭脳」的なものから、一歩も抜け出せていないwww。「ワタシハ マチガイヲ オカシマセン」とカタカナで喋る昭和の電子頭脳。文明は進歩してるわけですよ。いつまでも昭和じゃないです。
—
現実のai、chatgptやgeminiも、無限に考えてるわけにはいかない。人間が答えを待ってるからね。だから適当なところで思考を切り上げるようになってるわけですよ。
だから最近は「熟考モード」ってあるじゃん。時間をかけてもいいから、もっと深く考えろ、と。
—
もはや茂木健一郎よりaiの方が物事を深く考えてるわけですよ。「深く考える」というのは「何を考えるべきか?」を考えるということ。たぶん茂木健一郎は60年間一度も、やったことないでしょ。自然に頭に思いう着いたことを喋ってるだけだから。
茂木健一郎は自分が「思考」しないから、人間のように思考するaiが何をやってるか理解できないだろうね。そのうちチューリングテストで、茂木健一郎の方が「aiだ」と判定されちゃいますよ?
MechaAG 2025/07/05(Sat) 22:12
- 今日のビジネス(2025-07-05)
戸田覚 【Appleどした?】MacやiPadに勢いがなくて心配だ……。Apple大好きなんだからがんばってくれ - YouTube
つまらん。その辺のネットに書いてあるような誰でも思ってるようなないようだけで。あとこの人はずっとiPadでmacOSを動かせと言ってるけど、アプリの互換性の問題が複雑になるだけだと思うけどね。iPhoneも含めてmacOSに統一しろというならまだしも。
この人の意見はハイエンドのiPadはmacOSにして、ローエンドのiPadは現状のままってことだよね。同じiPadなのに中身が違うと、それはそれで混乱が生じると思うが。
操作性の問題しか考えてないんだと思うし、まあユーザーとしてはそれでいいと思うけど、macOSとiOS(およびiPadOS)は内部構造が違う。macOSがある程度iOSアプリが動くのは、macOSにさらにiOS互換の部分を載せてるからで、それをやるとosが大型化してしまう。
—
googleもandroid osとchrome os、microsoftもむかしwindows ceというタブレット用osを作っていた。microsoftはwindows phoneから徹底しちゃったけど。なかなかスマホでデスクトップ用osを動かすのは難しい。というか動かして動かせないことないけど、メモリを食うし、ひいてはバッテリーも食う。そのわりにユーザーから見える部分はたいして変わらないとなると、不評になる。
繰り返しになるけど、iPadのosをmacOSにするというのは、iPadに実質的にiOS+macOSの2つのosを載せることになるわけですよ。ローエンドiPadはもう作らず、ハイエンドiPadだけにするというなら、それでいいと思うけど。
統一するならiPhoneも含めて統一しないと意味がない。やってできないことはないけど、やっぱメモリとバッテリーが…。メモリは価格を上げれば、apple信者なら気にせずにかってくれるかもしれないけど、バッテリーを増やすと価格だけでなく重さが増えるからね。
—
最初からiPhoneの性能はこういうもの、重さもこういうものとなってれば受け入れられたかもしれないけど、現状でそれをやると現在のiPhoneと比べて性能が下がってバッテリー持ちも悪くなって重さも重くなるというなんのいいこともない。そりゃ開発者は1つに統一した方が楽だけどね。
まあでもai移行で求められるニーズや全体的なスペックも変わっていくだろうから、そうなれば上記のようなデメリットを補って上回る魅力があれば、ユーザーも受け入れるんじゃないですかね。しかしユーザーから見た使い勝手がたいして変わらないのに、性能が下がるんじゃ、受け入れられないでしょ。それこそ別製品といえるぐらい、それまでのiPhoneやiPadにない機能が搭載されないと。
—
戸田覚がなぜappleを批判するか?appleは中国メーカーみたいに、戸田覚に案件をくれないからでしょwww。要は中国メーカーが言いそうなことばかりなんですよ、もはや中国メーカーの代弁者、手先www。この人にとっては案件をくれる人が正しい人。
いや、言ってることは間違いじゃないが、別な側面があることをわかってないwww。洗脳というのはこうやってやるものですよ。嘘を吹き込むのじゃなくて、偏った情報を吹き込む。嘘だと流石にばれるからね。
こうやって日本のyoutuberは中国に洗脳されていくわけですな。やっぱ人間、最後は金(案件)だよねぇ。背に腹は代えられないから。
残念ながら俺はこの人が嫌いになっちゃったかな。でも変わったのは俺じゃなくて、この人の方だけどね。中国に洗脳されてしまった。本人は洗脳されたことに気づかないだろうけど。
MechaAG 2025/07/05(Sat) 15:11
- 今日の茂木健一郎(2025-07-05)(3)
思うに茂木健一郎って「1人カルト」なんじゃ。カルトってその内部で独自の価値観を構築してるじゃん。茂木健一郎もそう。独自の価値観を構築してる。しかも茂木健一郎の場合1人で。
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学校教育は間違ってるとか、他人とわかり合う必要ないとか。あまりに常識とかけ離れた価値観の世界を構築してしまったから、外(一般社会)では生きられない。今更後戻りできないから「俺の方が正しい、みんなが間違ってる」といい続けるしかない。
中高生の頃って「孤立」するのがカッコイイみたいなのがあるじゃん。渡世人、風来坊、流れ者。普通の人は就職して社会人になると、熱が冷めちゃうんだけど、茂木健一郎は今もそのままなんだろうね。
映画『男はつらいよ』(第1作)予告編映像/4Kデジタル修復版ブルーレイ2019年12月5日リリース - YouTube
『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』ドル3部作の4K復元版 予告編 - YouTube
Lupin III Part 1 ED [HD] - YouTube
茂木健一郎、安保法案にタイマーズの替え歌を捧げる - YouTube
茂木健一郎は若い頃は自分も過激だったと言ってたけど、茂木健一郎の若い頃って2年前ぐらい?(笑。いや~お若い。まあ実際には55歳ぐらいですかね。55歳といったら、部長ぐらいじゃん。こんなことやったら、次の日、会社来れないwww。
イーロンマスクとかスティーブジョブズが突然歌い出したら、気が狂ったのか!?と思っちゃうじゃん。その点、茂木健一郎は違和感ないけどw。
MechaAG 2025/07/05(Sat) 07:27
- 今日のAI(2025-07-05)
AIは賢いフリをしていた。ハーバード大学・MIT・シカゴ大学が共同発表した「ポチョムキン理解」の衝撃「多くの企業が頭を悩ませてきたAI性能のギャップの答え」とは - YouTube
[2506.21521] Potemkin Understanding in Large Language Models
aiは「韻を踏む」ということがどういうことか、正しく説明できるが、韻を踏んだ詩を作らせると、失敗する、と。しかもaiが作った詩をai自身に検証させると「この詩は韻を踏んでいない」と正しく答える、と。オイwww。
でもそんなパターンがネットにもあったような。「しりとり」をさせたら、平気で「ん」で終わる言葉を言ってくる。しりとりは「ん」で終わる言葉を言ったら負けだと教えると、わかりました、と答える。
でもまた「ん」で終わる言葉を言ってくる。「これはさっき教えたルールに反してるだろう?」と聞くと「ルールに反してました、すみません」と答える。でももう一度しりとりをじゃじめると、また…と。
だいぶ前の話だと思うけどね。だいぶ前といっても数年以内だけど。
—
でも人間伝もそうじゃん。「暗記」してるだけで「応用」ができない。それってこのaiと同じ。「内部的な非一貫性」というらしい。「宣言的知識(概念を説明する知識)と手続き的知識(概念を使う知識)が分離してしまっている、と。ふむふむ。
「人間であればある概念を理解してれば、それを説明することもつかうこともできる」と。え?もしかして人間に見えるけど、人間でない人がたくさんいるってこと?怖いじゃんwww。
そうか…aiはとっくの昔からいたんだ…なんだこんなに苦労して二度手間でaiを作っちゃったんだな。
—
でもまあ評価方法がわかったんだから、その成績が上がるように訓練(強化学習)すればいいんじゃ。むしろ簡単のような。だって自分で生成させて、それを自分でチェックさせればいいわけでしょ?むしろ人間の教育に応用したらいいんじゃ。
もしいくら強化学習させても思うようにポチョムキン率が低下しないなら、まだaiが実現できてない「人間の思考の秘密」があるわけで、新たな研究課題だよね。
—
「韻を踏む」という説明の文章の穴埋めは正確にできても、実際の韻を踏んだ詩の穴埋めは、上手くできない。これは「韻を踏んだ詩」を十分学習していないか、学習をしていてもそれを「韻を踏んでいるか?」という視点で学習はしていないのだろう。
人間の場合、「韻を踏む」ということを学んだ場合、すでに自分が知っている詩についても、「この詩は韻を踏んでいるのか?」という新たな視点で再評価・再学習が行われると思う。
これが現在のaiではできないのだろうけど、しかしこれをありとあらゆる知識について糞真面目に行ったら、現在でも膨大な計算量の学習が、これまた途方もないことになるよな。というか現実的に無理だと思う。
—
となるとポイントを抑えた再学習をいかに行うか?という何かしらの処理が必要。人間であれば、それまでいろいろな詩を暗記してきたとする。どれも「なにか特有のパターンがある」ように感じるものの、イマイチその規則性がわからずモヤモヤとしてる状態。
そこに「詩には韻を踏むという技法がある」という知識が付け加わり、試しに自分が知ってる詩を当て嵌めてみたら、「あ、これも」「これもだ。こっちもだ!」と、長年の疑問が氷解するような嬉しさがあるはず。
整理すると、1)自分の中に未解決の問題の発見。2)新たに学習したことを、未解決の問題とつなげる。3)長年の疑問が氷解する喜び。これをaiにプログラムすればいいってことだな。なんだ、簡単じゃんwww。
—
aiに欠けてるもの。1)学んだことを実際にやってみるという姿勢。2)それによる新たな矛盾の発見。3)発見した矛盾を何らかの方法で解消できないか?という自主的な探求。
どういうものに積極的に興味を持つか?も学習しないとならないよな。優先度をai自身が決めないと。
でもこれをやりすぎると、aiに質問しても「ちょっと今、考え事してるから、くだらない質問して邪魔しないで」とか断られるようになっちゃうかも。「そんなの自分で考えて!」「自分でググって!」と。
そうだよね、ai様の崇高な思考の邪魔を人間ごときがするなんて恐れ多い。ノーベル賞学者に「近くの美味しいラーメン屋教えて」とか聞いたらばちが当たっちゃう。
MechaAG 2025/07/05(Sat) 01:16
- 今日の茂木健一郎(2025-07-05)(2)
茂木健一郎はほんと堂々巡りが好きだよね。たぶん茂木健一郎にとっては「堂々巡りしてる=思考してる」ってことなんだろうな。「永遠にやってろ!」って感じwww。
—
aiに意識がないとして、意思がなくてもこれだけのことができると、証明された、と。ふむ、そうだね。だから?そこから「なら人間にも意識はない」って結論にどうしてならないのかwww。
茂木健一郎は「自分には意識がある」と思ってるかららしいけど、それが錯覚だとどうして思わないのかな。茂木健一郎の場合「自分が思ったこと=真実」みたいだから、そうなんだろうけど、それじゃ科学者とは言えないわけですよ。
「思った」だけでは「科学」ではない。それは宗教です。科学の場合「思った」ことを「証明」しないと駄目なんですよ。アインシュタインの相対性理論は日食の実験で正しいことを証明されたから、受け入れられてるわけで。
—
人間と話してても、典型的なことしか言わない人は「なんか変だな」と思う、と。だからさ、人間に対して思うなら、それは人間とaiを区別する基準ではないってことですよ。
例えば「人間」と「鳥」を区別するのに、空を飛べるか否か?で区別できるか?飛べない鳥もいる。でも空を飛べるなら少なくとも人間じゃない。
でももしかしたら人間の中にも「変な人」は空を飛べるかもしれない。その場合、別な基準で人間と鳥を区別しないとならないわけじゃん。それどころか、人間と鳥は区別できないかもしれない。
羽が生えてるのが鳥だ、と。でも人間の中には羽が果てる人がいるなら、それで人間と鳥を区別することはできないわけじゃん。
—
え?何言ってるのかさっぱりわからない?だからさ「変わった人間」なのか「鳥」なのか?ってことですよ。同様に「変わった人間」なのか「ai」なのか?ってこと。
人間にも、決まりきったことしか言わない、aiみたいな人がいるなら、それは人間とaiを区別する基準にならないわけじゃん。
なんで茂木健一郎ってこういう小学生レベルの思考ができないのかな。茂木健一郎って小学生時代「変わった子」だったでしょ。ストレートに言えば平均よりかなり知能が低い子だったでしょ。
それを暗記で補って、東大まで行った努力はすごいけど、やっぱ知能は低いわけですよ。暗記力はあっても思考力がかなり低い。
—
意識と身体性の話もそう。人間の中には不幸にして体が不自由な人もいるわけじゃん。「身体性がかかている」のが「意識がない」基準なら、人間の障害者も意識がないってことになるじゃん。
そもそも「なんとなく違和感を感じる」程度で、「意識がない」というなら、別な人間は他民族に対しても違和感を感じるわけじゃん。日本人は欧米人に違和感を感じるよね。いろいろ考え方も習慣も違う。そうなると欧米人は意識がない、aiなんだ、ってことになるじゃん。
まあある意味、茂木健一郎にとっては、自分以外の人類はすべてaiで、意識がないのかもね。自分だけが特別。自分は自分に違和感を感じないからね。
茂木健一郎は「違和感を感じる」ものを排除してきた人生だから。とにかく「自分は特別なんだ」と思いたい。
—
感覚器官(センサー)の違いと、意識の違いは、分けて考えないと駄目ですよ。茂木健一郎はずっと、ほんとむかしから「自分と同じ意識」と「意識の有無」を混同してるんだよね。
自分と同じように考えないと、その人は意識を持ってない、というなら、茂木健一郎からは自分以外の人類は意識を持ってない、ってことじゃん。なぜそれがわからないのかな。
生まれつき目が見えない人は、意識をもってないですか?目に見える人と同じ意識は持ってないかもしれないけど、その人なりの意識をもってるはずでしょ。
ならば感覚器官がない人間が仮にいたとしても、その人は意識をもってるはずじゃないの?aiだってそうですよ。
—
ほんとなんでこの程度の、ちょっと考えれば小学生でも思いつくレベルの思考ができないのかねぇ。頭のいい人の思考を真似してこなかったからでしょ?
俺は自分より頭のいい人を見つけては、一生懸命その人の思考の真似をした。だから、いい高校やいい大学に入って、正直嬉しかった。俺より頭のいい人がこんなにたくさんいる!と。ヘンゼルとグレーテルの「お菓子の家」みたいですよ。たくさんお菓子がありすぎて、食べきれない!!と。
茂木健一郎はせっかく高校も大学もいい学校に行ったのに、周りの人を真似しなかったみたいね。馬鹿だね、何のためにいい学校にいったのか。俺は就職してからも、優秀な人を見つけては、一生懸命真似した。「こんな時、あの人ならどう考えるだろう?」と。
—
そうやって人間は成長し、優秀になっていくものですよ。やっぱ自分1人で考えてても、限界があるからね。逆に言えば茂木健一郎は「1人で考える」ことの限界を感じるほど、考えてないんだと思う。なんでそんなレベルで満足してるですかねぇ。
だって、マジで、何度も言って悪いけど、小学生レベルだよ?たとえば小学生だと「この世から犯罪をなくすにはどうすればいいと思う?」「悪い人はみんな死刑にしちゃえばいい」みたいな思考をするじゃん。
確かに「犯罪をなくす」という条件は満たすかもしれないけど、それによって生じる副次的な問題を考えない。茂木健一郎ってそういう思考なんですよ。すごく短絡的・近視眼的。ペーパーテストのように問題文に明記された条件しか考えないwww。
—
意識といいうのは、身体性のような「広い世界」に触手を伸ばして情報を集めている、と。テンタクルズ(蛸)と。
だからさ、これも「現状のchatgpt」がそういうものを持たないだけじゃん。本質ではないわけですよ。なんでわからないのかな。今、一生懸命aiエージェントで、aiに目や耳、手や足をつける研究が進められてるわけじゃん。
なんなのかな。茂木健一郎にとっては「ロボット」と「ai」は別な物なの?「人間の脳」と「人間の体」は別な物なの?そんなの区別する意味ないじゃん?
結局、茂木健一郎がいいたいのは、chatgptは身体性を持たないから意識を持たないけど、体を持ったロボットなら人間と同じ意識をもつ、ってことでOKですか?
—
LLMはgpuの塊でその中で動いてるから、狭い世界だ、と。いやいや、人間の脳だって狭い世界じゃんwww。ほんとこの人、頭大丈夫www。
人間の場合、人間の身体を含めてが意識だというなら、aiについてもgpu本体だけでなく、それに接続されたさまざまな機器を含めてが意識なんじゃないの?
だからさ、茂木健一郎は、屁理屈としても幼稚すぎなわけですよwww。小学生にすら上げ足を取られるレベルの幼稚さ。茂木健一郎の思考レベルは小学校低学年、せいぜい小学3年生ぐらいですよ。小学5年生からは、突っ込まれますよ。「え?おじさんの言ってることおかしくない?」と。
—
aiアライメントは、「たった今」のchatgptではなく、少なくとも向こう10年から20年後までのaiを見据えて考えなければ駄目ですよ?だって「いま」はaiアライメントなんて必要ないじゃん。まだ実験的にしか社会にaiは導入されていない。遊び、玩具のようレベルですよ。
パソコンやインターネットもそうだったでしょ。自動車や飛行機もそう。最初はもの付きが、面白半分使ってるだけ。それが社会のインフラとなっていったわけじゃん。
aiアライメントというのはaiが社会のインフラになった時代をそうていしてるわけで、茂木健一郎はそんなこともわかってないようだよね。ほんと何も考えてないよね。いくらなんでも馬鹿すぎでしょ。
—
「現状のai」ではなく、最低でも「10年後のai」を想定して、aiと人間の在り方を考えなければ駄目ですよ?わかってます?わかってないでしょ。
だからaiアライメントを考えるなら、まだ実用化されていない研究段階のaiを視野に入れて考えなければ駄目なんですよ。なのでもっと「勉強」しなければ駄目です。テレビやマスコミが報道するのは「すでに完成したai」だからそのレベルの知識で、aiアライメントを論じるというのが、根本的に間違ってるわけですよ。
茂木健一郎はそもそも「先を見る」のが苦手なんだから、先を見ないとできな研究には向いてないんですよ。茂木健一郎は「現状」「目の前にあるもの」が好きなんでしょ。だったらウォーキングをして自然の美しさを語ってればいいじゃないですか。
aiなんて、ましてaiアライメントなんて、遠く先を見ないと研究できないものに手を出すのは、泳げない人が太平洋横断に挑戦するようなものです。
—
茂木健一郎はさ、インプットする情報がそもそも素人対象の情報なわけじゃん。一般向けのメディアの情報というのは素人向けに発信してる情報なわけですよ。
だからaiの専門家が数年後を見越して、今何を研究してるか?というのは、茂木健一郎は知らないわけでしょ?それじゃ駄目でしょ。aiアライメントは未来、最短でも数年先を考えて研究をしてるわけだから、「いま」のai、chatgptじゃ、時代遅れなわけですよ。
aiアライメントの研究が何らかの形でまとまるのが10年後の2035年だとすれば、その時点で10年前(2025年)のchatgptを基準にしても意味ないでしょwww。
ほんとなんで小学生でもわかることが、わからないですかねwww。10年後を見越してaiアライメントを研究するなら、aiも10年後のaiを想定しなければ駄目だって、わからないの?どうしてこの程度のことが考えられないのか逆に不思議。
—
だって10年後、2035年なら、今研究段階の人型ロボットも、かなり実用的になってきてるはずだよ。それならaiは身体性を持たないとか言ってられないじゃないですか。なんでわからないのかな。ほんと頭悪いです。
2035年なら、物好きな人の家には人型ロボットがある時代だと思うよ。個人でフェラーリを買うようなもの好きな人なら、人型ロボットを買う時代。
広い世界を見てないのはaiではなく、茂木健一郎です。あれ?もしかして茂木健一郎ってaiなんじゃ?一番aiを否定してた人間が実はai!こういうパターンもあるよね。
むかしバイオニックジェミーというドラマでfembotという敵のロボットが出てくるんだけど、fembotを操っていた敵の親玉もfembotだったというオチ。
地上最強の美女 バイオニック・ジェミー オープニング - YouTube
MechaAG 2025/07/04(Fri) 23:52