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日々の音色とことば

今年もありがとうございました。/2023年の総括

例年通り、紅白歌合戦を観ながら書いています。

 

2023年はどんな年だったか。ここのところ恒例になっている宇野維正さんとのトークイベント「ポップカルチャー事件簿『2023年徹底総括&2024年大展望』編」でも語りましたが、やっぱりエンタテインメントの領域に大きな地殻変動のあった1年でした。そしてこれは不可逆の変化でもあると思います。

 

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(1月10日までアーカイブ配信しているので興味ある方はぜひ)

 

旧ジャニーズ事務所を巡る問題や、さまざまなイシューが世を賑わせた1年でもありました。旧来の権威が解体していくさまはとてもダイナミックで、それは芸能界だけでなく政治の世界でも同時並行的に起こっていることで、そこには必然的な結びつきがあったようにも思います。

 

ただ、本当の変化は目に見えない社会の下部構造で起こっていることでもあると思っています。気付かないうちに、いつのまにか底が抜けていたということになるかもしれない。そんな危惧も感じています。

 

個人的な仕事の手応えの実感としては、ありがたいことに今年はずいぶんとメディア露出が増えた1年だったようにも思います。昨年に始まったTBSラジオの『パンサー向井の#ふらっと』という朝の帯番組へのレギュラー出演に加えて、TBSテレビ『ひるおび』でアーティストの魅力を解説するという機会もたびたびいただくようになった。

 

ダイノジ大谷さんとの音楽放談番組もフジテレビで放映されました。年末の特番が並ぶTVerの画面に自分の顔がサムネイルが映っているの、なんだか不思議な感じがします。

 

tver.jp

 

充実した仕事の場を与えてもらえていることには感謝の限り。ただ、そういう場所で活動しているせいかもしれないですが、世の中により一層「わかりやすいもの」が求められている風潮も、ひしひしと感じています。

 

求められていることにしっかりと応えつつも、目に見えない場所で起こっていることに耳を澄ますこと、匂いを嗅ぎ取ろうとすることを疎かにしたくはないと考えています。毎年書いているような気もするけれど、もっと思いついたことをブログに書いていこう。

 

というわけで、今年もありがとうございました。最後に今年の個人的なベストアルバム30枚を。2024年もよろしくお願いします。

 

  1. Noah KahanStick Season (We'll All Be Here Forever)
  2. boygeniusthe record
  3. スピッツ『ひみつスタジオ』
  4. Olivia RodligoGUTS
  5. King GnuTHE GREATEST UNKNOWN
  6. The Rolling StonesHackney Diamonds
  7. ヨルシカ『幻燈』
  8. Vaundyreplica
  9. GEZAN with Million Wish Collective『あのち』
  10. 君島大空『映帶する煙』
  11. PinkPantheressHeaven Knows
  12. くるり『感覚は道標』
  13. Zack BrianZack Brian
  14. YueleSoftscars
  15. Melanie MartinezPortals
  16. AmaaraeFountain Baby
  17. Troy SivanSomething To Give Each Other
  18. MitskiThe Land Is Inhospitable and So Are We
  19. UnderscoresWallsocket
  20. People In The BoxCamera Obscura
  21. NinhoNI
  22. TainyDATA
  23. マカロニえんぴつ『大人の涙』
  24. d4vdPetals to Thorns
  25. ROTH BART BARON8
  26. GRAPEVINEAlmost There
  27. GorillazCracker Island
  28. なとり『劇場』
  29. Cornelius『夢中夢』
  30. syudou『露骨』

日々の音色とことば 2023/12/31(Sun) 13:40

『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』重版記念/「ボーカロイド文化のその後の10年」

 

『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』が増刷しました。

 

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

 

2014年4月の刊行から9年目。これで3刷目となります。こういうたぐいの本が発売から時間が経ってから重版となるのは本当に嬉しい限り。僕にとっては初の単著でもあり、思い入れの大きな本でもあります。

 

新版には「ボーカロイド文化のその後の10年」と題した文章を綴ったペーパーを挟み込んでおります。

 

画像

 

2023年8月31日、初音ミクの16歳の誕生日にあわせてこちらのペーパーに記した内容もブログ上に公開しようと思います。

00年代のネットカルチャーの泡沫が過ぎゆく時の波に洗われて消えていく中、初音ミクの登場のときにあった熱気を、20世紀のロックやポップ・ミュージックの歴史とつなぐ形できちんと単行本の形で残す仕事をすることができたのは、自分にとってもすごく大きなことだったと思っています。

 

ボーカロイド文化のその後の10年


 ブームは去っても、カルチャーは死なない。


 それがこの本の主題の一つだ。本書のモチーフの原点になった「僕らは『サード・サマー・オブ・ラブ』の時代を生きていた」というブログ記事を公開したのは2013年1月。そこにはこう書いた。

 

歴史は繰り返す。ムーブメントそれ自体は、数年で下火になる。それは宿命のようなものだ。沢山の商売人が飛びついてきて、そして舌を鳴らしながら去っていく。したり顔で、得意げに「もう終わった」とささやく人が、沢山あらわれる。

 しかし、そのことを悲観することもないと、僕は思っている。二つの「サマー・オブ・ラブ」と「2007年」をつなぐことで、僕たちは歴史に学ぶことができる。

 サマー・オブ・ラブの季節が終わりを迎えても、ロックやクラブミュージックは、今も形を変えながら若者たちのものであり続ける。それと同じように、2007年のインターネットが宿していた熱も、この先長く生き続け、刺激的なカルチャーを生み出し続けるだろうと僕は思っている。ひょっとしたらこの先、ボーカロイドのブームは下火になるかもしれない。しかしそこで生まれた「n次創作的に共有するポップアイコン」というイメージは、これからのポップカルチャーのあり方を規定する価値観の一つになっていくはずだと思っている。

 

 そして2023年7月。そこから10年が経ち、願いと祈りを込めて書いた言葉が、ちゃんと予言となったことを実感している。

 ボーカロイド文化は、決して消えることはなかった。一時的な退潮こそあれ、しっかりとユースカルチャーとして根を下ろし、拡大し、そして、いまや日本の音楽シーンのメインストリームとシームレスに繋がるようになった。

 その象徴が「小説を音楽にするユニット」YOASOBIだろう。2019年、「夜に駆ける」でデビューした彼らは、瞬く間にブレイクを果たし、時代を代表する存在になった。2023年もその勢いはとどまるところを知らない。アニメ『【推しの子】』オープニング主題歌に書き下ろした「アイドル」は国内のヒットチャートを席巻、米ビルボードのグローバルチャート「Billboard The Global Excl. U.S. top 10」にて日本語で歌唱された楽曲として初の首位を獲得するなどワールドワイドに広まった。そんな中、コンポーザーのAyaseは初音ミク「マジカルミライ 2023」テーマソング「HERO」をボカロPとして書き下ろしている。それだけにとどまらず、即売会イベント「クリエイターズマーケット」にはサークル「DREAMERS」(Ayase・syudou・すりぃ・ツミキ)として出店が決定。ヒットチャートと同人文化とがここまで直結している時代が2023年だ。

 Adoの存在も大きい。2020年10月に「うっせぇわ」でメジャーデビューした彼女は、この曲の社会現象的なヒットで日本中から注目を集める存在になった後も、あくまでも「ボーカロイド・シーンの一員」という姿勢を崩さなかった。小学生のときに動画投稿サイトでボカロを知り、14歳で自ら「歌ってみた」動画を初投稿したというボカロネイティブ世代。2022年1月にリリースされたメジャー1stアルバム『狂言』は、「うっせぇわ」を作曲したsyudouを筆頭に、すりぃ、DECO*27、Giga、Neru、みきとP、くじら、Kanaria、Jon-YAKITORY、柊キライ、てにをは、煮ル果実、biz、伊根など、彼女が敬愛するボカロPたちが作り手として参加した。ブレイク後もボーカロイド、歌い手の文化をリスペクトし広めるスタンスを持ち続けている。


 振り返ってみれば、本書を上梓した2014年から2015年にかけては、ボカロシーンに〝停滞論〟が囁かれるようになった時期でもあった。ニコニコ動画で投稿年に100万回再生を達成したボカロ楽曲は、2012年の11曲、2013年の11曲から1曲に減少。2015年もこの傾向は続き、ブームの沈静化が生じつつあった。


 2015年7月に「アンドロメダアンドロメダ」を投稿し活動を開始したナユタン星人は、後に「僕がはじめた2015年は、過去に例がないくらいボカロシーンが落ち込んでいた時期でした。それこそ“焼け野原”とか“ボカロ衰退期”とか言われてました」――と語っている。(https://kai-you.net/article/80818

 ただ、その一方で、この時期には新しい世代のクリエイターが頭角を現してきた時期でもあった。そのナユタン星人に加え、後にヨルシカを結成するn-bunaは2014年2月投稿の「ウミユリ海底譚」で、Orangestarは2014年8月投稿の「アスノヨゾラ哨戒班」で脚光を浴びている。

 こうした動きがさらに加速したのが2016年だった。この年10月には後にシンガーソングライター・須田景凪としての活動を開始するバルーンが「シャルル」を発表。YouTubeに投稿されたセルフカバーをきっかけに様々な歌い手による「歌ってみた」ブームを巻き起こし、結果、2017年から2019年のJOYSOUNDカラオケランキングで10代部門において三年連続一位となるなど着実に支持を広げた。


 2017年には初音ミクは10周年を迎えた。記念コンピの発売や特設サイト開設など様々な企画が展開されたが、最も反響を集めたのは「マジカルミライ2017」のテーマソングとして4年ぶりに発表されたハチ(=米津玄師)の「砂の惑星」だろう。ボカロシーンへの問題提起を孕んだ歌詞の内容は賛否両論の論争を巻き起こしたが、今振り返ると、あの曲に込められていた「新しい才能がどんどん出てきてほしい」というメッセージは、まさに現実のものになったように思う。


 実際、2019年頃からボカロシーンは〝新たな黄金期〟とも言うべき盛り上がりを示し始めていた。syudou、煮ル果実、くじらなど、思春期にボカロに出会いボカロPにあこがれて育った世代の作り手が頭角を表し、クリエイターの裾野はさらに広がっていった。

 そして2020年はボカロシーンにとって大きなターニングポイントになった一年だった。前述した通り、YOASOBIがブレイク、「うっせぇわ」や、くじらが作詞作曲したyama「春を告げる」など、ボカロPが楽曲を書き下ろした歌い手のオリジナル曲がヒット。ネット発のカルチャーがJ-POPのメインストリームと直結するようになった。TikTokでの「踊ってみた」を起点に流行が生まれるタイプのボカロ曲が現れたのもこの頃だ。その代表がChinozo「グッバイ宣言」。当時10代で「King」をヒットさせたKanariaなど、さらなる次世代の才能も頭角を現しつつあった。

 2020年12月にドワンゴがニコニコ動画上でスタートさせたボカロの祭典「The VOCALOID Collection」(ボカコレ)をスタートさせたことも大きかった。回を重ねるごとにランキングが注目を集めるようになり、若い作り手たちが切磋琢磨する場が活性化した。

 2020年9月にローンチしたスマホゲーム「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」も、サービス開始から約10ヶ月でユーザー数500万人を突破するスマッシュヒットとなった。このゲームをきっかけにボーカロイドカルチャーを知った若い世代のファンも多いはずだ。

 2023年現在、ボカロシーンの現況は「全盛期を更新し続けている」と言える。

 さらに言えば、00年代のニコニコ動画で萌芽が生まれたn次創作のカルチャー、一つの曲が「歌ってみた」や「踊ってみた」などを介して広がっていく現象は、いまやグローバルなポップ・ミュージックにおける基本的なあり方になっている。世界中で日々TikTok発のバズが巻き起こり、UGC(ユーザー・ジェネレーテッド・コンテンツ)が起点になった数々のヒット曲が生まれている。

 そして何より重要なポイントは、まだまだ今は変化の渦中であるということだ。

 本書の最後にあるクリプトン・フューチャー・メディア伊藤社長のインタビューで言っていた「情報革命がライフススタイルにもたらすインパクトは、全然こんなもんじゃない」「もっとドラスティックな変化が数十年先に起こるはず」という言葉の重みも、10年が経ち、さらに増しているように思える。「情報革命の行きつく先は、価値のパラダイムシフトだと思っています」という予言も。

 初音ミクは「未来から来た初めての音」の象徴だ。相変わらずそう思う。

日々の音色とことば 2023/08/31(Thu) 06:41

映画『バービー』に潜む“死”と“不安”


 
 『バービー』を観た。

 

驚いたのは、予想してた以上に“死”にまつわる映画だったということ。



全然気付かなかった。なにしろキャッチコピーは「バービーの世界、初の実写化!」。キービジュアルもピンク色のカラフルな仕上がりだし、予告編もまるでおとぎ話のようなコメディタッチの映像。きらびやかでポップな世界観が全面に打ち出されている。

 

www.youtube.com

 

ただ、その一方で、『バービー』が単なるファンタジーじゃなく、ジェンダーを中心にさまざまな社会問題を取り扱った映画だということは、いろんな記事を通して、なんとなく伝わってきていた。

 

たとえば以下の記事には「映画『バービー』は女性をエンパワーメントするフェミニズム映画として大絶賛されている」とある。

globe.asahi.com

 

たしかにそのことは映画の大事な要素になっている。

 

「完璧な毎日が続くバービーランドから、ある日、バービーとケンが“人間の世界”(リアルワールド)に迷い込んでしまう」――というのが『バービー』のあらすじ。

 

映画には”人間の世界”に色濃く残る性差別や家父長制的な構造が描かれていたりもする。そこで“目覚めた”ケンが、バービーランドで反乱を起こし、車や映画や金融やロックについて語ったり、浜辺でうっとりとギターを弾き語りしたりして男の欲望を満たすという滑稽でユーモラスなシーンもある。そのあたりは、男らしさ(マスキュリニティ)に対しての痛烈な皮肉としても機能している。

 

でもでも、そんなことより何より、僕が気になったのは“死”を巡る問題。より噛み砕いて言うならば、死とアセクシュアル(生殖の不可能性)とメンタルヘルスにまつわる諸問題だ。

 

冒頭、デュア・リパの「Dance the Night」に乗せて陽気に、きらびやかに踊るバービーとケンたちのダンスパーティーは、「“死ぬ”ってどういうことなの?」という一言で、まるで一瞬にして空気が引き裂かれたかのように終わる。

 

www.youtube.com

 

それをきっかけにバービーの身体に異変が生じ、人間の世界との“裂け目”が生まれてしまうというのが映画のストーリー。つまり、最初から死は『バービー』の物語における最重要モチーフとなっている。

 

死だけではない。性的なことについてもそう。人形であるから生殖器を持たず(字幕や吹き替えでは“ツルペタ”と表現されていたけど、英語のオリジナル音声ではヴァギナとペニスがない、としっかり明言されている)、バービーとケンは決してセクシャルな関係にならない。夜を共にすることもないし、ケンが和解のときにキスしたそうなムードになったときも「そういうんじゃないから」とバービーがハッキリ拒絶する。

 

主演でプロデューサーもつとめるマーゴット・ロビー自身が、『VOGUE』のインタビューでもそのことに触れている。

 

「彼女は人形なんだ。プラスチック製の人形。臓器はない。臓器がなければ、生殖器もない。生殖器がなければ、性欲は感じるの?いや、感じないはず、というように考えていきました」

 

www.vogue.co.jp

 

だから、基本的にはユーモラスでファビュラスでコミカルな『バービー』の物語世界には、ずっと、実存的な不安が横たわっている。死ぬことはない。生殖もしない。バービーランドという、(資本主義によって作られた)夢のような完璧な世界が広がっている。じゃあ、そこにいる自分は、どうして、何のために生まれてきたの?という。それが大きなテーマになっている。

 

ただ、まあ、この不安に共感できるような人は少ないと思う。だって我々は人形ではないし、普通に日常生活を送っているから。当たり前に、生まれて、老いて、死んでいく。そこにアイデンティティの基盤がある。

 

でも、マーゴット・ロビーにとっては、ひょっとしたら、そうじゃないかもしれない。むしろそのルックスも含めて「(資本主義によって作られた)夢のような完璧な世界の住人」であること、記号的な存在として日々を生きることの虚無を感じているのかもしれない。だとしたら、自身をバービーに重ね合わせたのはすごく理解できる。

 

そして、サウンドトラックを聴くと、ビリー・アイリッシュが、ただ一人だけ、この映画の本質を理解しているように思える。そういうアイデンティティの不安や葛藤をストレートに射抜くような曲を作っている。曲名は「What Was I Made For?」(私は何のために存在しているの?)。

 

www.youtube.com

 

ドライブをしている 理想的な私

とても生き生きしていた

でも私は本物ではなかった

ただあなたがお金を払ったものに過ぎないの

私の存在は何のため?

 

ビリー・アイリッシュが書いた「What Was I Made For?」は、映画の中で何度もリフレインのように響く。作中のとても大事なシーンで使われている。

 

そして、MVを観ると、マーゴット・ロビーと同じように、ビリー・アイリッシュも自分自身をバービーに重ね合わせているのがわかる。なにしろ、ビリ―が箱の中から出してひとつひとつ眺めている着せ替え人形の洋服は、ビリー自身がこれまで着てきた衣装と同じデザインなのである。

 

『バービー』のラストでは、主人公のバービーが”人間の身体”を望み、それを得ることで終わる。生殖器を得ること、死ぬ身体になることが、ひとつの解放として訪れることで物語の幕が閉じる。そこから逆算的に描き出されるのは、夢のようなバービーランドが、ケンによる反乱とその鎮圧、そして和解を経ても、やはりなおディストピアであったということ。そこにあるのは”記号的な存在として日々を生きることの虚無”だ。

 

そして、バービーランドの鏡像的な存在である現実社会も、やはり”記号的な存在として日々を生きることの虚無”を強いられるディストピアである。我々の多くはそのことに気付いていないけれど、少なくともマーゴット・ロビーとグレタ・ガーヴィグとビリー・アイリッシュは、そのことを芯から知っている。

 

そういう映画として僕は『バービー』を観た。なので、すごくゾクゾクする面白さでした。



日々の音色とことば 2023/08/12(Sat) 23:00

『君たちはどう生きるか』に描かれた“誕生”と“継承”



君たちはどう生きるか : 作品情報 - 映画.com

 

『君たちはどう生きるか』観てきました。

 

すごかったです。とにかくすごかった。ポスタービジュアル以外何も公開されない特殊な宣伝手法もあって、ストーリーも登場人物も全く前情報がない状態で観た宮崎駿監督の最新作。年齢を考えるとこれが最後の作品になってもおかしくない。

 

なので最初は「これはどういうことだろう」とか「この描写の意図は」とか、筋書きに追いつくためにいろいろ考えながら観てたんだけど、気付いたら途中からそういうのぶっ飛んでた。圧倒的な体験で、気がついたら涙ぐんでました。

 

でもこれ、観る人によっては「これって一体なんのことだったんだろう……?」みたいな人もいるだろうな、とも思った。特に後半はイマジネーションの奔流のような展開なので、理屈で捉えようとすると何がなんだか全然わからないままで終わるという可能性もある。

 

でも、そういう人に向けた“わかりやすさ”みたいなものを一切放棄して、とにかく自身の作家性を100%開放した結果としてこうなっているんだなということも思った。

 

なので、これを観終わって思ったのは、やっぱり『風立ちぬ』で引退作だったらちょっと綺麗過ぎる終わりだったよな、っていうこと。気取ってるというか。僕は近作では『風立ちぬ』よりも『崖の上のポニョ』のほうが好きで、特に『ポニョ』後半の船を漕いでいく場面からの流れがとても好きな人間で。ああいう、世界の枠組みがグニャリと歪むような、アニメーションならではの、飛躍した、ときに危うい想像力に魅せられてきた人間としては、そういう“濃度”がとても高い作品を浴びたという、そんな感触でした。

 

というわけで、ネタバレなしで言えるのはここまで。ここから後はストーリーの内容やその核心にがんがん触れていくので、すでに作品を観たという方はどうぞ。

 


さてここからネタバレ領域。

 

最初に結論を言うと、『君たちはどう生きるか』は、「生まれるということについて」の物語だと僕は受け取った。出産、生命の誕生、そういうことをモチーフにした物語。さらに言うなら、宮崎駿という人がどんな風に生まれたのか、その想像力がどこからやってきたのか、そういうことにまつわる話。自叙伝とは全然違うんだけど、その根源的なルーツについての物語という風に僕は受け取った。


だから、タイトルも本当は『(僕はこう生まれた。では、)君たちはどう生きるか』だと、とてもしっくりくる。

 

舞台は戦時中で、主人公の眞人少年は、父親が工場を経営する裕福な家に育っている。このあたりの描写から、主人公は宮崎駿自身の少年時代をモデルにしているんだなということに気付く。

 

母親を火事で亡くし、新たに義母となった夏子と共に疎開した眞人少年は、住んでいる屋敷に飛来した青サギに話しかけられる。そうして屋敷の裏手の森の中にある古い塔の中に誘われる。この青サギがポスタービジュアルにあるキャラクター。絵柄だけ見るとクールな感じなんだけど、実際は『もののけ姫』に出てくるジコ坊みたいなコミカルで憎めないおじちゃんのキャラクターだったりする。そこからいろいろあって、眞人は姿をくらました夏子を探しているうちに異世界にずぶずぶと沈んでいく。

 

宮崎駿の作品の多くは基本的に「行きて帰りし物語」になっていて、その代表が『千と千尋の神隠し』なんだけど、この『君たちはどう生きるか』も「行きて帰りし物語」の構造になっている。屋敷にいる女中のおばあちゃんのキリコと共に訪れた場所は、生者よりも死者の方が多い黄泉の国のような異世界。冥府でもあるし、生まれる前でもある、そういう生と死が渾然一体となっているような彼岸の場所。

 

なので、物語の前半は戦時中の日本が舞台なんだけれど、後半はこの異世界での冒険譚がほとんど。それもファンタジー世界としての秩序や法や社会がきっちりと構築されているような“異世界”ではない。もっと主観的な、象徴的な世界。理屈や筋書きではなくイメージの連鎖で物事が進んでいくような世界を歩んでいく。


で、ストーリーには、いろんな象徴、いろんなメタファが次々とあらわれる。

 

それをどう解釈するかは観た人それぞれによって異なる。なので、『君たちはどう生きるか』は、観た人によって受け取るものが全然異なる作品だなあと思います。

 

あくまで僕の捉え方だけど、まずは鳥。この映画には喋る鳥が沢山出てくる。ペリカンやセキセイインコが集団で主人公を襲う。僕はペリカンやセキセイインコは「欲望」や「欲求」のメタファだと思っています。そう捉えるといろんなことがしっくりくる。ペリカンが主人公の眞人を無理やり鍵のかかった扉の向こうに押しやる。その向こう側に「子宮」や「産道」の象徴を思わせる岩の洞窟がある。つまりペリカンは欲望の中でも「性欲」のメタファである。だとするならば、社会を営み軍隊を形成するセキセイインコは「物欲」や「金銭欲」や「支配欲」のメタファである。

 

そして、この彼岸の世界自体が死と誕生を司る場所であるがゆえに、作中には性のメタファも沢山出てくる。その代表が中盤で出てくる「ワラワラ」だと思う。映画本編の中でほぼ唯一と言っていいくらいのふわふわした可愛いキャラクター。成熟するとぷっくりとふくらんで、螺旋を描きながら空に浮かんでいく。これは僕、「精子」のメタファだと思います。もしくはDNAや遺伝子といった、もっと生命の根源的なものと言ってもいいかもしれない。それを「性欲」のメタファであるペリカンが喰らうというのも、なんだか象徴的。

 

そういう意味でも、やっぱり、『君たちはどう生きるか』は、誕生や出産にまつわる物語だと思うわけです。母性にまつわる話である。

 

で、もうひとつ、『君たちはどう生きるか』には大事なテーマがあって。それは「継承」ということ。自分はこうやって生まれて、こうやって創造力を育んだ。それを次の世代、次の担い手に受け渡す。そういうことが、かなりわかりやすく前景化してストレートに描かれている。

 

それが表れているのが、大叔父から積み木を渡されるという後半のシーケンス。積み木というのは、まさに「作品」とか「制作」、つまりは「創作活動」のメタファだと思う。創造力で持ってひとつの世界を作り上げるいう営みの象徴として積み木がある。主人公の眞人はそれを直接受け取らず、しかし、石を現実世界に持ち帰る。

 

じゃあ、大叔父は誰に当たるのか、ここはいろんな見方があると思う。ここにもやはり宮崎駿が投影されていると見ることもできる。積み木はアニメーション映画そのものである、という。ただ、僕としては、先人の作家全般というイメージが浮かんだ。それこそ手塚治虫がその代表と言えるかもしれない。ともかく、創造力というものはゼロから備わったものではなく、先人から受け渡されたものなんだという、「継承」のモチーフがそこに描かれている。

 

そういう意味では、『君たちはどう生きるか』は創造力にまつわる話でもある。宮崎駿という作家が自分の創造性の由来をすべて開陳するような話。だからこそ過去作のセルフオマージュが沢山出てくる。たとえば船に乗って大海原に乗り出す冒険のシーン。鳥に乗って空を飛ぶシーン。母がわりの役割を果たす強い女性。導き手となる凛とした少女。無邪気なおばあちゃんたち。宮崎駿作品を観てきた人にとっては「あの作品にあれがあった」とピンとくるキャラクターやシーンが沢山ある。それはファンサービスのようなものではなく、むしろ「とにかく! 自分は! こういうものが作りたかった!」という宮崎駿の作家性をすべて詰め込むような強い意志を感じる。

 

そして、異世界への扉となる大きな塔は、作中では「人の手で作られたものではない」という風に説明される。ある日突然、空から落ちてきたのだ、と。この大きな塔こそが、「物語」のメタファなのだと僕は受け取った。宮崎駿は沢山の物語を紡いできたが、その根源にあるものは決して人の手で作られたものではない。むしろアカシックレコードのように、神秘的な何かなのだと。

 

つまり、『君たちはどう生きるか』は、ふたつの意味で「生む」ということにまつわる物語であると言える。一つは出産。新しい命を世に生み出すという母の営み。夏子が身ごもっているということがその象徴だ。そしてもうひとつは創造。何かを思い描き、作品を制作することで新たな世界を生み出すという作家の営み。そのふたつが意図的に混ぜられている。

 

で、ここまで考えをめぐらせて、ようやく気付く。

 

観終えたらみんな主人公の眞人が宮崎駿の少年時代をモデルにしたキャラクターだと思うような作りになっているし、それは間違いないのだけれど、それと同時に実は、「夏子の身ごもっている子」こそが宮崎駿が自分自身を投影している対象なのではないだろうか? 戦時中という作中の年代を考えると、1941年生まれ、すなわち戦中生まれで、なおかつ次男である宮崎駿のキャラクターと符号するのは、そっちなのではないかと思う。

 

だから、「行きて帰りし物語」の構造を持っている作品の最後に描かれたのは「身ごもっていた子供が生まれた」ということで。物語の最初で「弟か妹かわからない」と言われていたが、それが弟であることがラストシーンで明かされる。そこにカタルシスがある。

 

そういうことを思いながら観ていたので、最後のエンドロールで米津玄師「地球儀」が流れたとき、いろんなことが心に浮かんで、胸が動かされて、気がついたら涙が出てた。なぜならこの曲、歌い出しが《僕が生まれた日の空は》というフレーズなのである。

 

宮崎駿は、少なくともこの作品を通して、”継承”の相手に米津玄師を定めたのだと思う。それはアニメーション作家として、ということでなく、巨大で奔放な創造力の持ち手として。コメントによれば公開の4年前から様々なやり取りを経て曲を作っていったという。世代やジャンルを超えた交歓の数々があったのだと思う。

 

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宮崎駿が米津玄師という才能に出会って、そのことによって主題歌が決まった。最後のエンドロールでバトンを渡して、そして「地球儀」は、それを確かに受け取りました、という曲に聴こえる。だからこそ泣けたんだという。

 

そういうことを思った。

 

日々の音色とことば 2023/07/16(Sun) 06:00

小さくて弱いもの、疎外されたもの、傷ついたものの側に立つスピッツの歌について

スピッツの『ひみつスタジオ』がすごくいい。

 

これまでのスピッツのアルバムの中で一番好きかもしれない。何度か聴き返して、どういうところが好きなのか改めてわかってきた。

 

ストリーミングチャートでヒットして新たな代表曲になりつつある「美しい鰭」とか、リード曲「ときめきpart1」とか、タイアップ曲も沢山入っているけれど、たぶん、アルバムの中で最も重要な楽曲は「オバケのロックバンド」。草野マサムネだけでなく、三輪テツヤ、田村明浩、崎山龍男と、メンバー全員が代わる代わる歌う一曲。奇抜なアイディアだけど、これ、“遊び”でも“企画モノ”でもなく、メンバー1人1人の自己紹介的なフレーズと、スピッツというバンドのアイデンティティを真正面から歌ったキーポイント的な曲だと僕は思う。

 

《子供のリアリティ 大人のファンタジー》

とか

《毒も癒しも 真心込めて》

とか、ほんとにそうだよな、と思う。

 

この曲から、そしてアルバムの全体的なトーンから「童心」がひとつのモチーフになっているということが伝わってくる。

 

なにより印象に残るのは、4人の音がわかりやすく伝わるアレンジになっているということ。「美しい鰭」とかシングル曲のサウンドプロダクションは丁寧にモダナイズされているけれど、アルバム収録曲の多くは4人のシンプルなバンドサウンドに徹している。たとえば「跳べ」は8ビートのパンクロックだし、たとえば「めぐりめぐって」は「♪ジャッジャッジャジャ〜」と揃ってキメるリフが見せ所になってる。これだけのキャリアを持つバンドの、17枚目のアルバムとはとても思えないくらい、「バンドで音を合わせること」の純粋な楽しさとか喜びみたいなものが伝わってくる。インタビューとかを読むとコロナ禍を経て久々に集まったことが背景にあるらしいけれど、それにしてもここまでピュアで無垢なトーンが鳴っているの、なかなかすごいと思う。

 

で、もうひとつは、ビジュアルやアートの象徴性。このアルバムのジャケットは画家・絵本作家のjunaidaさんが描いたロボットデザインを実物大に再現したものになっている。

 

ひみつスタジオ

 

で、アルバムと同日には全曲の歌詞をもとにjunaidaさんが描いた“歌画本”の『ひみつストレンジャー』が発売されている。これを読みながら聴くと、歌詞の解像度が数倍にあがって、ものすごく真に迫ったイメージが広がる。

 

ひみつストレンジャー


で、ここからが大事なこと。

 

『ひみつストレンジャー』を読みながら何度も聴き返して、改めて気付くことがあった。このアルバム、ほぼ全ての曲で、小さくて弱いもの、疎外されたもの、傷ついたもの、世の中の仕組みに馴染めないもののことを歌ってる。

 

いろんな曲の歌詞の描写は、世の中のすみっこの方から始まる。「大好物」の主人公は

《つまようじでつつくだけで壊れちゃいそうな部屋》

にいたし、「ときめきpart1」の主人公は

《誰も気に留めないような隙間にじっと隠れてた》

と描写される。「オバケのロックバンド」で草野マサムネが歌うラインは

《誰もが忘れてた物置き小屋の奥》

から始まる。

 

「手鞠」の歌詞もかなりグッとくる。多様な読みのできるラブソングになっている。

 

この曲のAメロでは

《常識を保つ細いロープで 身体のあちこち傷ついて
感動の空気から 逃れた日 群れに馴染めないと悟った
誰のことももう愛せないとか 決めつけていたのかも》

と歌われる。そしてサビでは

《可愛いね手鞠 新しい世界
弾むように踊る 君を見てる》

と、みずみずしいメロディで歌う。

 

もちろん解釈は聴き手の自由に開かれているし、当然LGBTQとかマイノリティとか、そういうことは一切明示されていないけれど、この曲はクィアな読み方をすることもできる。少なくとも“君”に出会う前のこの曲の主人公は、“常識”や“群れ”に苦しめられ、一人で人生を過ごすことを決めていた、という風にとれる。

 

で、そういう風に「小さくて弱いもの、疎外されたもの、傷ついたもの、世の中の仕組みに馴染めないものに寄り添う」立場で曲を聴いていくと、アルバムの曲で歌われていることに、ひとつの通底したメッセージを発見することができる。

 

アルバムのいくつかの曲には「自分が自分らしくいるために、常識や決まり事に抗うこと」がモチーフとして歌われている。みんなが思い込んでいること、社会の中で当然とされていることにあえて従わないことや、抗うことや、ひいては体制をひっくり返すことについて歌われている。

 

たとえば「跳べ」では

《暗示で刷り込まれてた 谷の向こう側へ 跳べ》

と歌われる。「美しい鰭」では

《抗おうか 美しい鰭で 壊れる夜もあったけれど 自分でいられるように》

と歌われる。

 

「未来未来」では

《1000年以上前から語り継いだ嘘が 人生の意味だって 信じて生きてきたが 勧善懲悪なら もう要らない》

と、「Sandie」では

《虎の威を借る トイソルジャーたちに さよならして 古ぼけた壁 どう壊そうかな》

と歌われる。

 

一人ひとりが自分らしく生きていけるために、か弱い、繊細な心を持つものが壊れてしまわないために、「古ぼけた壁」、つまり時代遅れになった社会の規範の方を壊して変えていくということについて、歌われている。そういう意味でも、このアルバムの本質は「パンク・ロックとしてのスピッツ」にある感じがする。

 

それに気付いてから「讃歌」を聴くと、すごく感動する。この歌もラブソング。そしてやっぱり、幻想的な描写を通して「小さくて弱いもの、疎外されたもの、傷ついたもの、世の中の仕組みに馴染めないもの」に寄り添う曲。

 

なにしろマイナーコードのストロークと共に

《枯れてしまいそうな根の先に 柔らかい水を染み込ませて
「生きよう」と真顔で囁いて》

と始まる曲だ。

《勇気が誰かに利用されたり 無垢な言葉で落ち込んだり
弱い魂と刷り込まれ》

と、傷ついた心を綴る言葉は

《だけどやがて変わり行くこと 新しい歌で洗い流す》

と続く。

 

今朝、僕は公園を犬を連れて散歩していた。子供たちが砂場で遊んでいて、そこに初夏の太陽の光がキラキラと降り注いていた。

 

その光景を眺めながら、ヘッドホンでこの曲を聴いていた。

 

クライマックスのところで、高らかなメロディに乗せて

《二人だけの小さな笑いすら 今は言える 永遠だと》

という言葉を歌っていて。そこを聴いた瞬間、なんだかこみ上げてくるものがあって、ちょっと泣いてしまった。その時に感じたことを覚えておきたくて、これを書いたのです。

日々の音色とことば 2023/05/27(Sat) 07:14

NewJeansとアジアと「チョベリグ」な日本

僕が『平成のヒット曲』という本を出したのは約2年前の2021年のこと。そこの後書きにはこう書いた。

 

改めて振り返った今、ひょっとしたら我々が過ごしてきたのは、ある種の「幸福な時代」だったのではないだろうかという思いがある。

もちろん、そう考えない人も多いだろう。バブル崩壊後の経済停滞は長く続いた。二度の震災もあった。本書の中でも「失われた」という言葉は頻出している。

それでも、ポピュラー音楽、大衆文化について考える時には、「平成」という言葉は、(たとえば「大正」と同じように)、ある種の豊かさのイメージと共に振り返られるようになっていくのではないかという予感がある。

 

その予感は、いい意味でも、悪い意味でも、当たったような気がしている。

 

悪い意味というのは、その「豊かさ」の感覚が、いよいよ失われつつある、ということ。日本という国が他の国と比べて相対的に貧しくなっているというのは、たとえば海外旅行をして食事をしてみれば一目瞭然なわけで。平成という時代にあった”停滞”、つまりモラトリアム的な感覚もいよいよ失われて、剥き出しの格差と階級社会が目に見えてきているような感もある。

 

そして何より、「振り返り」が続いている。大衆文化のメインストリームには、時代を前に進めていこうという力強い意志よりも、懐かしさとじゃれ合うようなムードが続いている。昭和の、そして平成のリバイバルはずっとトレンドになっている。

 

まあ、他人事のように言うわけにもいかないよな。僕自身も、それに加担している。TBSラジオの朝番組で毎週90年代の、そして00年代のヒット曲を解説するというコーナーをやっている。毎回、しっかり力を入れて選曲して準備して喋ってる。自分自身、『平成のヒット曲』という本を書いたこと、そしてその後にいろんな曲をセレクトしてその背景を解説する仕事を通じて、「平成という言葉をある種の豊かさのイメージと共に振り返る」活動をしているわけであるので。

 

ただ、それだけに、こういうCMを観ると、とてもむず痒いような気持ちがしてしまう。

 

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マクドナルドの「平成バーガー」のCM。キャッチコピーは「あの平成が、かえってくる。」。CMでは池田エライザがギャルファッションをして「チョベリグ!」と言っている。楽曲は浜崎あゆみの「Boys & Girls」。1999年リリース。

 

なんというか、おそらく電通のクリエーティブなのだろうけど、「ほんとに、それでいいの?」と思ってしまう。浜崎あゆみが悪いわけじゃない。ギャルファッションが悪いわけじゃない。でも、ディティールの一つ一つにも、そもそもコンセプトにも、言葉にしがたい”キツさ”がある。

 

何がキツいのか。

 

「懐かしの〜」とか「昭和レトロ」とか、題材は何でもいいけど「温故知新」の「温故」しかないクリエーティブを堂々と眼の前に開陳されると、「ほんとに、それでいいの?」と思ってしまう。作り手としての矜持、ないの?って。

 

もちろん受け手がそれを喜ぶのは全然いい。そこにターゲットを絞ったプロダクトやコミュニケーションをするのもいい。『昭和何十年男』みたいなね。

 

でも、せめてCMクリエーターなら、それもマクドナルドみたいなグローバル企業のキャンペーンを打つなら、「知新」を意識に入れてほしいよねと思ってしまう。

 

一方で、NewJeansのマクドナルドのCMはめちゃめちゃクールなのですよ。

 

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商品はマクドナルドの新メニュー「McCrisp」。クリスピーチキンの”サクサク感”を、ピクセルのビジュアルと8bitのチップチューンサウンドとかけ合わせて、つまりは任天堂のファミコンの表象を引用して訴求している。

 

ファミコンやレトロゲームは日本発祥のサブカルチャーなので「持ってかれた」と感じる人はいるかもしれないけど、まあ、グローバルに見れば同じ東アジアのポップカルチャーということで。あとは、ちゃんとAR的な映像表現にしていることで、期せずして『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』と同時代性もある2023年のクリエイティブになってるなと思う。

 

NewJeansはコカ・コーラとのコラボレーション曲「Zero」も最高だった。ドラムンベースのビートに乗せて「コカ・コーラ、マシッタ(コカ・コーラおいしい)」とサビで唄う曲。めちゃめちゃフレッシュだし中毒性高い。

 

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ナイキのAirMaxのCMも、Y2Kファッションの引用とかクリエーティブの「温故知新」が効いているように思う。

 

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で、マクドナルドとNewJeansのコラボレーション、どうやら韓国だけじゃなく、フィリピン、タイ、インドネシア、ブルネイ、マレーシア、香港、台湾、シンガポール、ベトナムでも展開予定のキャンペーンらしい。今のところ日本はスルーされている。

 

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NewJeansがこうやってアジアを席巻してるなか、日本だけ「チョベリグ」とか言ってていいの? ほんとにいいの?って思ってしまうよね。

 

 

日々の音色とことば 2023/05/26(Fri) 03:43

バック・トゥ・ブログ 2023

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久しぶりにブログを再び動かしてみようと思う。

 

ありがたいことに、去年から朝のラジオ番組に定期的に出演させてもらうようになった。テレビからもたびたびお声がけいただくようになった。本も何冊か出版することができた。

 

「音楽ジャーナリスト」という肩書きで仕事をするようになって、10年が経った。取材をして、それを文字に起こして、原稿を書いて。なんだかんだで毎日忙しくて、あっという間に日々は流れていく。

 

「自分がどこから来たのか」ということを、ふと考えた。やっぱり僕はブログから来たんだよなと思った。この名前でブログを始めたのは2008年の初頭のこと。最初に決めたのは、誰かを貶めないということと、できるだけ悲観的にならないということ。

 

とにかく、僕は、仕事としての文章とか、対価をいただく原稿とか、そういうところじゃないものを書くというところからやってきたんだよな、と思う。ひとりごとのような、それでも誰かが読んでくれることをちょっと期待しているような。そういうトーンでものを書く。そこから今の自分がつながっている。

 

再び動かすのをnoteにするか、ここにするか、どうしよう? それも考えた。両方運用してるから同じ内容を転載することも考えてみたんだけど、どうもそれはノリが悪い。面倒くさいというのもある。

 

noteは課金してマネタイズする機能が設定されているので、そういう方向性の文章を書く場所としてはいいんだろうなという気持ちもある。だけど、僕が今、ブログに書きたいのは、そういう文章じゃない。誰かにお金を払ってもらうような、何かの対価を求めるような文章じゃない。

 

あんまり拡散したくないという気持ちもある。アテンション・エコノミーの丁々発止にはできるだけ参加したくない。バズることを狙いたいわけじゃない。かといって課金制度で囲い込んだ人だけに読ませることを書きたいわけじゃない。

 

岡田育さんの「さようなら、Twitter」という文章を読んだことにも、ちょっと影響されている。

 

okadaic.net

 

Twitterは変わってしまった。そういう声も聞く。そうなのだろうと僕も思う。

 

ただ、昔はよかったとか、それに比べて今はひどいみたいなことを言うような気持ちはない。あるのは現在だけ。そう思う。

 

ともかく、僕が思っているのはブログを書こうということ。日記を書くみたいに、淡々と、続けていこうと思う。

 

これまでもスタイルや方向性や文体はいろいろ変わってきたから、一貫していなくてもいいと思う。その時に考えていることを、オチもまとまりもつけずに、ただ綴っていくということをしようと思う。

 

犬と猫2匹と暮らし始めて、6年になる。散歩は毎日僕が担当している。iPhoneのカメラロールは犬と猫の写真ばかり。

 

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日常のこととか、ニュースや世の中の動きについてのこととか、そういうことを書いていくのもいいかもしれないな。

 

日々の音色とことば 2023/05/21(Sun) 13:54

ELLEGARDENが教えてくれた「歳を重ねても色褪せない」ということ

※2023年2月28日に「ARTICLE」というサイト(現在は閉鎖)に掲載された文章の再録です

The End of Yesterday

「誰だって自分に火がつく歌があるはずだ」

ELLEGARDENの細美武士は約16年ぶりの新作アルバム『The End of Yesterday』の収録曲「Firestarter Song」でこう歌っている。「Everbody’s gotta have their own firestarter song」。そうだよなあ、と思う。

 


僕にもそういう曲はある。

音楽が自分を奮い立たせてくれた経験は沢山ある。たとえばヘッドホンで聴きながら街を歩いたり、爆音でかけながら車を走らせたりしているうちに、自然と身体が熱くなるような感じになったりする。自分で気が付かないうちにギュッと拳を握りしめていたりする。ライブハウスで汗まみれになったり、野外フェスでずぶ濡れになったりしたときの特別な記憶が、自分を支えてくれているようなところがある。

そういう、自分に火をつけてくれる歌のうちのひとつがELLEGARDENの曲だった。

だから活動再開はとても嬉しかった。2008年の活動休止から約10年ぶりの2018年にONE OK ROCKとの対バンのスタイルで行われた復活ツアー「THE BOYS ARE BACK IN TOWN TOUR 2018」は、ZOZOマリンスタジアムでライブを見届けた。

 

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■正直でいること、自由であること、理想を貫くこと

世代という意味でいえば、ELLEGARDENは決して僕にとって“青春のバンド”というわけではない。

彼らが活動を始め、人気を拡大していったときには、自分はすでに音楽雑誌の編集者やライターとして仕事をしていて、そろそろ30代に差し掛かろうとしていた。

でも、“世代”とか、そういうことじゃないんだよな。

ELLEGARDENというバンドはいつも、正直でいること、自由であること、理想を貫くこと、あらゆる抑圧に立ち向かい、その力を跳ね除けることを歌っていた。

その抑圧の中には、世間のなかで常識のように扱われていること、“わかったふりをした大人たち”が“上手い世渡りのやり方”みたいにして手渡してくるものも含まれていた。

たとえば「金星」は、狡猾さによって得たものなんてあっという間に失ってしまうということを歌っている曲だ。たとえば「Middle Of Nowhere」は、誰にも理解されず、信じてもらえず、落ち込んで、すべてを拒絶している“君”に向けての言葉が歌われている。

 

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沢山の人たちが彼らの歌に込められたものを受け取って、それぞれの人生の中で大事にしてきた。憧れの対象にしてきた若い世代のミュージシャンも沢山いた。だからこそELLEGARDENというバンドは活動休止から10年が経っても、忘れられるどころか、より大きな存在となってシーンに戻ってきたわけだ。

■懐古的なものではなく、今の時代のサウンドに仕上がっていた新作アルバム

2022年12月、ELLEGARDENは約16年ぶりの新作アルバム『The End of Yesterday』をリリースした。正真正銘の復活作。最初はそのインパクトの方が大きかったけれど、しばらく経って何度も聴きかえすようになって、アルバムの真価がフラットに伝わってくるようになった。

アルバムの大きなポイントは、待っていたファンを喜ばせるだけの懐古的なものには決してなっていないこと。むしろ新たな挑戦に満ちたものになっている。

サウンドメイキングにもそれが表れている。ヒップホップやR&Bがポップスの主流になった今のUSのモダンなミュージックシーンの潮流を踏まえた音になっている。もちろん彼ららしい情熱的なメロディのパンクロックが軸になっているんだけど、決して以前の焼き直しにはなっていない。

たとえば独特の浮遊感が漂う「Perfect Summer」やダンサブルな「Firestarter Song」のような曲は、活動休止前の彼らだったら作っていないだろう。

新作はLAで数ヶ月にわたって滞在して楽曲制作し、レコーディングも現地のプロデューサーやエンジニアと共に行ったという。そのことが大きく影響しているのは間違いない。おそらくONE OK ROCKのTakaとの交流も刺激になったはずだ。

雑誌『MUSICA』に掲載されたメンバーインタビューによると、細美武士が単身渡米して数ヶ月でアルバムのために制作したデモトラックは120曲。その全てがドラム、ベース、ギター、コーラスまで入った完成形に近いもので、ケータイのボイスメモに録音された断片レベルのものは1000個はあったという。そこから厳選された11曲がアルバムに収録されている。他にもクオリティの高い曲は沢山あったそうだ。言葉にすると簡単だけど、相当な量だ。そういう執念を感じるような制作作業がアルバムのクオリティの背景になっている。

■全てを賭けた一世一代の勝負に挑む気概

なぜ、そこまで自身のエネルギーを費やすような制作になったのか。

その答えのような、決意表明のようなことが歌われているのがアルバムの1曲目の「Moutain Top」という曲。

 

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全てを賭けた一世一代の勝負に挑む気概が、高らかに歌われている。歳を重ねても守りに入らず過去に頼らない姿勢が、サウンドにも言葉にも表れていて、そこにグッとくる。

そして、こういう曲は今のELLEGARDENだからこそ歌えるものだと思う。

先の見えない可能性に翻弄される10代や20代の頃に比べて、40代や50代の頃になると、良くも悪くも、人生の見通しがある程度立ってきたような気がするような人は多いのではないかと思う。成し遂げてきたことが積み重なって、後ろを振り返れば自分の足跡があって、それが先に進む道につながっている。「安定」というのはそういうことだと思う。

けれど、それを全てかなぐり捨てるような覚悟があってこそ、得られるものがある。

「チーズケーキ・ファクトリー」も、歳を重ねたからこそ生まれる思いを綴った曲だ。

過去の大切な思い出は、今もキラキラと光っている。それは決して色褪せないし、今だって、その気になりさえすれば、その輝きを探す冒険にもう一度出かけることができる。

■ELLEGARDENが教えてくれたもの

僕が40代後半になって気付いたことがある。これまで沢山の小説やマンガ、映画やドラマが「青春が色褪せる」ことを描いてきた。沢山の歌がそういうことを歌ってきた。無鉄砲さや、夢に向かう真っ直ぐさやみずみずしい喜び、そういうものが歳を重ねるごとに失われていくということをテーマにしてきた。

だから10代の頃は「大人になるって、そういうことなんだ」と思い込んでいた。夢と引き換えに、安定と責任を得る。そういうことだと思っていた。

もちろん、それが間違っていたわけじゃない。それは多くの人にとって頑然とした事実であるとも思う。

でも、それって結局、“わかったふりをした大人たち”が伝える“上手い世渡りのやり方”でもあるんだよな。

僕にとって、ELLEGARDENの曲はそういうことを教えてくれるものでもある。

 

日々の音色とことば 2023/02/27(Mon) 15:00

TVアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』と結束バンドが鳴らす「下北沢のあの時代」

※2023年1月27日に「ARTICLE」というサイト(現在は閉鎖)に掲載された文章の再録です

邦ロックの系譜を受け継ぐ、完璧なアルバム

結束バンド(期間生産限定盤)

 

まさかの傑作アルバムが届いてしまった。

 

ジャケットの絵柄からいわゆる"アニソン"かと思いきや、アニメの関連作品でありつつ、いわゆる00年代以降の“邦ロック”カルチャーの魅力をぎゅっと凝縮したような1枚になっている。

 

全14曲に相当な愛情と気合の入り方を感じる。

 

それが結束バンドのアルバム『結束バンド』だ。

 

結束バンドというのは、TVアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の劇中に登場するバンド。

高いギターの腕前を持ち動画投稿サイトで人気を集めながらも引っ込み思案で極度の人見知りな高校1年生、“ぼっち”こと後藤ひとりが、伊地知虹夏、山田リョウ、喜多郁代と出会ってバンドを結成、音楽活動を通じて成長していくストーリーだ。

 

キャッチコピーは「陰キャならロックをやれ!」。

 

コミカルな日常風景とライブハウスを舞台に繰り広げられるリアルな音楽描写が人気の理由になっている。

 

■下北沢ライブハウスシーンへの愛情とリスペクト


僕がこの『ぼっち・ざ・ろっく!』を知ったのは、アニメよりも楽曲が先だった。放送が始まってしばらく経った頃、Spotifyのバイラルチャート上位にランクインした「青春コンプレックス」を聴いて、結束バンドという存在を知った。

 

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曲を聴いて感服した。

 

2本のギターが絡み合って疾走するバンドアンサンブルにも、内向的な心象風景と思春期的な衝動が混ざりあった歌詞にも、00年代の下北沢のギターロックシーンの格好よさのエッセンスが息づいている。巧みに韻を踏み促音で跳ねるリリックに「アジカン以降」のセンスを感じる。

 

で、そこから『ぼっち・ざ・ろっく!』を観て納得した。

 

このアニメは下北沢が舞台になっている。

 

主人公たち4人が拠点にしているライブハウス「STARRY」は、実在するライブハウスがモデル。外観だけでなく、地下に降りていく階段も、バーカウンターやステージもかなりリアルに再現されている。

 

そして、アニメのいろんなところにASIAN KUNG-FU GENERATIONを元ネタにしたモチーフがある。

 

後藤、喜多、山田、伊地知という4人の名前は、そのまま後藤正文(Vo,G)喜多建介(G, Vo)、山田貴洋(B, Vo)、伊地知潔(Dr)というアジカンのメンバー4人の名前からとったもの。各話のサブタイトルもアジカンの曲をもじったものになっている。

 

おそらく『まんがタイムきららMAX』で連載している原作者のはまじあきさんがアジカンやいろんなバンドのファンで、アニメのスタッフもその愛情やリスペクトを100%汲んだ形で音楽制作にあたっているんだろうと思う。

 

■下北沢発ギターロックバンドの完璧なフルアルバム


楽曲に携わっている作家陣の面々からもそのことが伝わる。

 

ほぼ全ての楽曲で編曲を手掛ける三井律郎はLOST IN TIMEのギタリストで、00年代から現在に至るまでずっと下北沢を拠点に活動してきているバンドマンである。

 

そして1話〜3話で使用されたエンディングテーマ「Distortion!!」の作詞作曲を手掛けたKANA-BOONの谷口鮪はアジカンに憧れてバンドを始めたというルーツの持ち主だ。

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4話〜7話のエンディングテーマ「カラカラ」の作詞作曲を担当したのはtricotやジェニーハイのメンバーとして活動中の中嶋イッキュウ。変拍子やテクニカルな曲展開を盛り込んだエモ〜ポスト・ハードコアの曲調が特徴だ。

 

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8話〜11話のエンディングテーマ「なにが悪い」の作詞作曲は昨年活動休止したthe peggiesの北澤ゆうほ。高校時代からガールズバンドとして都内ライブハウスで本格的に活動し、結束バンドと同じような10代を過ごしてきたミュージシャンだ。

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主題歌だけでなく劇中曲もかなり力の入った作りになっている。

 

たとえば第5話でのライブハウスのオーディションのシーンで披露した「ギターと孤独と蒼い惑星」や、第8話で演奏した「あのバンド」、12話の文化祭シーンで演奏した「忘れてやらない」「星座になれたら」は、とても結成したての高校生バンドとは思えない技巧的なアレンジと卓越したバンドアンサンブルを聴かせる楽曲だ。 

 

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劇中では後藤ひとりが結束バンドのオリジナル曲の歌詞を書いているということになっているのだが、「青春コンプレックス」や「あのバンド」の作詞を担当している樋口愛の切実な言葉選びも楽曲の魅力になっている。

 

他にも草野華余子や音羽-otoha-など多くのアーティストが作曲家として携わり、バラエティ豊かでありつつ一つのバンドの音楽性や志向性としては軸の通った楽曲が揃っている。

 

さらに驚いたのは、アルバム『結束バンド』の全14曲には主題歌や劇中曲のみならず、劇中で使用されていない楽曲も収録されているということ。

 

単なるサウンドトラックやイメージアルバムというよりも、曲順や構成も含めて「下北沢発ギターロックバンドの完璧なフルアルバム」とも言うべき仕上がりになっている。

 

特筆すべきは「フラッシュバッカー」という曲。スローテンポで壮大なシューゲイザーテイストのこの曲が終盤に入っていることで、アルバムとしての完成度が増している。

 

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そして、アルバム『結束バンド』のラストには最終話のエンディングに使用されたASIAN KUNG-FU GENERATIONの「転がる岩、君に朝が降る」のカバーが収録されている。

 

「フラッシュバッカー」から、ある種ボーナストラック的な位置に置かれたこの曲に続くことで、聴き終えたときの独特な余韻が生まれる。

 

■アジカンが塗り替えた00年代以降のロックシーン

 

『ぼっち・ざ・ろっく!』を観て改めて感じるのは、00年代以降の日本のロックシーンにおけるASIAN KUNG-FU GENERATIONの存在の大きさだ。

 

そもそもアジカンとアニメの結びつきはとても強い。彼らのブレイクのきっかけになった代表曲「リライト」は『鋼の錬金術師』のオープニングテーマで、「遥か彼方」は『NARUTO』のオープニングテーマだ。

 

そして、ロックというジャンルのイメージ自体も、彼らの登場以降、徐々に変わっていった。

 

それ以前のロックにはある種の不良性と結びついているような側面もあった。革ジャンのイメージも強かった。ドレスアップした衣装を身にまといカリスマ的な存在感を持つロックバンドが目立っていた。

 

僕はもともと『ROCKIN’ON JAPAN』という雑誌で編集者をやっていてゴッチとは同じ1976年生まれなのでリアルにそのあたりの空気感を知っている。

 

90年代はTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやBLANKEY JET CITYやTHE YELLOW MONKEYがシーンの主役だった。AIR JAM以降のメロコアやパンクシーンの盛り上がりも大きかった。メインストリームはV系のバンドたちが席巻していた。

 

そんな風景を塗り替えたバンドのひとつがASIAN KUNG-FU GENERATIONだった。もちろん彼らだけじゃない。くるりも、NUMBER GIRLもいた。BUMP OF CHICKENのインパクトも大きかった。syrup16gやART-SCHOOLやストレイテナーや、いろんなバンドたちが「下北沢のあの時代」を鳴らしていた。

 

『ぼっち・ざ・ろっく!』と結束バンドは、そういうカルチャーの系譜をきちんと受け継いでいるところが、一番の魅力の由来になっているように思う。

 

日々の音色とことば 2023/01/26(Thu) 15:00

今年もありがとうございました。/2022年の総括

例年通り、紅白歌合戦を観ながら書いています。

 

3年ぶりのNHKホールで有観客での紅白。華やかなステージセットにさまざまな歌手やグループがかわるがわる歌い踊り、沢山の人が行き交い、ひたすら賑やかなエンタメが繰り広げられる画面の様子からは、ちょっと不思議な感慨を感じてます。「そういや2010年代ってこんな感じだったなあ」とか、「そういや紅白歌合戦っていろんな賑やかしとか流行り物をごった煮にした茶番を楽しむものだったなあ」とか。

 

2022年は、どんな年だったのか。ヒットチャートの分析原稿は以下に書きました。

 

gendai.media

 

宇野維正さんとのトークイベントでも4時間強にわたって、今年のポップカルチャーがどんなものだったのか、社会と時代の動向をからめて語ってます。こちらは1月12日までアーカイブで配信されていますのでお時間ある方は是非見てみてください。

 

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2022年は、いろんな意味で反動の動きがあった1年だったように思います。コロナ禍で時計の針が一気に進んだように思えていたことが、少し戻ってきたような感じもします。新しい時代が始まって旧弊は一気に打破されたような気がしていたけれど、全然そんなことはなかったんだということを思い知らされるようなことがいくつかあった。

 

カルチャーやエンタテイメントの領域でも、ずーっと動いていたいろんなリバイバルの動きが、いよいよ大きな流れになってきているのを感じます。特に日本では社会の平均年齢が上がってきたこともあって、どんどん中高年世代がマジョリティになってきていのを感じる。おそらくそのこともあって、あとは若い世代でのTikTokでのバズが後押しして、80年代の歌謡曲やシティポップや、90年代のJ-POPや、いろんな時代のリバイバルが同時並行的に生まれている。

 

そんな中で、僕個人としては、今年春からスタートしたTBSラジオの『パンサー向井の#ふらっと』という朝の帯番組にレギュラーで出演するようになったのが大きな変化だった。「ウーファービーツ」というコーナーで、90年代のJ-POPを毎週選曲して紹介する。そこで選んで紹介した90年代の楽曲が世の中に広まっていく現象をたびたび目の当たりにしたりしました。

 

『平成のヒット曲』という本を昨年に出したということもあって、テレビへの出演や新聞社からの取材依頼も増えて、充実した仕事をできた感はあります。

 

来年はもっといろんなことを仕込んでいく一年にしたいと思っています。毎年書いてるような気もするけど、もっとブログに思いついたことを書いていきたいな。

 

 

最後に2022年の50枚を。

 

来年もよろしくお願いします。

 

    1. joji『Smithereens』
    2. 宇多田ヒカル『BADモード』
    3. 藤井風『LOVE ALL SERVE ALL』
    4. LOUS AND THE YAKUZA『IOTA』
    5. 春ねむり『春火燎原』
    6. ROTH BART BARON『HOWL』
    7. Drake『Honestly, Nevermind』
    8. RQNY『pain(ts)』
    9. 中村佳穂『NIA』
    10. 七尾旅人『Long Voyage』
    11. RINA SAWAYAMA『HOLD THE GIRL』
    12. 坂本慎太郎『物語のように』
    13. Harry Styles『Harry’s House』
    14. ELLEGARDEN『THE END OF YESTERDAY』
    15. SZA『SOS』
    16. Bad Bunny『Un Verano Sin Ti』
    17. The 1975『Being Funny In A Foreign Language』
    18. 4s4ki『Killer in Neverland』
    19. Hyd『CLEARANCE』
    20. 佐野元春&COYOTE BAND『今、何処』
    21. THE SPELLBOUND『THE SPELLBOUND』
    22. Arctic Monkeys『The Car』
    23. BEACH HOUSE『Once Twice Melody』
    24. Ckay『SAD ROMANCE』
    25. Beabadoobee『Beatopia』
    26. Rema『Rave & Roses』
    27. 羊文学『our hope』
    28. アツキタケトモ『outsider』
    29. Ryu Matsuyama『from here to there』
    30. The Weeknd『Dawn FM』
    31. BEYONCE『Renaissance』
    32. Black midi『hellfire』
    33. BE:FIRST『BE:1』
    34. Eve『廻人』
    35. 優河『言葉のない夜に』
    36. 結束バンド『結束バンド』
    37. ROSALÍA『MOTOMAMI』
    38. Bjork『Fossora』
    39. Conan Gray『SUPERACHE』
    40. Tomberlin『I Don’t Know Who Needs To Hear This...』
    41. Holly Humberstone 『Can You Afford To Lose Me?』
    42. 10-FEET『コリンズ』
    43. Black Country, New Road『Ants From Up There』
    44. ヒグチアイ『最悪最愛』
    45. AURORA『The Gods We Can Touch』
    46. Hudson Mohawke『Cry Sugar』
    47. くじら『生活を愛せるようになるまで』
    48. yama『Versus the night』
    49. Mori Calliope『Spinderella』
    50. Kendrick Lamar『 Morale & the Big Steppers』

 

 

 

日々の音色とことば 2022/12/31(Sat) 14:51

ハッピー・ハードコア漫才としてのヨネダ2000「餅つき」

今年も『M-1グランプリ』面白かった!

 

なんだかんだで忙しくて直後に感想書けなくてもうすっかり時間が経ってしまったんだけど、それでもブログに書いておこう。ヨネダ2000の「餅つき」のネタがBPM160であることの“意味”について。

 

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抜群に面白かったです。僕は劇場に足を運ぶほどのコアなお笑いファンではないけれど、去年から「すごいのがいる」という噂は伝わってきて。で、THE Wに続いてM-1で観て、すっかりファンになってしまった。

 

直後の感想はこれ。

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マジでミニマルテクノなんですよ。「ぺったんこー」「あーい!」のリズムが癖になる中毒性があって、しかも「あーい!」に強弱のダイナミクスがあったり、ドラムが入ってきたり、DA PUMPのダンスが始まったり、めくるめく展開があって、とにかくわけがわからないけど笑っちゃう。

 

で、ヨネダ2000のすごいところは「パフォーマンス力の異常な高さ」が「謎の面白さ」に直結しているところ。いろんな人が検証してるけど、「ぺったんこー」「あーい!」のリズムがBPM159〜160で安定してるんです。これ相当なことですよ。

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凄腕のドラマーやミュージシャンならいざしらず、M-1の大舞台で、しかもあれだけトリッキーなことをやりながら一定のテンポが保てるのには驚愕。しかもヨネダ2000の公式チャンネルに上がっている(おそらく時期的には以前の)ネタと見比べると、M-1決勝戦ではグルーヴ感もキレも増してる。仕上がってるわけですよ。

 

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なんで正確なリズムキープが「謎の面白さ」に直結するキモになるかというと、それは「意味の逸脱」との錯綜につながるから。言ってることはどんどん逸脱していくけれど、リズムのルールやフォーマットがしっかりと守られている。そこのところのズレが面白さの原動力になるわけです。

 

何年も前のことだけど、そのあたりのことは、このブログで「ラッスンゴレライはどこが面白かったのか」という記事を書いたときに詳しく解説してます。

 

shiba710.hateblo.jp

 

審査員は全員頭を抱えてたし、漫才のフォーマットとしては「わけがわからない」「掟破り」な感じもするけど、いわゆる音楽評論家的な視点から見ると、リズムネタとして非常にロジカルに作られている。かつ「ぺったんこー」を表拍、「あーい!」を裏拍に入れてグルーヴを生み出す構造も含めて、とてもテクノミュージック的に作られている。そこにも感服しました。

 

ちなみに、初見では気付かなかったんだけど、最初の「♪絶対に〜成功させようね〜」「(うなづく)」もBPM160のテンポで歌ってる。なのでここが“リズムの快楽”の伏線になる。さらにはラストはテープストップ的にテンポを落として終わる。そういうところもDJ的で完成度高いなーと思います。

 

■なぜ「ロンドンで餅つき」なのか

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で、ここからは深読みの領域に属することなんだけど、テクノとかダンス・ミュージックにおいて、だいたいBPM160くらいの領域のテンポのジャンルって、90年代前半に勃興したハッピー・ハードコアと言われるジャンルなんです。代表曲はこんな感じ。

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ジャンルの解説についてはRedbull Music Academyのこの記事が(英語なんですが)簡潔にまとまっていてわかりやすいです。

 

daily.redbullmusicacademy.com

 

ハウス・ミュージックが大体BPM115~130くらいであるのに比べると、ハッピー・ハードコアのテンポはとにかく速い。トランスとかダブステップに比べても速い。そしてメロディはシンプルで、フレーズも展開もシンプル。ユーロビートとかにも近い、頭のネジ飛ばして楽しむタイプのダンス・ミュージック。なのでレイヴカルチャー界隈ではちょっとバカにされてたりもしていた。ヨネダ2000はTHE Wのネタでもハッピー・ハードコアとかユーロビートっぽい曲を使ってたので、このへん好きなのかなーとも思います。

 

で、そのハッピー・ハードコアから派生したのがUKハードコア。そう、ハッピー・ハードコアは90年代のUKのクラブカルチャーとかレイヴシーンで生まれたムーブメントなわけですよ。

 

そう考えると、「ロンドンで餅つき」にも、ちゃんと意味がある。このネタは「イギリスで餅つこうぜ!」「イギリスでお餅をついたら一儲けできるって計算が出たのね」というところから始まる。「どういうこと?」ってなるわけだけど、それもハッピー・ハードコアの本場がロンドンだってことを踏まえると謎のつながりが生まれる。

 

 

さらに言うなら、DA PUMPの最大のヒットになった「U.S.A」がユーロビートのカバー曲なのは有名な話。

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(こちらがJOE YELLOWによる92年の原曲)

 

なので「♪DA PUMPのKENZO〜」にも、ちゃんと文脈のつながりがある。

 

ヨネダ2000おそるべしだと思います。

日々の音色とことば 2022/12/24(Sat) 12:13

サッカー日本代表の劇的瞬間とリンクしたKing Gnu『Stardom』

※2022年12月9日に「ARTICLE」というサイト(現在は閉鎖)に掲載された文章の再録です

Stardom (初回生産限定盤)

『飛行艇』から3年、歩み続ける"より大きな存在"への道のり

 

たぶん、10年後や20年後もずっと語り継がれることになるだろう。正直、まったく予想してなかった。でもすごいことが起こってしまった。

 

「2022 FIFAワールドカップ」カタール大会で、日本は強豪のドイツとスペインに逆転勝利をおさめてグループステージを首位で突破。優勝経験国を相手にした2度にわたるジャイアント・キリングだ。

 

決勝トーナメントでは1回戦でPK戦の末にクロアチアに敗北、初のベスト8進出は逃した。ただ、前回の準優勝国を相手に延長も含めて文字通り互角に渡り合った。歴史的な結果となったのは間違いない。

 

サッカーアンセム、『Stardom』に歌われた「あと一歩」の意味

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きっと沢山の人が、興奮の醒めやらない中でこの曲を耳にしていると思う。

 

「2022 NHKサッカーテーマ」として書き下ろされたKing Gnuの『Stardom』。NHKのワールドカップ中継のテーマソングとして、試合のたびに何度も流れている曲だ。

 

世の中にはすでに沢山のサッカーアンセムがあるけれど、またひとつ、すごく大きな意味合いを持つ曲が生まれたと感じる。


この曲のサビでは「あと一歩 ここからあと一歩」と歌われる。死力を尽くしフィールドを走る選手たちの思いに寄り添うような、とても印象的な言葉だ。

 

スペイン戦での勝ち越し場面、ゴールラインを割りそうなボールにギリギリで追いついた三苫薫のクロスボールから田中碧がゴールを決めた劇的なシーンに、このフレーズを思い浮かべた人も多いのではないだろうか。

 

リンクするフレーズ。29年を経て"ドーハの歓喜"に


他にも、この曲と今大会のサッカー日本代表の間には、結果的に生まれたいろんな符合が読み取れる。

 

たとえば、サビで歌われる「あの日の悪夢を 断ち切ったならば スポットライトに何度でも 手を伸ばし続けるから」というフレーズ。

 

ドイツ戦とスペイン戦が行われたのはカタールの首都・ドーハ。1993年10月、後半ロスタイムの失点で日本が初のW杯出場を逃した“ドーハの悲劇”の地だ。その時に現役選手としてピッチに立っていた森保一監督は、29年後に同じ地で“ドーハの歓喜”の奇跡を成し遂げる。まさに「あの日の悪夢を断ち切った」わけだ。


加えて、開幕前には世の中の盛り上がりも今ひとつなムードもあった。サッカー日本代表の人気低迷も報じられていた。優勝候補と同組になったことで悲観的な下馬評もあった。

 

そういうもろもろを踏まえて考えると「心の底で諦めかけていた 夢を嗤わないでくれた あなたに今応えたいんだ 最後の笛が吹かれるまで」というフレーズも、よりグッとくる。

 

スタジアム・アンセムになった「飛行艇」からの道程


King Gnuにとっても、『Stardom』はとても大事な意味合いを持つ曲になった。常田大希は楽曲のリリースに際して、こんなコメントを発表している。

 

何年か前に飛行艇という曲を作った時、あちこちのスポーツ会場や、様々なスポーツ選手たちが入場曲やテーマソングとして用いてくれていました。その光景を目の当たりにした時、そうだ!一戦一戦に全身全霊を賭けるスポーツ選手はもちろんのこと、大変な時代を生き抜く全ての人々の、今日を生き抜くエネルギーになるような音を俺は鳴らしたかったのだと気付きました。そう思い立って作ったのがStardomです。この楽曲が皆様のそういった存在になってくれたら幸いです。宜しくお願い致します。コーラス隊にはULTRASというサッカー日本代表サポーターの方々に参加していただきました。録音時、そこには熱狂するスタジアムの光景がありました。
「King Gnu メンバーズサイト - CLUB GNU」より

 

常田が言うように、『飛行艇』はKing Gnuにとって一つのターニングポイントのような曲になった。

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リリースは2019年8月のこと。この曲はその後にどんどん独り歩きしていった。

 

その年に開催されたラグビーW杯の会場で流れたり、選手の登場曲として選ばれたり、さまざまな大舞台でアスリートとサポーターを鼓舞し、熱狂を生み出してきた。

 

アークティック・モンキーズやホワイト・ストライプス、そして70年代のレッド・ツェッペリンにも通じるようなシンプルで力強いビート、高揚感あふれるリフとメロディを持つこの曲が力強いアンセムとなって響いていくことで、バンド自身もより大きな存在になっていった。


今年11月にはKing Gnuはバンド初の東京ドーム公演を成功させている。このライブもすごくモニュメンタルなものだった。2日間のチケットは両日ともにソールドアウト。動員は2日で10万人だ。

 

4月に公演を発表した際、常田は「俺がKing Gnuを結成した理由は、子供の頃に憧れていたドームクラスのロックバンドを作ることでした」とコメントしている。

 

彼らは結成当初から破格のデカい存在になることを目指してきたバンドだし、実際に、彼を“新世代のスタジアムロックバンド”として押し上げた曲の一つが『飛行艇』だった。

 

そしてその東京ドーム公演で本編ラストに披露されたのが『Stardom』だ。

 

この曲には「さあ命揺らせよBlow Life」という歌詞がある。『飛行艇』のサビの「命揺らせ」という言葉のリプライズとも言えるフレーズを用いていることからも、2つの曲には強い関連があると言えるだろう。

 

そしてもうひとつ、この『Stardom』という曲がKing Gnuだけでなく常田大希というアーティストにとって重要なものであることを示すキーワードがある。

 

それは常田が歌う「Honey make the world get down」という歌詞だ。これはmillennium paradeの『Fly with me』の歌詞をそのまま引用したフレーズである。
millennium paradeは常田大希率いる音楽プロジェクト。

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King Gnuと並行して活動し、昨年にはmillennium parade × Belle(中村佳穂)として『竜とそばかすの姫』のメインテーマ『U』で紅白歌合戦への出場も果たした。

 

『Fly with me』はアニメ『攻殻機動隊 SAC_2045』のオープニングテーマに起用された曲だが、それと同時に、millennium paradeのスタンスを宣言するような曲だった。

 

不屈の精神を歌い上げた、2022年の記憶を彩る一曲


『Stardom』は、King Gnuというバンド、そして常田大希というミュージシャンにとって、まさに“スターダム”を目指して歩んできた道程を改めて示すものになっているとも言える。

 

きっと、今のKing Gnuにとって「サッカーアンセムを作ってほしい」というオファーはドンピシャなものだったと思う。その上で、自身の歩みも踏まえて、不屈の精神を歌い上げ、「大変な時代を生き抜く全ての人々の、今日を生き抜くエネルギーになるような音」を鳴らしたのだろう。

 

たぶん年末の紅白歌合戦でも披露されるだろうこの曲。いろんなことがあった2022年の、輝かしい記憶を彩る曲になったことは間違いない。

 

日々の音色とことば 2022/12/09(Fri) 11:02

浄化の力を持つ“白魔法”としての藤井風『grace』

※2022年11月7日に「ARTICLE」というサイト(現在は閉鎖)に掲載された文章の再録です

grace

 

多くの人を惹きつける藤井風の“魂の清らかさ”


藤井風のことを好きな人はもうみんな気付いていると思うけれど、彼が沢山の人を惹きつけている理由の大きなポイントには、その“魂の清らかさ”とも言うべきチャームがある。

 

もちろん、音楽的な才能のことは言うまでもない。人懐っこいのに革新的で、自然体なのに突き抜けている。R&Bやブラックミュージック、ジャズ、歌謡曲などなど、いろんな音楽が素養になっているのは間違いない。けれど、藤井風の作る曲にはジャンルやスタイルでは語れないタイプの魅力がある。

 

パフォーマンスも飛び抜けている。ピアノを弾いて歌っているだけでその場の空気の色をふっと塗り替えてしまうような呼吸と間合いを持っている。YouTubeに投稿された沢山のカバーや「ねそべり配信」の動画を観ても、古今東西のポップソングのエッセンスを巧みに抽出して、それを次から次へと自分の歌にしてしまうような、ミラクルなところが沢山ある。

 

ただ、やっぱりそれだけではないとも思ってしまう。藤井風について思うのは、J-POPのシーンで、ここまでスピリチュアルなメッセージを持つ歌がヒットしたこと、そのことを真っ直ぐにリスナーに伝えて歌うシンガーソングライターがスターダムを駆け上がったことって、今まであっただろうか?ということ。

 

デビュー曲の『何なんw』の時点で、そのことはハッキリしていた。

 

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藤井風自ら「この曲は誰しもの中に存在しているハイヤーセルフを探そうとする歌」と解説している。神や天使やヒーローのようなハイヤーセルフが一人一人の内に存在しているということ、それはエゴや利己心や嫉妬と無縁で愛に満ちた存在であるということ、曲の中で自分と自分のハイヤーセルフが対話しているということを語っていた。

 

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ニューヨークで撮影されたミュージックビデオにも、全身に白い衣装をまとったそのハイヤーセルフの役柄が登場する。

 

ファーストアルバムの『HELP EVER HURT NEVER』にも、そういうスピリチュアルなメッセージを込めた曲が沢山あった。たとえば『帰ろう』は、人生の幕をどう閉じるかということについて歌った、藤井風なりの死生観をテーマにした曲だ。

 

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セカンドアルバムでよりオープンになったスピリチュアリティ


そして、セカンドアルバム『LOVE ALL SERVE ALL』もそう。

 

二つのアルバムタイトルは対になる言葉で、「Love All, Serve All. Help Ever, Hurt Never.」(すべてを愛し、すべてに奉仕する。常に助け、決して傷つけない)という、インドのスピリチュアルリーダー、サティヤ・サーイー・バーバー(日本ではサイババという呼び方のほうが一般的)が残した言葉が由来になっている。

 

『LOVE ALL SERVE ALL』では、藤井風にとっての中心的なテーマであるスピリチュアリティが、よりオープンに、よりスケールが大きく、でも決して押し付けがましくならず、自然体で歌われている。そう感じた。

 

たとえば、ファンキーなグルーヴと陽気なメロディに乗せて「だんだんアホになったこのおれ」と歌う『damn』。

 

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歌詞では自問自答、というかハイヤーセルフとの対話を描いているのだけれど、そのムードはゆるく脱力している。

 

さまざまな曲で輪廻転生や命の循環をモチーフにした言葉が繰り返し紡がれるのも『LOVE ALL SERVE ALL』の特徴だろう。たとえば、「花は咲いては枯れ」と歌う『ガーデン』。「何度も何度も墓まで行って」「同じことが何度も ただ繰り返されるだろうと 安い夢を生きてたでしょ」と歌う『やば』。Gファンクと盆踊りを融合させたような和洋折衷のオリエンタルなサウンドを持つ『まつり』。おおらかにすべてを祝うような曲のムードの中で「生まれゆくもの死にゆくもの すべてが同時の出来事」と歌う言葉にハッとする。

 

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「新しい日々も 拙い過去も 全てがきらり」と歌う1曲目『きらり』は全てを瞬間に凝縮する歌で、だからラストの『旅路』で「永遠なる光のなか 全てを愛すだろう」と歌う言葉と対になる。

 

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季節の巡りや、過ぎゆく時間や、生そのものを胡蝶の夢のように俯瞰の視点で見渡すような言葉が、いろんな曲に通底している。

 

リリースから2年を経て世界に広まった『死ぬのがいいわ』

そういえば、2022年の夏から秋にかけては、とても興味深い現象も起こっている。『HELP EVER HURT NEVER』収録の『死ぬのがいいわ』という曲が、TikTok経由で東南アジアから欧米も含めた全世界に広まっているのだ。

 

バイラルヒットのきっかけは、7月下旬頃からタイのTikTokユーザーの間でこの曲を使った動画が自然発生的に流行しはじめたことだった。初期に人気になった投稿はアニメなどの好きなキャラクターを紹介する「推し活動画」のBGMとしてこの曲を用いるものが多く、日本のポップカルチャーに親しみのあるユーザーが「わたしの最後はあなたがいい あなたとこのままおサラバするより 死ぬのがいいわ」というこの曲の歌詞の意味も踏まえてこの曲をセレクトしたものと思われる。

 

8月23日には、2020年に日本武道館で披露したこの曲のライブバージョンをYouTubeチャンネルに公開。情熱的なピアノの演奏から始まるこの動画への反響もあり、8月下旬から9月にかけてはアジア以外の各国にも楽曲の人気が広まっていった。

 

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そして9月にはSpotifyのグローバルバイラルチャートでは最高4位を記録し、9月24日付けの米ビルボードのグローバルチャート「Billboard Global 200」では188位にチャートイン。その後も最高位118位(10月28日時点)というチャートアクションを続けている。あくまで偶発的なきっかけから現象が生まれ、純粋に『死ぬのがいいわ』という楽曲の持つ魅力から人気が広がっていったわけだ。

 

そうなってきたときに、改めて大きな意味を持っていると感じるのが、前述した『何なんw』の曲解説動画も含めて、藤井風が流暢な英語で自らの世界観と曲に込めたメッセージを発信しているということだ。彼の根底にあるスピリチュアルなメッセージは、日本よりも、むしろ宗教が生活の中に根付いているアジアや欧米の人たちのほうが、多くの人に真っ直ぐに響くような気もする。

 

聴いているだけで浄化される “白魔法”のような『grace』


10月10日にリリースされた『grace』も素晴らしい。

 

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四つ打ちのリズムとシンセベースを骨格にしたハウス・ミュージックの楽曲もさることながら、全編をインドで撮影したミュージックビデオにも惹きつけられる。ガンジス川に入ったり、子供たちと笑顔で踊ったり。まるで一つのドキュメンタリー映画作品のようなスケールの大きさがある。藤井風の根幹にもあるおおらかな愛と誠実さが伝わってくる。


そして、藤井風のアーティストとしてのあり方を知っている人は、『grace』を聴いて、この曲にも「ハイヤーセルフとの対話」が描かれているということに、すぐに気付くはずだ。

 

曲のハイライトは中盤に訪れる。

 

待たせてごめん いつもありがと
会いにいくよ 一つになろう

 

こう藤井風が歌うと、ふっと音が途切れ、無音の瞬間が訪れる。ミュージックビデオでは、インドの各地を旅していたはずの藤井風が、雲の上のような幻想的な場所に一人立っている風景が映し出される。

 

あたしに会えて良かった
やっと自由になった
涙も輝き始めた

 

そして、多幸感に満ちたメロディに乗せて、こう歌い上げる。聴いているだけで浄化されるような、“白魔法”のようなエネルギーを持つ曲だと思う。

『死ぬのがいいわ』の国境を超えたヒットから『grace』への展開は偶然のものだけれど、これは単にひとつの曲がバズったということではなく、それをきっかけに、藤井風というアーティストの魅力自体がワールドワイドに広まっていく可能性を示唆しているように思う。

 

日々の音色とことば 2022/11/06(Sun) 15:00

春ねむりさんのことについて (追記あり)

 

(※追記しました)

 

 

まあ、これは書かねばならないよな。なんせ当事者なので。

 

沈黙していたほうが波風立たないのはわかっているけれど、自分のスタンスを表明しておかないのはよくないなと思うのでね。そして僕にとってブログというのはそういうことを文字にして残しておく場所でもあるので。

 

というわけで、何があったのか、僕がどう思っているのかを、つらつらと書いていきます。

 

8月28日に、宇野維正さんとのトークイベントをやりました。

 

「毎回波乱のトークバトル 2022年夏編」というイベント。サブタイトルは「ポップカルチャーから見た社会/社会から見たポップカルチャー」。以下のサイトで配信の視聴チケット購入できます。アーカイブ視聴期間は9月11日(日)23時59分まで。

(アーカイブ視聴期間終了しました)

twitcasting.tv

 

LOFT9 Shibuyaで宇野さんとのトークイベントをやるのはこれで3回目。最初にやった2021年夏はオリンピックの開会式の翌日で、あのときの音楽やエンタテインメントを巡るムードは相当シビアなものがあった。2回目は2021年の年末にやったその年の総括で、それはそれで爪痕の残るような話だった。

 

で、それを経ての今回は、個人的にも、かなり言いたいことが溜まっていたタイミングでもあった。夏フェスの現場で見てきたことについて。マルチバースとしてのサマソニで生まれた軋轢と、SNSで広がったその波紋について。それから、日本のカルチャーの状況にずっとある「帰るのが寂しいからといって、終わったパーティに居続けるのはみっともない」(by ヴィンス・ギリガン)問題について。

 

あとは、7月の参院選であった音楽業界4団体による特定候補の支持表明について、どんな背景があって、どういう構造があって、その力学がどう働いたのかについても、自分なりに整理して見取り図を示したつもり。そして、そこから当然派生する話として、7月8日の安倍晋三元首相の銃撃事件についても、踏み込んで話しました。それがどういうことをもたらすのかについては、僕は「フタが開いた」という言葉で言い表してます。

 

他にもいろんなトピックはあるのだけど、興味ある方はアーカイブ視聴期間がまだちょっと残ってるんで見てみてください。全編見ていただいた方からはかなりの割合で好意的な反響をいただいてます。そこは嬉しい限り。

 

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で、そのトークイベントの一番最後、質疑応答のくだりの中で、宇野さんから春ねむりさんへの言及があった。それを見た本人からこんな指摘がありました。

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これをきっかけに、春ねむりさんだけじゃなく、そのツイートを見た沢山の人からの反響があった。かなり批判も届いた。

 

予定時間をかなり超えてたというのもあって、僕は現場では何のコメントもしなかった(というか、そもそも話題自体が別のトピックだったのでね)。その後のSNSでも発信したのはこれだけ。

 

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そのことに対して「卑怯なんじゃない?」的な声もあった。あー、そっか。そう感じる人もいるんだなと思った。なので正直な思いを書いておこう。

 

「もう、勘弁してよー!」

 

というのが、当該の宇野さんの言及への率直な僕の感想。だって、これまで何回か取材を重ねて、関係性もあって、個人的にもプッシュしていて、すぐ後にはトークイベントで会うことが決まっている、そういうアーティストとこんな風なややこしい感じになるの、めちゃイヤじゃないですか。

 

そもそも、春ねむりさんを最初に取材したのはアルバム『LOVETHEISM』をリリースした2020年のこと。記事のリンクは以下。

https://www.billboard-japan.com/special/detail/2938

 

個人的な興味の発端は2018年のアルバム『春と修羅』の海外での評価を耳にしたり、2019年に出演したヨーロッパの巨大フェス「Primavera Sound 2019」での盛り上がりを映像で目にしたりしたことだったんだけど、インタビューをしてわかったのは、単に海外で人気が出たとかバズったとかじゃなく、批評家のレビューをきっかけに、ちゃんと文脈が伝わって受け止められているということだった。

 

で、次に取材したのはアルバム『春火燎原』にも収録されている「Déconstruction」がリリースされたときのこと。こちらの記事は以下。

https://www.billboard-japan.com/special/detail/3344

 

ここで話題にしたのは、曲やライブのことだけじゃなく、春ねむりさんなりのパンク精神について。話を聞いて、すごく得心がいくところがあった。

 

あとはYahoo!ニュース個人にこんな記事を書いたのもあった。

 

news.yahoo.co.jp

 

そういういろいろを経てきているのもあって、宇野さんの言及に対する春ねむりさんの憤りについては正当だと感じてます。ただ、自分が周りからの煽りに応じて何かするのはあんまり誠実じゃないと思うし、どっち側につくだとか、間に入ってどうこうだとかは、全然考えてないです。それでもまあ、少なくとも僕の考えてることは書いておこうと思う。

 

ブロック云々は僕が口を挟むようなことじゃないので置いておくとして、春ねむりさんが「わたしにとってフェミニズムは、性別に関係なく全ての者に平等に権利があるべきという思想です」と書いていることには同意です。僕はフェミニズムの専門家ではないし知識も足りないのでラディカル・フェミニストの定義や位置づけとかについて踏み込んで自信を持って何か言えるようなことは何もないのだけれど。でもベル・フックスとか読むと「うんうん、たしかにそうだよな」と思ったりする。

 

というか、これは僕自身の反省なんだけど、現場であいまいに流そうとせずに「春ねむりはラディカル・フェミニストじゃなくてライオット・ガールだと思いますよ」と言えばよかった、それだったらスマートだったなーということは、この件を振り返って一番強く思うことです。それは前述のインタビューでちゃんと本人から聞いていることなので。

 

ライオット・ガール(RIOT GRRRL)については一応ウィキペディアの説明を。

 

ja.wikipedia.org

 

そういえば、『ミュージック・マガジン』2022年5月号で「ライオット・ガール特集」があって、そこに当然春ねむりが取り上げられてるだろう、というか『春火燎原』のリリースタイミングでもあるわけだからインタビュー載ってるんだろうなと思ったら、インタビューどころか全然言及がなくてビックリしたということもありました。いやいや「2022年に考えるライオット・ガール・ムーヴメント」を語るならザ・リンダ・リンダズもいいけどそれより春ねむりだろう、というのは強く思うところです。今年3月のサウス・バイ・サウスウエストではプッシー・ライオットと共演したりしてるわけだしね。

ミュージック・マガジン2022年5月号:株式会社ミュージック・マガジン

 

そんなわけで、この件に関しての僕の表明は以上。

 

9月13日の春ねむりさんのイベントでは、前回のアメリカツアーの反響について、『春火燎原』について、それからこれからのアメリカツアーについてのトピックになる予定です。気になるかたは是非チェックのほどを。

 

で、次回のLOFT9 Shibuyaでの宇野さんとのイベントは年末12月29日を予定してます。こちらは近くなったらまた告知しますが、また会場チケットと配信チケットの形になるはずです。テーマは何もまだ決まってないですが、話すべきことを話すイベントになると思うのでよろしくお願いします。

 

最後に、もうひとつだけ。チケットをちゃんと買って会場に来てくれた方、配信を見てくれた方はわかると思うけど、そもそもの質疑応答のくだりの話題のところで僕が言ってたことって、「ツイッターは怒りの感情を増幅して伝播するアルゴリズムによって人々のアテンションを奪いにくるプラットフォームなので、そのことに注意しようね」ということなんですよ。

 

もちろん、傷つけられたり、不当な扱いを受けたその人に対して「怒るな」と言うようなつもりは全然ないです。その選択肢はあってしかるべき。でも、他者の発した怒りの感情に安易に「乗っかる」人に対しては、それが行動嗜癖化してないか一回深呼吸して確かめてみたらいいんじゃないかなと思ってる。今回も沢山見かけたよ。揉め事を見かけて駆け寄ってきて、ツバを吐いたり弄ったりするだけして、去っていく人。

 

これは前々から言っていること。

 

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そういうことを話したあとに、まさにそういう反響の当事者になったのは、皮肉なことだなあと思ったりしています。

 

※追記(9月12日)

 

この記事を9月9日に公開して、いくつかの反応を読みました。それで思うこと、考えることがあったので追記しておきます。うーん、伝わってないか、とも思ったけど、これは自分に書き足りないことがあったなとも思うので。

 

まず「宇野さんの発言やその後の対応について柴はどう思っているのか」みたいなことについて。

 

このへんのことは、うまく言うのはなかなか難しいんだけど、自分の意思表示をできるだけシンプルな言葉にすると「同意はしていない」ということです。発言は不適切だったと思うし、同調しているつもりもないです。現場であいまいに流しちゃったなというのは反省点。

 

じゃあ年末にトークイベントやるしその告知もしてるじゃん、ということについてはどうかというと、それは「意見に相違がある」とか「不適切な発言については許容していない」ということと「じゃあ今後は関わらない」ということとはイコールではない、と捉えているから。そこについては0か100かじゃなくて、グラデーションであるべきだと思っているので。今回のことだけじゃなく、ふつうに社会ってそうあるべきでしょ、というスタンスです。

 

それから「柴はどうなの、何もするつもりないの?」みたいなことについて。

 

これについては、宇野さんと春ねむりさんとの当人同士の関係においては、上にも書いたとおり「どっち側につくだとか、間に入ってどうこうだとかは、全然考えてない」という感じです。

 

ただ、もうちょっと大きなフレームで物事を捉えると、やるべきことというか、当事者としてこの件に関わってる立場としての責任みたいなものはあるなと思う。それは何かというと、ひとつは、いわゆる今回みたいな有料配信ありのトークライブという場に携わるときの考え方について。こういう形のメディアはコロナ禍以降まさに成立過程にあって、そういう場では「お金を払ってチケットを購入した人だけが内容を把握できる」&「オーディエンスと書き起こしNGという約束を共有する」という環境設定によって、登壇者がリスクを恐れず踏み込んだ発言をできるというメリットが生まれる。それはまさに僕も享受しているもの。だからイベントのキャッチコピーとして「ここでしか言えない本音」みたいなことが書かれるし、僕にだって、チケットを買ってくれたお客さんを信頼してるから、そういう場だけで言えることも沢山ある。でも、「ここでしか言えない本音」は「インフォーマルな場だからこそ言える危うい、もしくはトキシックな発言」とイコールでは決してない。このへんはすごく大事なところ。そういう倫理観をもってやっていきたい。なんで、僕自身、今後は気を引き締めていかねばなと思ってます。

 

もうひとつは、これも書き忘れていた大事なことなんだけど、当該の言及の直前のところで「僕はフェミニズムに対してはアライであろうと思っている」と発言しているということ。考えてみればここ数年そういう風になんとなく思ってはいたけれど、それを明確に表明したことはなかったな。言ったことは流れていってしまうので、これもちゃんと文字にしておこう。僕が前にどっかでぽろっと言った自分自身のジェンダーやセクシュアリティにまつわることについては、改めて言ったり書いたりするようなつもりはないけど。まあそれは置いておいて、であるがゆえに、「専門家ではないし知識も足りないので踏み込んで自信を持って何か言えるようなことは何もない」と上で書いているのは「この先も学ぶつもりはありません」ということでは全然ないです。むしろ逆。やべえな、勉強しなきゃなこれ、って思ってます。そうでなくても、特にポップカルチャーと社会について語る上で、いろんな差別や抑圧の構造に無知であるわけでいられないのは当たり前のことなんで。フェミニズムについても自分なりの観点で考えてきたつもりではあるけれど、知識の土台がないと付け焼き刃であるなあというのは強く思った次第。個人的にいくつか課題図書もリストアップしてるんですが、詳しい人いたらそっと教えてくださいな。

 

なかなかこれも言語化するの難しいんだけど、「勉強する」とか「学ぶ」という言葉には、なんというか「お行儀の良さ」みたいなものを感じてしまう感覚があって。「教養」という言葉についてもそうで。それもあって「勉強します」的なことを自分で言うのはしゃらくさい的なことも思ってたんだけど、こういうのはいい機会だったのかもなと思ってます。変化しつつある時代の潮流の中で、自分自身はできるだけ先鋭化しないでいたいという思いはありつつ、よい場所を作っていくこととか、自分のスタンスを点検していくことについては、ほんとに勉強必要だなあとつくづく痛感してます。

 

長くなったけど、これでほんとに以上。

 

日々の音色とことば 2022/09/09(Fri) 23:00

6G呪術飛蝗

 

 情報技術の発達によって、誰しもがカジュアルに祟りをなすことが可能になった。


 僕がそのことに気付いたのはおよそ10年ほど前のことだけれど、今では、そのことはもはや常識のようになっているのではないかと思う。クラウドに顕在化した呪いの力について、ソーシャルメディアがもたらした新しいアニミズムの時代について、ずっと考え続けてきた。でも、デジタルネイティブな世代であれば、もはやそんなことは前提として意識に刷り込まれているのではないかと思う。


 2022年1月17日、株式会社NTTドコモはネットワーク技術を用いて人間の感覚を拡張する「人間拡張」を実現する基盤を開発したと報道発表した。同社の公式サイトからダウンロードすることのできる「ドコモ6Gホワイトペーパー」には2030年を目処に実用化を想定している通信技術6Gのコンセプトが数十ページにわたる資料と共に解説されている。


 同資料には、6Gの超低遅延性によって通信速度が人体における神経の反応速度を上回ると書かれている。すなわち、脳や身体の情報をネットワークに接続することによって感覚を拡張することが可能になる。

「人体に装着されたマイクロデバイスにより、人の思考や行動をサイバー空間がリアルタイムにサポートするようなユースケースが考えられる」

「考える・思うだけで特定の動作が可能になるテレキネシス、思考や感情の共有、テレパシーといった究極のコミュニケーションも実現することが期待できる」

ドコモ6Gホワイトペーパー4.0版より引用

 5Gと新型コロナウイルス感染症を関連付ける陰謀論がニュースを賑わせたのは、パンデミックが始まった当初の2020年4月頃のことだ。英国やオランダなどヨーロッパ各国では携帯電話基地局が放火される被害が多発した。偽情報はアメリカにも伝わり、米国土安全保障省が基地局の襲撃を防ぐために対策強化を発する事態となった。mRNAワクチンの開発が進み2021年に接種が本格化すると「ワクチンにはマイクロチップが仕込まれ、接種すると5Gで監視され操作される」というデマが広まった。


 なんでこんな荒唐無稽なことを信じるんだろうと、多くの人は思ったはずだ。ソーシャルメディアにはニュースに対して鼻で笑うような論調のコメントも見受けられた。

 

 しかし現実は違った。

 

 こうした統合失調的なアイディアの数々は、5Gにおいてはまだ陰謀論の範疇にあった。しかし6Gにおいてはそれは技術的なロードマップに記される事項となっている。通信最大手企業が実現を期して開発を進めるユースケースの一つとなっている。

 

 とてもワクワクする、鳥肌の立つような話。

 

 僕はここ最近のテクノロジーとカルチャーと社会の動向を「最適化の罠」「ミームの魔法」「わくわくディストピア」「うんざりアディクション」といういくつかのモチーフで考えているのだけれど、6Gはまさに「わくわくディストピア」のど真ん中を射抜くようなホットトピックであった。

 

 

「バチが当たる」という言葉がある。

 

 悪いことをすると天罰がくだる。そういう素朴な道徳観を持って暮らしてきた日本人は古来から少なくないと思う。「お天道様が見ている」というような言い方もある。

 

 この場合において「バチ」を成す主体は、神仏であり、天である。ひょっとしたら怨霊かもしれない。いずれにしても超自然的な存在である。

 

 けれど、デジタル技術の発達による情報発信の分散化は、市井に暮らす個人に超自然的な力を与えた。ソーシャルメディアによる情報の奔流に最適化した人々は、言葉や画像や動画に宿るエネルギーを瞬時に察知し、雪崩や津波のように押し寄せる集合的無意識の一角を成すことで、不適当な行いや言動をなした誰かに「バチを当てる」ことを可能にした。

 

 たとえば、スカスカのおせち料理を作った料理店に。たとえば、冷蔵庫の中に入って遊んだアルバイトに。たとえば、不倫を働いた芸能人に。

 

 炎上やキャンセルカルチャーという言葉で括られる事象については、いつも、「燃える側」や「キャンセルされる」側が語られる対象となる。しかしその行為の主体はいつも炎の側にある。観客席に座っているつもりの「あなた」が祟り神となる。

 

 ジェームズ・スロウィッキーは2004年に『The Wisdom of Crowds(「みんなの意見」は案外正しい)』という書籍を上梓している。「Web2.0」という言葉が希望的観測と共に喧伝されていた00年代半ば、集団の叡智は素朴に信じられていた。しかし、そのわずか10年後にはケンブリッジ・アナリティカ社の跋扈と共にポスト・トゥルースの時代が訪れることになる。


 2021年には「Web3」という言葉がバズワードとなった。ブロックチェーンと分散型台帳技術がビッグテックの支配を脱し非中央集権的なインターネットをもたらすという言説が溢れかえった。そのうちのいくつかにはスーパーボウルのTV中継にCMを出稿するほどの市場規模となりつつある暗号資産関連企業による、ある種のディスインフォメーションも含まれているはずだ。そうしたことを加味して考えると、およそ10年後、30年代初頭あたりには政府や中央銀行の担保によらない非中央集権的な信用創造が当たり前になると同時に、人と社会との信頼関係が相対的なものとなる「ポスト・トラスト」の時代が訪れることが容易に想像できる。

 

 

「愛ほど歪んだ呪いはないよ」

 

『呪術廻戦』の劇中で、五条悟は乙骨憂太にこう持論を告げる。

 

 シリーズ累計発行部数6千万部を突破し現代日本をヒットコンテンツとなった同作は「呪い」をこう定義している。

「辛酸・後悔・恥辱――人間が生む負の感情は呪いと化し日常に潜む」

(TVアニメ『呪術廻戦』公式サイト)

 

 しかし、「呪い」というのは決して負の感情が顕現したものだけを指すのではない。物語の中では「呪い」という言葉にもう一つの意味を与えている。主人公の虎杖悠仁は、作品の冒頭で病室で亡くなる直前の祖父に「オマエは強いから人を助けろ」「オマエは大勢に囲まれて死ね」と声をかけられる。ひょんなことから呪霊との戦いという過酷な日々を送ることになった虎杖は、逃げずに戦うことを選んだ自らの行動の理由に、その祖父の言葉を回想し「こっちはこっちで面倒くせえ呪いがかかってんだわ」と述懐する。

 

 その後、虎杖と戦いを共にする呪術師の七海健人は、満身創痍の死に際に「言ってはいけない」「それは彼にとって“呪い”になる」――と躊躇いつつ、虎杖に「後は頼みます」と告げる。


 人は言葉に縛られる。虎杖だけでなく、他の登場人物たちもそういう意味での「呪い」を内面化している。遺された側が最後に託された言葉。血筋や家柄、ジェンダーによる抑圧。家族や友人に日常的に繰り返しかけられてきた期待や失望の言葉。それが呪縛となり自由を奪う。


 人を言葉によってコントロールしようという意志はすべからく「呪い」として機能する。『呪術廻戦』が画期的なのは、日本古来より連綿と続く呪術というモチーフを題材としつつ、オンライン化による社会の再魔術化が進行しつつある現代に則してそのイメージをアップデートしていることにある。


 神仏の力を借りずとも、藁人形や五寸釘といった古典的な呪法に頼らずとも、人は人を呪うことができるようになった。誰もが小さな災厄をもたらすことができるようになった。そのことはすでに常識となり、多くの人は注意深く、慎重に暮らすようになった。


 その一方で、相互に影響を与え合う興味や関心の波は、それ自体が電流のような力を持つようになった。意図的に不安を掻き立て、恐怖と憎悪を巻き起こすことによって利得を獲得する勢力が蠢くようになった。

 

 

 飛蝗は相変異によって発現する。


 餌が豊富な通常の環境で育ったサバクトビバッタは、緑色の体色で互いを避け大人しい性格の「孤独相」となる。しかし、餌が乏しく高頻度で他の個体とぶつかり合う混み合った環境で育ったサバクトビバッタは黒色の「群生相」となる。大量発生したトビバッタが群れをなし植物や農作物を食い尽くしながら移動する現象は飛蝗と呼ばれ、世界各地で多大な被害をもたらしてきた。


 内気な孤独相のバッタがひとたび巨大な群れを成す群生相に相変異すると筋肉も増強し体色も変異し数十億匹の大集団となって数百キロメートルの距離を飛ぶ。その相転移を引き起こす原因が脳内の神経伝達物質セロトニンであることが研究によって明らかになっている。群生相のバッタのセロトニン水準は孤独相のバッタよりおよそ3倍高いという。


 一方、セロトニンの欠乏は鬱病の原因とされ、現在、日本で抗うつ剤として広く処方されているSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)は神経細胞と神経細胞の間のセロトニンの量を増やし、情報伝達を増強して抗うつ効果を発揮すると考えられている。

 

 こうした飛蝗という現象をヒントに2010年代半ばから米海軍研究事務所が研究を進めてきたのが「LOCUST」と名付けられた軍事ドローンシステムだ。バッタを意味する「LOCUST」は「低コスト無人飛行機群技術(Low-Cost UAV Swarming Technology)の略。戦略対象地域に大量に発射された軽量かつ高性能な小型ドローンが、他のドローンと自律的に群れを形成し攻撃任務などをこなす。


 こうした技術をもとに米国防総省の国防高等研究計画庁(DARPA)は「攻撃型群集可能戦術(OFFSET:OFFensive Swarm-Enabled Tactics)」プログラムを進めてきた。数百台の自律型ドローンと地上ロボットが連携し、複雑で入り組んだ都市環境の中で戦術的な任務を遂行することを目指したプログラムだ。


 「OFFSET」という略語は、50年代のアイゼンハワー政権がソ連に対抗して核抑止力の構築を打ち出した第一次オフセット戦略、ステルス戦闘機や精密誘導兵器の導入による70年代の第二次オフセット戦略に続いて2010年代半ば以降の米国が推し進める第3次オフセット戦略を指し示す言葉でもある。


 2021年2月初頭、米国防総省は14の重要技術分野のイノベーションを推進することを目的とした新しい優先事項を発表した。米国研究・工学担当国防次官のハイディ・シューはロシアや中国との戦闘を想定した際に必要となる自律システムについて議会にて答弁している。3Dプリントされた群体型の超小型ドローンを飛行機から大量に展開する作戦もすでに米軍によって実証されている。


 自律型致死兵器システム(LAWS: Lethal Autonomous Weapons Systems)が駆動する新しい戦争の時代はすでに始まっている。

 

 そして、その先には、ネットワークを介して常時接続し相互に情報を交換することで、人が群知能(=Swarm Intelligence)の端末の一つとなる未来が、妄想でも陰謀でもなく、すぐそこにまで迫ってきている。


 神経の反応速度を上回る速度でネットワークに接続され、思考や感情を互いに共有し、自律的に群れを形成するようになった群生相の人間の脳内には正気を逸脱させるほどの多量のセロトニンが分泌される。過剰な原色に埋め尽くされたその視界の先には、何が見えるだろうか。

 

(『ウィッチンケア第12号』に寄稿した文章に加筆修正しました)

 

 

日々の音色とことば 2022/08/31(Wed) 02:57

ままならなさのなかで/FUJI ROCK FESTIVAL '22の配信を見ながら思う

土曜日。フジロック・フェスティバルの配信を見ながら、これを書いている。

 

直前まで行く準備をしていたのだけれど、先週に家族が体調を崩して熱を出してしまったので、とりあえず、見合わせることにした。幸いにして、PCR検査は陰性。すっかり回復したようで、うまくすれば、日曜日だけでも行くことはできるのかな。

 

ともあれ、今はコロナ”第7波”の真っ只中で、いろんなところでその影響が出ている。ずいぶん近くまで来ているような感もある。フジロックにしても、出演者がコロナ陽性になったことで出演がキャンセルになったり、他のライブにしても、野球の試合にしても、中止になったりしている。

 

とはいえ、昨年の夏とは、だいぶ社会のムードも変わってきているようにも思う。政府からの行動制限はなく、海外の動きも視野に、少しずつ平時に戻していこうという動きもある。簡単に言ってしまうと”飽き”のようなものも生まれているのかな。

 

よくわからない。

 

そうだ。よくわからない、ということを書き記しておこう。茫漠としている。アノミー的な状況の中で、気を抜いていると、自分の価値基準の手がかりや感情の手触りを見失いそうになる。SNSやニュースサイトばかり見ていると、アルゴリズムの渦にいとも簡単に飲み込まれてしまう。

 

ついつい忘れがちになるのだけれど、ブログを書くということは、少なくとも自分にとっては、未来の自分に対して「このときはこう考えていた」とか「このときはこんな感じだった」という足掛かりや手触りのアンカーポイントを示すという行為であったりする。

 

で、いくつか見返してみたら、ここ1、2年に書いたものは、なんだかちょっとばかり陰気なトーンになっているような感じもする。シニカルになるまいと思ってはいるのだけれど、知らぬ間に悲観的になっているのかな。疫病、戦争と、ひどいことばかり起こっているからだろうか。

 

それとも僕自身の傾向もあるのかな。振り返ってみると、ここ数年は、本や新聞やウェブのような商業媒体に書く原稿で「音楽シーンから社会の動きをわかりやすく解説します」的な役割を担うことも増えた。もともとそういうことをやりたかったわけだし、ある程度やれている自負もあるけれど、そのことで、少しずつすり減っているということもあるのかもしれない。

 

わからないことについて、わからないまま、手探りで草むらをかき分けていくように書くというのは、誰に頼まれるでもなく書くこういうブログのような場所に適している気もする。生産性はないけれど、そもそも別に生産性を求めてやってるわけじゃないし。

 

折坂悠太(重奏)の歌と演奏が、とてもよかった。

 

昨年のフジロックに出演を辞退し、今年は出演した彼。そのことについて、MCでは「わからない」と言っていた。「去年は出演を辞退しました。今年はこうして出ています。去年と今年の何が違うのか? 答えられません」「それでも、試行錯誤しながら、営みを続けていくしかないと思っています」と語っていた。

 

とても誠実な言葉だと思った。

 

ままならないことを、ままならないままで。音楽はそういういうありかたを許してくれるところがあって、そういうところが好きだったりする。

日々の音色とことば 2022/07/30(Sat) 08:06

cakesサービス終了と、この先の不安

cakesがサービスを終了する。

 

cakes.mu

 

正直、かなり寂しい思いはありますよ。もちろんメディアの世界は諸行無常であって、全ての場所やサービスが永続的に続くわけじゃないことはわかっている。紙と違ってウェブメディアのアーカイブ性が低いということも、わかってはいる。でも、「サービス終了後はすべての記事が閲覧できなくなります」というのは、やっぱり寂しい。

 

いろいろあったけれど、cakesは書き手として初期から携わったメディアプラットフォームだというのが大きいんだと思います。まだnote株式会社じゃなくて株式会社ピースオブケイクだったころ。今はもう辞めてしまった編集者の中島洋一さんとタッグを組んで企画を立てて始めた対談連載が「心のベストテン」だった。

cakes.mu

 

今調べてみたら、初回の記事は2014年。こんな風に始まってます。

 

音楽について語りたい。パァッと明るく話したい。「CDが売れない」とか「シーンの先行きはどうなるか」みたいな暗い話じゃなくて。なぜなら、日々いい曲がどんどん届いているから。年末恒例の「年間ベスト」だけじゃ物足りない。邦ロック、アイドル、洋楽、ボカロ、いろんなシーンに起こっているおもしろい動きを、がんがん紹介したい。熱く語らいたい。そういうところから話は始まりました。タイトルは「心のベストテン」。でも懐古的なトーンは一切なし。ダイノジ・大谷ノブ彦さんと、お互い「今はこの曲だ!」と思うものを持ち寄って、ぶっ続けの音楽談義。ぜひぜひ、聴きながら読んでみてください。

 

 

最初に取り上げてるのがファレル・ウィリアムスの「ハッピー」。もはや懐かしい。

 

www.youtube.com

 

その後、「心のベストテン」はCINRAに移籍した時期があったり。

 

www.cinra.net

 

www.cinra.net

 

その後はフジテレビの地上波に進出したり、YouTubeチャンネル「8.8 channel」に進出したりしながら、座組み自体は2022年の今も続いております。

 

www.youtube.com

わりと、自分にとって思い入れの強い座組みなんですよね。

 

他にも『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』や『ヒットの崩壊』を出したときには全文公開をやらせてもらったり、オリジナルの対談記事やインタビューをやったり、いろいろ関わってきたメディアで。

 

それだけに、つらい気持ちはある。「サービス終了のお知らせ」には

 

原稿はクリエイターの方のものですので、お問い合わせいただき次第、クリエイターの方々それぞれのご要望をお伺いしながら、原稿のお渡しなどの対応を順次進めてまいります。

 

 

とあるので、自分としても原稿は引き取らせてもらおうとは思いますが。とはいえ、自分ひとりで書いたコラムやエッセイと違って、対談記事やインタビュー記事というのは相手があっての共同作業であり自分だけが権利を持っているものではないので、どうしようかなというのも思ったり。

 

で、もうひとつ。SlowNewsの終了のお知らせもあって。

slownews.com

こちらも自分が書き手としてがっつりコミットしているプラットフォームなので、正直、キツい気持ちは大きいです。

 

特にこっちのほうは現在進行形で連載をやってきていたので、それをどうするかについては、まさに考えねばならぬところ。

 

 

最後に本音を言うと。

 

正直、これを機会に、noteというサービスを使い続けていくことに不安を持っているというのは否めないです。

 

だって。

 

今後は、当社のミッションである「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」に沿ってcakesで培ったノウハウを活かし、プラットフォーム事業のnoteをつうじて一層クリエイター支援を強化していきます。

 

 

とあるけれど。cakesは、ここ最近は、ずいぶん倫理的な面での問題を起こしていたメディアであって。その顛末はいちいち書かないけれど、その対応も書き手として「?」と思うところも多々あって。

 

たとえば、今回のサービス終了に関しても、書き手が真っ先に思うのは「自分の原稿はどうなるの?」っていうことで。そこへのアナウンスが「追記」としてなされている(たぶん問い合わせが沢山舞い込んで慌てて対応したんだと思う)ということにも、「えー?」と思ってしまう。普通に考えたら、「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」ことをミッションに掲げ「クリエイター支援」を標榜する会社が、まず大事にすべきは書き手が安心して参加することのできるブランディングであると思うのだけれど。それを毀損してしまってない?とも思ったり。

 

加えて言うと、noteには現状、エクスポート機能もバックアップ機能もないわけで。ユーザーがそれを求めている声は当然サービス側に届いているし、何度かサービス側も開発に言及して、エディタのアップデートなんかもありながら、今日までリリースされていない。ということは、そこはあまり重視されていないんだなと思ってしまわざるを得ない。

 

はてさて、どうしたものか…。

日々の音色とことば 2022/05/26(Thu) 14:58

リアリティショー化された戦争/オンライン演説のナラティブについて

3月23日。ウクライナのゼレンスキー大統領の日本の国会での初めてのオンライン演説を聞いた。移動中だったので電車の中でYouTubeのライブ配信を見た。

 

youtu.be

 

正直な感想として「これはすごい」と心底思った。今、アメリカやヨーロッパやいろんな国で起きている情動のさざ波のようなものの一端に触れた気がした。

 

言葉はとても強い力を持っている。それは実際に人を動かす。人は誰しもそれぞれの物語の中を生きていて、そのナラティブが折り重なっていく中で歴史が形作られる。

 

また、語りは言葉の持つ力を増幅させる。どんな声で、どんな口調で語られるのか。声に宿るトーンは、ときに語られる内容自体よりも強く聴き手の感情に作用する。

 

そして、マクルーハンが言うとおり、メディアとはメッセージである。どんな媒体を使って情報を伝えているかという、そのこと自体が時代の中で強いメッセージ性になる。今回の場合は「オンライン演説」ということがポイントで、もちろんその前提はLINEやWhatsAppやテレグラムのようなメッセージアプリの普及、コロナ禍を経て多くの人がオンラインでのコミュニケーションを経験したことにある。モニタの映像と音を通して遠隔地から喋っているわけだし、語義的には「tele-vision」なわけだけど、これが「テレビ演説」と言われないところにキーがある。僕自身そう言ってしまうと妙な違和感がある。「テレビ」というメディアが本質的に”一対多”の大衆伝達性を持つのに対して、メッセージアプリという「オンライン」メディアは本質的に電話の延長線上とも言える”一対一”、パーソン・トゥ・パーソンの親密性を持つ。

 

そういうことを踏まえて考えると、ゼレンスキーの決して声を張り上げず、力強くも低い声で静かに語りかけ、いわゆる”演説口調”にならない喋り方は、それ自体が強いメッセージ性を持っている。もちろん、手元の原稿を読んでいるような素振りは見せない。目線は真っ直ぐにカメラに向き続けている。丁寧に”一対一”の喋り方が選ばれていると感じる。

 

そのことが、各国でオンライン演説をした際の、それぞれの国の歴史や文化を踏まえたスピーチの内容にもつながっている。3月8日にイギリス、15日にカナダ、16日にアメリカ、17日にドイツ、20日にイスラエル、22日にイタリア、そして23日に日本。イギリスではシェークスピアやチャーチルの引用。アメリカでは真珠湾と9・11。ドイツではベルリンの壁への言及。それを踏まえて日本では何をどう語ったのか。

 

全文書き起こしがあった。

dot.asahi.com

www.ukrinform.jp

 

すごく練られた、とても巧みなものだった。

 

チェルノブイリ原子力発電所が武力で制圧されたということ。事故のあった原発周辺の封鎖区域をロシア軍の装甲車が放射性物質を巻き上げながら走っているということ。サリンなど化学兵器の攻撃の可能性があるということ。

 

その言葉自体は使わず、しかし日本に暮らす誰しもが東日本大震災と福島の原発事故やオウムの記憶を思い出し共有するであろう自国の危機への言及。「自分のふるさとへ戻らなければ、という気持ちをあなた方は理解していると確信している」という言葉。全般的な”感謝”のトーンと、「アジアのリーダー」という”持ち上げ”。制裁強化と戦後復興支援と国連改革への呼びかけ。「侵略の"津波"」という表現。日本文化への敬愛。

 

日本が置かれている状況と、そこに暮らす人々がどういう物語を生きているかを分析し把握した上で、何を語り、何を語らないかを綿密に選び取ったかのような内容に思えた。

 

加えて、あまり指摘されていないことだけれど、このスピーチの最初と最後は「距離をなくす」というリフレインによって成立している。

 

「両国の間には、8193kmの距離があります。経路によっては、飛行機で15時間もかかります。ただし、お互いの自由への思いに差はありません」という風に始まり、最後で「距離があっても、私たちの価値観はとても共通しています。ということは、もう距離がないということになります」と念を押す。

 

メディアはメッセージ。「もう距離はない」という語られた内容自体と「初のオンライン演説」という媒体形式が相似形を成している。

 

メディアやSNSを見ると、沢山の人が高い評価を与えている。極めて優秀なスピーチライターがチームにいるのであろうと僕も思う。

 

そのうえで、ひょっとしたら、これはこの後、ちょっと怖いことになるかもしらんぞという予感もあった。

 

演説自体のトーンと内容は決してそうではないけれど、起こっている事象は極めてテレビ的(というか、グローバル需要を前提にした“TVシリーズ”的)なのではないか、とも感じる。ゼレンスキーはコメディアンで俳優出身のキャリアの持ち主であることはよく知られている。そのキャリアのスタートが友人たちと結成した劇団であることを踏まえてイメージすると、年代的にも人気の大きさとしても日本で言うなら大泉洋が一番近いのではないかと思ったりする。それはさておき、大統領出馬の決め手になった番組『国民のしもべ』は彼が立ち上げた映像制作会社「Kvartal 95」の制作によるもので、ということはゼレンスキー自身とそのチームが「制作会社」としての出自を持つわけである。

 

こんなことを考えてしまう。

 

ひょっとしたら、我々が目撃しているのは歴史上初めての「リアリティショー化された戦争」なのではないだろうか。

 

あらゆる意味で、究極のリアリティーショー。

 

そして、演説のナラティブは、各国の視聴者を「当事者」にするために練り上げられたもので、それは制作会社的な視点で考えれば、いわばコンテンツの「ローカライズ戦略」になぞらえることができる。

 

この「語り」が多くの人の心を揺さぶり劇場的に受け止められたことで、その余波として何が起こるか。

 

まだ上手く言語化できないんだけど、これからしばらくは、美味しいご飯を食べたり、家を掃除したり、綺麗な花を見たり、普段よりもちょっとだけそういう方に感度を上げて生活しようかなと思ったりしている。

 

 

 

日々の音色とことば 2022/03/23(Wed) 16:10

この後戻りのできない変化の中で

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なんだか、とても気落ちしている。

 

ニュースに心をかき乱されて、鬱々とした日々を過ごして、思うところを上手く言葉にできない居心地の悪さを抱えたまま時間が過ぎていく。

 

大きな戦争が起こってしまった。2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻。砲弾が飛び、街が破壊される映像が次々と伝わる。そこから10日。いろんな情報が押し寄せる。世界史の1ページのなかで、簡単に戻ることのできない変化が生じてしまったことを感じる。冷たい水に浸かっているかのような無力感がある。

 

けれど、それはそれとして、いつもどおりの日常は進む。仕事をして、ご飯を食べる。取材に出かけ、〆切に向けて原稿を書く。朝のニュース番組をつけると専門家が情勢を分析している。チャンネルを変えると芸人が街を歩いている。

 

10ヶ月前に自分が書いたことを思い出す。

 

ひょっとしたら、このコロナ禍の先の世情は、予想していたよりも、もっときな臭いものになるかもしれない。

 

shiba710.hateblo.jp

 

やっぱり、という落胆もある。

 

それでも、こんな風だとは思っていなかった。なんだかとてもがっかりしているのは、時計の針が巻き戻ってしまったかのような思いがしているからかもしれない。

 

2年前、コロナ禍の始まりの頃にはこんなことを書いた。

 

新型コロナウィルスへの感染拡大に対して、欧米各国の首脳が「戦争」という言葉を使っている。その言葉に、なにか違和感がある。骨が喉につかえるような、ちょっとした引っかかりを感じる。

 

shiba710.hateblo.jp

 

あのときには、国家による統制を表現するある種のレトリックとしての「戦争」という言葉についてのことだった。けれど、今起こっている事象は、文字通りの戦争だ。非国家勢力が引き起こす21世紀の「新しい戦争」ですらない。すでに歴史の中で何度も繰り返されてきたやつだ。

 

僕は国際情勢に詳しいわけでもないし、何かの知見をもとに偉そうなことを言えるような立場ではないのだけれど、それでも、いくつか、思うことがある。

 

それは、この後戻りのできない世界史的な変化の中で、ひとつの物語が(主にヨーロッパ各国の間で)形作られているように思えること。ドイツとフランスの政策転換。スウェーデンやフィンランドの世論の変化。各国による経済制裁。理不尽な破壊と、プーチンによるあまりにも無理筋なナラティブを目の前にして、明らかに人々が世界を見る目線が変わってしまった。情勢がどう変わるかはわからないけれど、少なくともそれが覆ることはないだろう。

 

www.jiji.com

 

ユヴァル・ノア・ハラリは、2月28日、ガーディアン紙への寄稿でこう書いている。

 

開戦からまだ1週間にもならないが、ウラジーミル・プーチンが歴史的敗北に向かって突き進んでいる可能性がしだいに高まっているように見える。彼はすべての戦闘で勝っても、依然としてこの戦争で負けうる。

(中略)

ウクライナ人の勇敢さにまつわる物語は、ウクライナ人だけではなく世界中の人に決意を固めさせる。ヨーロッパ各国の政府やアメリカの政権に、さらには迫害されているロシアの国民にさえ、勇気を与える。ウクライナの人々が大胆にも素手で戦車を止めようとしているのだから、ドイツ政府は思い切って彼らに対戦車ミサイルを供給し、アメリカ政府はあえてロシアを国際銀行間通信協会(SWIFT)から切り離し、ロシア国民もためらわずにこの愚かな戦争に反対する姿勢をはっきりと打ち出すことができるはずだ。

 

web.kawade.co.jp

たくさんの人が、心の中にあるスイッチをそっと切り替えたのではないかという気がしている。

 

戦争反対。僕は基本的には楽観的な人間なので、いろんな国で、多数の市民がシンプルに「戦争反対」という思いを持っているだろうということを疑ってはいない。「そんなことを言ったってどうしようもないだろう」みたいな揶揄や冷笑のほうがよほど恥ずかしい言動だと思っている。けれど、実際に危機が目前に迫っているとき。あり得ないと思っていたことが起こっているとき。それが情報として押し寄せてくるときに、人々の心のありようはどう変わるだろうか、ということを考えている。

 

「平和ボケ」という言葉がある。こんな風に解説されている。

 

戦争や安全保障に関する自国を取り巻く現状や世界情勢を正確に把握しようとせず、争いごとなく平和な日常が続くという幻想を抱くこと、あるいは自分を取り巻く環境は平和だと思い込み、周りの実情に目を向けようとしないことなどを意味する表現。主に安全保障などに無関心である日本国民に向け、皮肉を込めて用いられることが多い。

「平和ボケ(へいわボケ)」の意味や使い方 Weblio辞書

 

定義のとおり、ほぼ皮肉や見下した物言いに使われる言葉。その対義語はなんだろう。「戦時覚醒」とでも言うべきだろうか。危機情報は中枢神経を刺激する。興奮作用を持つ。緊張と不安の中でノルアドレナリンが過剰になった脳内から放たれた言葉は当然に攻撃性を持つ。僕は「平和ボケ」という言葉で誰かを貶めたり煽り立てるようなタイプの人のことは「戦時覚醒」だなあと思ったりする。

 

悪い予感は尽きない。

 

それでも、少しでも安寧が訪れることを願う。

 

 

※国連UNHCR協会に寄付をしました。

 

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https://www.japanforunhcr.org/campaign/ukraine

 

 

 

 

日々の音色とことば 2022/03/06(Sun) 13:43

今年もありがとうございました。/2021年の総括

例年通り、紅白歌合戦を観ながら書いています。

 

社会全体が大きな転機を迎えた2020年に続いて、2021年も、ずいぶんと不透明な1年だったように思います。なんにせよ無事に年末を迎えられてよかった。

 

2021年はどんな年だったか。KAI-YOUに寄稿したコラムにも書きました。

 

premium.kai-you.net

 

上記にも書いたんですが、コロナ禍によってハッキリと前景化したのが、価値観の“分極化”だったと思います。

 

2020年のパンデミック初期は出口の見えない混沌を世界中の人たちが共有していた。けれど、変異株による波がたびたび訪れつつ、一方でワクチンや治療薬の開発も進み、確実にポスト・パンデミックに向かいつつあるわけで。それを経て、社会の価値基準、規範のあり方がバラバラに分かれてきているように感じる。

 

情報過多が進む一方で「忘却」のスピードが早くなってきたということも感じる。たしかに、政治の不作為も、東京五輪を巡るゴタゴタの数々も、思い出したくないことばかり。でも、それを差し置いても、半年前のことが、あっという間に過去になっていくような感覚もあった。

 

そんな中で、僕個人としては久しぶりの単著として『平成のヒット曲』を上梓できたというのが何より大きかったです。かなり長い時間をかけて執筆を続けてきたので、肩の荷が下りた感覚が大きかった。

 

平成のヒット曲(新潮新書)

 

ただ、こういう本を書いておいてなんだけど、自分のテーマとしては「ノスタルジーに絡め取られるな」ということに強く意識的であろうと思う。40代を半ば過ぎて、懐かしいものが増えてきて、それに触れたときの心地よさもわかっていて。でも、それにひたるのは怠惰だなあとも思う。やっぱり、今が一番おもしろい。

 

いろんな兆しを見逃したくない思いが強いので、毎年書いてるような気もするけど、来年はもうちょっとブログを書いていこう。

 

最後に今年よく聴いたアルバムを。

 

 

underscores『fishmonger』

glaive『cypress grove』

折坂悠太『心理』

Porter Robinson『Nurture』

Clairo『Sling』

sic(boy)『vanitus』

4s4ki『Castle in Madness』

小袋成彬『Strides』

No Rome『It's All Smiles』

Arlo Parks『Collapsed in Sunbeams』

GRAPEVINE『新しい果実』

LANA DEL RAY『Chemitrails Over The Country Road』

CHAI『WINK』

LEX『LOGIC』

くるり『天才の愛』

ROTH BART BARON『無限のHAKU』

blackwinterwells『tracing paths』

kabanagu『泳ぐ真似』

mekakushe『光みたいにすすみたい』

Kitri『Kitrist II』

THE MILLENIUM PARADE『THE MILLENIUM PARADE』

Tempalay『ゴーストアルバム』

claud『Soft Spot』

girl in red『if i could make it go quiet』

Tohji『KUUGA』

D.A.N.『NO MOON』

Puma Blue『In Praise Of Shadows』

LIL SOFT TENNIS『Bedroom Rockstar Confused』

DUSTCELL『命の行方』

THE CHARM PARK『Bedroom Revelations』

 

 

 

来年もよろしくお願いします。

 

日々の音色とことば 2021/12/31(Fri) 14:22

2021年の10曲(国内編)

すっかり年末になっちゃいました。すっかり慌ただしい年の瀬。個人的には「年間ベスト」みたいなことはあまりやりたくない性分なのですが、自分の記憶を記録に定着させるという意味でも、今年聴いてハッとした曲を書きとめておこうと思います。

STUTS & 松たか子 with 3exes 「Presence Remix feat. T-Pablow, Daichi Yamamoto, NENE, BIM, KID FRESINO」


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まずは『大豆田とわ子と三人の元夫』主題歌のこの曲。2021年を振り返ってもダントツのドラマタイアップだと思います。ラップ・ミュージックとJ-POPをこういう回路で接続できるんだという発見もあった。シリーズたくさんあるので、1曲選ぶなら全員集合のこのバージョンを。STUTSのインタビューやりましたので下記に。

news.yahoo.co.jp

 


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millennium parade × Belleの映画『竜とそばかすの姫』劇中歌。メインテーマの「U」よりも、こちらの「歌よ」のほうが中村佳穂という人の思想が入っていて好きです。映画も観ましたが、これ、正直、最後まで中村佳穂がキャスティングに決まってなかったと聞いて唖然としました。どうやってあれを成り立たせようとしていたのかと。インタビューは以下。

 

A_o「BLUE SOULS」


www.youtube.com

ROTH BART BARON三船雅也とアイナ・ジ・エンドのユニットによるポカリスエットCMソング。これもCMタイアップということでは2021年のダントツ。僕としては、こういう予算が大きく動くCMという場所で、ちゃんとアーティストのクリエイティブをプラスに引き出していくようなプロジェクトが動いているというのは、とてもよいなと思う。ROTH BART BARONの『無限のHAKU』もよかった。これも取材やりました。

 

news.yahoo.co.jp

 


宝鐘マリン「Unison」(produced by Yunomi)

 


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VTuberとしての宝鐘マリンのことは殆ど知らなかったんだけど、この曲はすごかった。ビートもかなりエキセントリックだし、何よりサビで一気にドライになるボーカルの処理がビビッド。電音部周辺もおもしろい曲たくさんありました。

 

TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA「会いたいね。゚(゚´ω`゚)゚。 feat.長谷川白紙」


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スカパラと長谷川白紙のコラボというのは全然予想してなかったな。最初に聞いたときには腰が抜けたけど、なんだか繰り返し聴きたくなるエモーションもあって、ピュアにいい曲だなあと思う。「たとえいなくなったとしても音楽の中でもう一度会える」というモチーフも。2021年はSOPHIEが亡くなってしまった年だったけれど、音楽におけるクィアネスはいろんな人によってアップデートされていくような希望もあった。

HIROBA「透明稼業 (feat. 最果タヒ, 崎山蒼志 & 長谷川白紙)」


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水野良樹による「HIROBA」というプロジェクトの1曲。「OTOGIBANASHI」という、作家と歌い手と作曲家がコラボして小説と詩と歌を生み出すというアルバムがリリースされて、その中に収録された曲。クレジットは「作詞:最果タヒ 唄:崎山蒼志 編曲:長谷川白紙 作曲:水野良樹」。この結びつき自体がスペシャルだし、最果タヒの言葉のセンスと崎山蒼志の声質もすごく合うように思う。長谷川白紙のサウンドプロデュースもさすが。

Kabanagu + 諭吉佳作/men「すなばピクニック」


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諭吉佳作/menの『からだポータブル』『放るアソート』もすごくよかった。個人的には書き下ろしのほうの『からだポータブル』よりもコラボの『放るアソート』のほうが好き。なかでもKabanaguとのコラボのこの曲はリズムとメロディの関係性が何度聴いても斬新で心地いい。Kabanagu『泳ぐ真似』もとてもよかった。

Kitri「パルテノン銀座通り」


www.youtube.com

これ、カバー曲なんですよ。原曲はたまの1997年に発表されたアルバム『パルテノン銀座通り』の表題曲。これをピアノ2台で歌おうという発想、どこから生まれたんだろう。歌詞がとてもいい。

THE SPELLBOUND「なにもかも」


www.youtube.com

これも歌詞がとてもよかった。THE SPELLBOUNDというユニットが始まってから何故この曲がブレイクスルーになったのか、中野さんと小林さんに話を聞いて納得した。

natalie.mu


Tempalay「あびばのんのん」


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Tempalayは『ゴーストアルバム』もとてもよかったけど、曲で選ぶならば「あびばのんのん」だな。ドラマ『サ道』主題歌。「ととのう」という言葉が広まってからの日本におけるサウナブームは、変性意識状態を楽しむという意味で、ある種の合法ドラッグ的なものと通じ合うようなものだと思っていて。だからこそサイケデリックな音楽がぴったり合うわけで、そこの勝負で無類の強さ。AAAMYYYのソロアルバムもよかった。

Vaundy「踊り子」


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Vaundyは「花占い」とか「Tokimeki」とか2021年いろんな曲を出してきたけど、この「踊り子」がダントツ。これサウンドメイキングもすごく新しくて、ちゃんとしたスピーカーとかヘッドホンで聴くとベースが妙に大きくて声が奥のほうでぐぐもっているようなミックスになってる。8ビートのドラムの小気味よい感じも新鮮。あまり前例のない仕上がりなんだけど、聴くと心地よくてハマってしまう。発明だと思う。

 

 

 

 

日々の音色とことば 2021/12/30(Thu) 09:56

『平成のヒット曲』の「はじめに」

平成のヒット曲(新潮新書)

新刊『平成のヒット曲』が、11月17日に発売されました。その「はじめに」と「目次」を、横書きで読みやすいよう少し修正を加えて公開します。

 

 平成とは、どんな時代だったのか――。

 

 本書は、それを30のヒット曲から探る一冊だ。

 

 1989年の美空ひばり「川の流れのように」から、2018年の米津玄師「Lemon」まで。ヒットソングがどのような思いをもとに作られ、それがどんな現象を生み出し、結果として社会に何をもたらしたのか。そのことを読み解くことで、時代の実像を浮かび上がらせる試みだ。

 

 悲惨な戦争から高度経済成長に至る〝激動の昭和〟に対して、平成という時代の全体像は、どこか茫漠としているように見える。焦土から豊かな生活を目指してがむしゃらに進んでいった戦後史の大きな物語に比べると、どんな価値観が時代を駆動する力学になっていたのか、一言では言い切れないように感じられる。

 

 しかし、30年という時間は、日本という国を、静かに、しかし確実に変えてきた。長い経済停滞を引きずり、沢山のものが失われていく一方で、インターネットを筆頭にした数々のテクノロジーの登場が人々の暮らしを塗り替えていった。多くの人たちを駆り立て縛り付けてきた昭和の常識が、ゆっくりとほどけていった。少しずつ、新たな価値観が根付いていった。

 

 ヒットソングはその変化に寄り添い、あるときは予兆のように響いてきた。本書はそれを点と点のようにつないで紡いでいく物語である。

 

 選んだのは、1年に1曲。語る対象にしたのは、必ずしも、年間ランキングのトップを飾った曲だけではない。特に平成の後半は、ヒットチャートという枠組み自体が瓦解し、世の中からヒットが見えづらくなっていった時代でもある。売上枚数の数字と、その曲が巻き起こした現象の大きさは、決して一致するわけではない。

 

 それでも、一つ一つの歌を紐解いていけば、ヒット曲が「時代を映す鏡」であることが、きっと伝わるのではないかと思っている。

 

 本書では平成という時代を3つの期間に区切っている。

 

 最初の10年は「ミリオンセラーの時代」。それまでの歌謡曲にかわってJ-POPという言葉が生まれ、CDセールスが右肩上がりで拡大していった、音楽産業の黄金期だ。

 

 ドラマ主題歌やCMソングのタイアップがヒットの火付け役になった。通信カラオケのブームと8cmシングルCD市場の拡大によって、音楽が流行の中心になった。100万枚、200万枚を売り上げるミリオンセラーが相次いだ。90年代初頭にバブルが崩壊し日本経済は不況に向かっていったが、1998年に史上最高の生産金額を記録するまでCDバブルは拡大の一途にあった。

 

 次の10年は「スタンダードソングの時代」。00年代初頭には、SMAP「世界に一つだけの花」とサザンオールスターズ「TSUNAMI」という二つの国民的ヒット曲が生まれている。流行と共に消費されるものから、時代を超えて歌い継がれるものへと、ヒットソングのあり方は徐々に変わっていった。カラオケで歌われる楽曲の傾向の変化はそのことを如実に示していた。

 

 インターネットの普及と配信の登場によって、音楽業界の風向きが大きく変わったのもこの頃だ。栄華は長くは続かなかった。CD市場は徐々に縮小し、00年代後半には音楽不況が誰の目にも顕になっていた。

 

 最後の10年は「ソーシャルの時代」。YouTubeとソーシャルメディアの登場によって、流行を巡る力学は大きく変わった。それまでのマスメディアと違って誰もが情報の発信側に立つことができるようになった。話題性が局地的に生じるようになり、参加型のヒットが生まれるようになっていった。

 CDの時代はいよいよ終焉を告げようとしていた。10年代前半にはAKB48を筆頭にしたアイドルグループが特典商法を導入し、一人のファンが複数枚を購入することが当たり前になり、楽曲の話題性や知名度とCDセールスの数字が乖離していった。10年代後半にはストリーミングサービスが徐々に主流となり、CDの売上枚数に依拠しないヒットチャートの再構築も進んでいった。

 
 2019年4月、平成という時代は幕を下ろした。

 

 そして、2020年初頭から本格化した新型コロナウイルスのパンデミックは、文字通り世界を一変させてしまった。

 

 音楽産業も大きな打撃を受けた。10年代はライブ市場が拡大し、大規模な演出を用いたコンサートやライブが各地で活況を呈していた時代でもある。しかし、数千人、数万人が一つの場に集まり共に大きな声をあげて歌うようなライブやフェスティバルは、コロナ禍に入ってからの日本では1年半以上にわたって開催されていない。

 

 平成という時代は〝コロナ前〟の記憶と共に、誰にとっても遠い過去のものとなった。

 

 だからこそ、今、その30年を振り返ることで見えてくるものが沢山ある。

 

 ヒットソングが社会の中でどんな役割を果たし、一人ひとりの胸の内にどう根を下ろしていったかを知ることが、現在進行形で大きく変貌を遂げつつある世界のこの先を見通すための手がかりの一つにもなるのではないかと思っている。

 

 歌は世につれ、世は歌につれ。

 

 改めて、この言葉の意味を実感できるような30曲の物語になっているはずだ。

 

●目次

はじめに
第一部 ミリオンセラーの時代
――1989(平成元)年〜1998(平成10)年

1.昭和の幕を閉じた曲【1989(平成元)年の「川の流れのように」(美空ひばり)】
昭和が終わった翌日に/秋元康と美空ひばり/歴史の転換点と「思い出の目次」

2.さくらももこが受け継いだバトン【1990(平成2)年の「おどるポンポコリン」(B.B.クィーンズ)】
植木等と『ちびまる子ちゃん』/ビーイング系とは何だったのか/大瀧詠一の果たした役割

3.月9とミリオンセラー【1991(平成3)年の「ラブ・ストーリーは突然に」(小田和正)】
「月9」とは何だったのか/タイアップの本質/3連符の魔法

4.昭和の「オバさん」と令和の「女性」【1992(平成4)年の「私がオバさんになっても」(森高千里)】
平成を経て「女性」はどう変わったのか/「アイドル」と「アーティスト」の境目で/20年越しのメッセージ

5.ダンスの時代の幕開け【1993(平成5)年の「EZ DO DANCE」(trf)】
小室哲哉と「プロデューサーの時代」/カルチャーを作るということ/エイベックスの挑戦/ダンサーの地位を変えた曲/誰もがダンスする時代へ

6.自己犠牲から自分探しへ【1994(平成6)年の「innocent world」(Mr.Children)】
桜井和寿と小林武史/切ないが、前に進むのだ/サッカーとミスチルの「国民的物語」/根性から自分らしさへ

7.空洞化する時代と「生の肯定」【1995(平成7)年の「強い気持ち・強い愛」(小沢健二)】
時代の曲がり角へ/「生命の最大の肯定」/2つの「今」に挟まれた25年

8.不安に向かう社会、取り戻した自由と青春【1996(平成8)年の「イージュー★ライダー」(奥田民生)】
カウンターとしての「脱力」/30代の“自由”と“青春”/バンドブームの狂騒と、その後に訪れた充実

9.人生の転機に寄り添う歌【1997(平成9)年の「CAN YOU CELEBRATE?」(安室奈美恵)】
人気絶頂での結婚発表/山口百恵と安室奈美恵/笑顔で終わりたい/30歳で更新した「カッコいい女性像」/人生の荒波を超えていく

10.hideが残した最後の予言【1998(平成10)年の「ピンク スパイダー」(hide)】
音楽シーンの特別な1年/最後の121日間/初のインターネット・アンセム


第二部 スタンダードソングの時代
――1999(平成11)年〜2008(平成20)年

11.台風の目としての孤独【1999(平成11)年の「First Love」(宇多田ヒカル)】
800万人と1人/孤独から生まれた祈り/「First Love」と「初恋」

12.失われた時代へのレクイエム【2000(平成12)年の「TSUNAMI」(サザンオールスターズ)】
ミレニアムの狂騒の中で/大衆音楽のバトンを受け取る/過ぎ去った輝きの時へ

13.21世紀はこうして始まった【2001(平成13)年の「小さな恋のうた」(MONGOL800)】
9・11と不意のブレイク/道を作ったハイスタ/変わらない日本、変わらない沖縄

14.SMAPが与えた「赦し」【2002(平成14)年の「世界に一つだけの花」(SMAP)】
社会が揺らぐとき、歌にはどんな力があるのか/“平成のクレージーキャッツ”に/大衆の心の負荷を取り除く

15.「新しさ」から「懐かしさ」へ【2003(平成15)年の「さくら(独唱)」(森山直太朗)】
会議室で歌うことから始まった遅咲きのブレイク/「涙そうそう」と森山良子/カバーブームはどのようにして生まれたか/「桜ソング」の功罪/混沌としての平成

16.「平和への祈り」と日本とアメリカ【2004(平成16)年の「ハナミズキ」(一青窈)】
ミリオンセラー時代の終わりと、平成で最も歌われた曲の誕生/9・11が生んだ2つのヒット曲

17.消えゆくヒットと不屈のドリカム【2005(平成17)年の「何度でも」(DREAMS COME TRUE)】
「ヒットの崩壊」のはじまり/苦悩の中で明日が見える曲を

18.歌い継がれた理由【2006(平成18)年の「粉雪」(レミオロメン)】
YouTubeとSNSが勃興した時代/『1リットルの涙』から生まれた2つのヒット/ユーザー参加型のヒット曲

19.テクノロジーとポップカルチャーの未来【2007(平成19)年の「ポリリズム」(Perfume)】
時代の転換点でのブレイク/クリエイティブへの誠実な姿勢/幻になった「これからの日本らしさ」

20.ガラケーの中の青春【2008(平成20)年の「キセキ」(GReeeeN)】
着うたとは何だったのか

 

第三部 ソーシャルの時代
――2009(平成21)年〜2019(平成31)年

21.国民的アイドルグループの2つの謎【2009(平成21)年の「Believe」(嵐)】
嵐の「国民的ヒット曲」とは何か/嵐と日本のヒップホップとのミッシングリンク/嵐とアジアのポピュラー音楽の勢力図

22.ヒットの実感とは何か【2010(平成22)年の「ありがとう」(いきものがかり)】
ヒットの基準があやふやになっていく時代/誰かの日常の暮らしの中に息づく歌を

23.震災とソーシャルメディアが変えたもの【2011(平成23)年の「ボーン・ディス・ウェイ」(レディー・ガガ)】
音楽の力が問い直された1年/マイノリティを名指しで肯定する

24.ネットカルチャーと日本の“復古”【2012(平成24)年の「千本桜」(黒うさP feat. 初音ミク)】
初音ミクが巻き起こした創作の連鎖/和のテイストがネットカルチャーの外側に波及した

25.踊るヒット曲の誕生【2013(平成25)年の「恋するフォーチュンクッキー」(AKB48)】
AKB48の“本当のヒット曲”/『あまちゃん』と「アイドル戦国時代」/平成というモラトリアム

26.社会を変えた号砲【2014(平成26)年の「レット・イット・ゴー 〜ありのままで〜」】
“ありのまま”の魔法

27.ダンスの時代の結実【2015(平成27)年の「R.Y.U.S.E.I.」(三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE)】
ストリーミングに乗り遅れた日本/拡大するEXILEとHIROのリベンジ

28.ヒットの力学の転換点【2016(平成28)年の「ペンパイナッポーアッポーペン」(ピコ太郎)】
天皇とSMAPが示した平成の終わり/古坂大魔王はピコ太郎をどう生み出したのか/バイラルヒットと感染症

29.新しい時代への架け橋【2017(平成29)年の「恋」(星野源)】
物語とダンスの相乗効果/イエロー・ミュージックの矜持/植木等と星野源

30.平成最後の金字塔【2018(平成30)年/2019(平成31)年の「Lemon」(米津玄師)】
死と悲しみを見つめて/ヒットの復権/インターネットの遊び場から時代の真ん中へ/300万の“ひとり”

おわりに

 

 

 

 

 

 

 

 

日々の音色とことば 2021/11/16(Tue) 15:00

ターミナル/ストリーム

 

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ミームは呪術、アルゴリズムは魔術。


そのことに気付いている人は多いと思う。オカルティックな言葉を聞くと眉に唾をつけたくなるタイプの人でも、よくわからないこと、説明のつかないことが起きているという実感のようなものを持っている人はかなりいるんじゃないかと思う。


僕が勘付いたのは2019年頃のこと。ポップ・ミュージックの領域で仕事をしている人間なもんで、きっかけはやっぱりリル・ナズ・Xの「オールド・タウン・ロード」だった。全米シングル・チャート19週連続1位。歴代最長ナンバーワンとなったこの曲がなんでヒットしたのかを探る原稿を書いてるときのことだった。

 

www.youtube.com

 

「TikTok発のヒット」みたいな、もっともらしい説明や能書きは調べれば確かに出てくる。カウボーイの格好をして踊るダンスチャレンジが流行ったとか、カントリーとラップを融合した曲調が斬新だったとか、カントリーチャートから除外されて物議を醸していたところに大御所ビリー・レイ・サイラスが乗っかったことで話題が広がったとか、ストーリーはいくらでも出てくる。でも、結局のところ、そのブームの最初の発火点を見つけようとすると不思議な煙にまかれてしまう。

 

楽曲は、リル・ナズ・Xがビート購入サイトを通じて当時19歳のオランダのトラックメイカー、ヤング・キオから30ドルで購入したビートにラップを乗せたもの。途中からメジャーレーベルのソニーが乗り出してきたが、最初は完全に自主配信。なんらかの予算を使った仕掛けのようなものは皆無。それでも巨大な現象を巻き起こすドミノの最初の一コマが倒れたわけだ。


もちろんミームが現象化するのはそれ以前にもあった。2016年にはピコ太郎の「PPAP」があったし、2013年にはPSYの「江南スタイル」があった。音楽以外で言うとアイス・バケツ・チャレンジが広がったのが2014年。僕はわりとそういうのを興味深く観察するほうで、いろいろ謎な現象が起こったらその尻尾を手繰り寄せるようなことを調べたりしていた。ソーシャルメディアとYouTubeがそれに起因しているということが可視化されたのが、ここ10年の動きだったと思う。

 

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「バイラル」とか「バズ」という単語が人々の口端に登るようになったのも2010年代に入ってからのこと。ひょっとしたら、マーケティング界隈の人はそれよりも前に使っていたのかな。でも、自分にとって目眩ましになっていたのは、当たり前に「バイラル」を「口コミ」の意味合いでイメージしていたことだった。辞書にもそうあるから油断していた。

 

goo国語辞書(デジタル大辞泉)で「バイラル」を検索するとこうある。

 

1 ウイルス性であること。「バイラルインフェクション(=ウイルス感染)」
2 口コミによるもの。「バイラルメディア」「バイラルマーケティング」

 viral(バイラル)の意味 - goo国語辞書

 

その類推で「バイラル」というものを捉えようとすると、「波紋」のようなイメージで考えることになる。最初に数人とか数十人の小さな、けれど感度が高くて熱量を持った人々の集まりがある。そういう人の間で評判になっていた最初の「バズ」を、周囲の数百人が話題として聞きつける。「踊ってみた」みたいにムーブメントに乗っかって、参加することがメディアになって、それが数千人、数万人と広がっていく。いわば同心円状にドミノ倒しが広がっていくイメージだ。


もちろんその見立てが間違ってるわけじゃない。ただ、ここ最近に起こっているバイラルのムーブメントを見ていくと、起こっていることはもっとカオス現象に近い気がする。非線形で、予測できない。バタフライ・エフェクトがそこら中で起こっているようなもので、まったくもって再現性がない。


その理由は、ここ数年、バイラルというのが、口コミだけではなく、むしろアルゴリズムによって強力に駆動するようになったからだと思う。たとえばYouTubeの関連動画。たとえばTikTokのタイムライン。アルゴリズムがやっていることは、ユーザー一人ひとりがその動画を最後まで観たかそれとも飛ばしたか、「評価」や「お気に入り」のマークをタップしたか、チャンネル登録したりフォローしたりしたか、その行動履歴をつぶさに分析して次のオススメを提示するということに過ぎない。基本的にはパーソナライズドされたレコメンデーションシステムなわけで、それがバイラルに寄与するとは考えにくい。


が、ポイントはアルゴリズムと人間との相互作用のフィードバックループが起きることにある。たとえば、最初はそのユーザー自身と嗜好や指向に基づいて判断していた「お気に入り」に、アルゴリズムによってもたらされたザイオンス効果(単純接触効果)が発火する。たとえば、ハッシュタグに乗っかってミームに参加することで感情の焦点が変化する。一人ひとりの行動がデータとして食われることで可視化されたトレンドが提示され、それによって行動が変容する。「口コミ」とは全く別の力学が「ミーム」として人を突き動かす。


どうやら、オンラインの世界ではすでに非科学的な領域に属することが物事を動かしているようだ。「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」とアーサー・C・クラークは言っていたけれど、それは僕が子供の頃に思い描いていたSF的な未来とは全く別の形で具現化している。

 

いつ頃からこんなふうになったのか。

 

たぶん、ターニングポイントは2017年だと思っている。

 

これも僕がこういう仕事をしているもんで、その考えに至ったきっかけは、竹内まりやの「Plastic Love」だった。これについても沢山原稿を書いたし、新聞記者に取材を受けてもっともらしいことを喋ったりもした。海外でシティポップがブームになっている。再評価されている。その背景にはインターネット発のムーブメント「ヴェイパーウェイヴ」と「フューチャー・ファンク」があるのだとか、あとはヨット・ロック以降のAOR再評価だとか、消費社会への郷愁だとか、ストーリーはいくらでも出てくる。でも、ちゃんと現象の端緒をたどっていくと2017年7月に「plasticlover」というユーザーが非公式に投稿したYouTubeの動画が2000万回以上も再生されたことに行き着く。

 

www.youtube.com

 

そして、なんでその動画がいきなりそんな再生数を叩き出したのかについては、どれだけ調べても謎に包まれている。たとえばムーブメントの立役者でもある韓国のDJ・プロデューサーのNight Tempoも、海外を含めたいろんな人達も「沢山の人のYouTubeの関連動画のところにサジェクトされたから」という以上の理由はわからないという。


もっとわかりやすく言えばByteDance社がmusical.lyを買収し、TikTokのサービスをローンチしたのが2017年のことだ。いろんなことを振り返ると、やっぱりここが起点になっている。


TikTokの強みは機械学習のアルゴリズムにある。単なる「これを好きな人はこれも好き」という協調フィルタリングだけでなく、ユーザーの視聴行動を秒単位で分析することでレコメンデーションが強化されるような仕組みがある。僕が話を聞いたTikTokの中の人は、それを「ソーシャルグラフからコンテンツグラフへ」という言い方をしていた。つまりは従来のSNSのような友人や親しい間柄のつながりをもとにした関係に基づくリコメンデーション(=ソーシャルグラフ)ではなく、その人自身がどんなコンテンツを作り消費してきたかに基づくリコメンデーション(=コンテンツグラフ)が働いている、ということだ。なので、もともとフォロワー数が少ない人もアルゴリズムの波に乗ればミームを生むことができる、というプラットフォームになっている。


そうして2019年から2020年にかけては、東方Projectの同人CDをサンプリングした「Omae Wa Mou」が世界中でバイラルを巻き起こしていたり、2018年に公開されたお下品BLアニメ『ヤリチン☆ビッチ部』の主題歌「Touch You」が、なぜか2020年11月になって東南アジアからアメリカとイギリスにバイラルを巻き起こしたり、沢山の謎現象がTikTok経由で観測されるようになった。


僕はそのたびに首を捻っていたのだけれど、2020年代に入って痛感したのは、ひとたび何かが流行ってしまえば、世の中の人たちのほとんどはそれを「そういうもの」としてすんなり受け入れてしまう、ということだった。

 

自慢するわけじゃないけど、YOASOBIの「夜に駆ける」についての記事をメディアに書いたのは2020年1月のことで、たぶん僕はあの曲に最初に着目したうちの一人だと思う。瑛人の「香水」がチャートを駆け上がっていったときも、かなり初期から記事を作っていた自負がある。「うっせぇわ」についてもそうだ。

 

リル・ナズ・Xのときとは違って自分自身がムーブメントに寄与しているし、その当事者に取材して何が起こったのかをつぶさに聞くこともできた。だけど、やっぱり、何なのかわからない。これ以上は無理だ。そして、「そういうもの」でいいんだ。そう思い至ったのが、2020年を振り返った個人的な実感としては最も大きかった。


世界がウイルスによって一変してしまった2020年から2021年にかけても、僕はずっとバイラルのことを考えていた。そして今のところの結論は「どうやら世界は再魔術化しているんだ」ということ。

 

極端なことを言うと、アルゴリズムと人間が結託することで、最終的には人間から人間性が失われるかもしれない、という予感もある。ネットワークを介して常時接続し相互に情報を交換することで、人が群知能(=Swarm Intelligence)の端末の一つとなる未来が容易に予想できる。そして、こういう話をすると怖がったり眉をひそめたりする人も多いんだけれど、僕としては、基本的には楽観的なスタンスで物事を考えている。

 

というか、そういうことを「なんか怖い」と言うような人たちほど、いざ人間から人間性が失われようとしていくときに、きっとその状況を「そういうもの」としてすんなり受け入れるだろうという予感がある。

 

ミームは呪術、アルゴリズムは魔術。

 

(『ウィッチンケア第11号』に寄稿した文章に加筆修正しました)

 

 

日々の音色とことば 2021/08/31(Tue) 10:00

「誇り」について

 

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Spotifyの「#SpotifyPride」プレイリストを聴きながら、これを書いてる。

 

 

 Spotifyが、LGBTQQIA+の権利や文化について世界中でさまざまな啓蒙活動が行われる6月の#SpotifyPrideを祝したオリジナルプレイリストを公開した。

 Spotifyではグローバルにおいて「Claim Your Space(自分らしさを追求しよう)」をテーマに、「プライド月間(PRIDE Month)」を祝う様々な活動を実施。日本では、誰もが自分らしくいられる安全な場所(Space)を、LGBTQQIA+のクリエイター陣がキュレーションするプレイリストにより音楽で再現。これまで、LGBTQQIA+のコミュニティにおいて、その人らしくいられる場所のひとつとして音楽イベントがあったが、リアルなイベントが開催しづらい今、どこでも楽しめるプレイリストを通じて音楽でつながることのできる機会を提供していく。

 

realsound.jp

 

プレイリスト企画の監修はPOPLIFE:THE PODCASTでもご一緒したライターの木津毅さんで、10個あるプレイリストの中では、木津さんの「DISCOVER OUR SPACE」というプレイリストと、Doulさんの「今まで色んな場面で聴いてきて、救われたと感じた楽曲をセレクト」というプレイリストが、すごくグッとくる。

 

 

SpotifyだけじゃなくてApple Musicも「プライド/LGBTQ+」特集を公開している。

Apple Musicプライド/LGBTQ+をApple Musicで

こちらのキュレーターを担当したのは、トロイ・シヴァン、ヘイリー・キヨコ、ミッキー ブランコ、Tayla Parx、Claud。

 

最近はSpotifyやApple Musicの新着プレイリストをかけっぱなしにしていて、そこから気になったアーティストを調べていくような聴き方をしているのだけど、たとえばClaudにしても、たとえばGirl in redにしても、「なんかいいなあ」と思う人が従来のジェンダーの枠組みに収まらない立場を標榜しているようなことが増えた気がする。

 

www.youtube.com

  

www.youtube.com

 

 

もちろん、これまでもANOHNIやSOPHIE やArcaに惹かれてきたわけだから全然最近のことなわけじゃないわけだけど。オルタナティブな分野以外でも、たとえばマックルモア&ライアン・ルイスの「Same Love」からLIL NAS X「MONTERO (Call Me By Your Name)」までアメリカのポップカルチャーのど真ん中で起こってきたことにも、すごく心を動かされてきた。

 

そして、ここ日本においても長谷川白紙や諭吉佳作/menのようにジェンダーニュートラルな価値観を持った気鋭のミュージシャンたちの表現がどんどん羽ばたいていくのが2020年代の様相で(『放るアソート』『からだポータブル』素晴らしかった!)。少しずつ時代が変わってきたなという実感はとてもある。

 

www.youtube.com

 

自分自身のジェンダーはここでは書かないでおくとして、基本的な僕のスタンスとして「周縁化された人の側に立つ」ということは決めている。なぜなら僕が好きなポップカルチャーは、そういう力を持っているものだから。

  

■「プライド月間」にLGBT法案の成立を見送ろうとしている自民党

  

一方で、政治の領域を見ていると、ため息をつくようなことばかりが伝わってくる。

 

www3.nhk.or.jp

 

4月から超党派で法制化が進められてきたLGBT平等法の法案は、現時点で、自民党の反対によって暗礁に乗り上げている。自民党の下村政務調査会長が「今国会への提出は見送ることで同意した」と発言し、抗議を受け事実誤認だったとして訂正し謝罪したというニュースもあった。

 

この件に関する報道を追っていると、最初から抵抗勢力の存在が強かったことがわかる。

equalityactjapan.org

 

そもそも当事者団体や人権団体が求めていたのは「差別を禁止する法律」で、野党が提出した法案も差別解消を訴えた内容であるのに対して、自民党は「理解増進法」となっている。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

「『差別禁止』といった瞬間に自民党内で法案は通らないだろう」という“自民党に近い保守系の当事者”の発言が上記のニュースに引用されている。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

ここから調整が続き、法案の目的に「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないものであるとの認識の下」との文言を追加することがまとまると、そこに自民党内での反発があったというニュースが大きく報じられる。自民党の簗和生議員による、性的少数者に対して「生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」といった趣旨の発言もあった。

 

www.nikkei.com

 

山谷えり子議員が「社会運動化・政治運動化されるといろんな副作用もある」と発言したとか、 「道徳的にLGBTは認められない」という発言があったとか、そういうことも報じられた。

 

www.huffingtonpost.jp

 

法案に「差別は許されない」という認識を明記することにすら反対の声が上がるということは、これはもはや「差別をしたい」という意思の表れとしてしか受け止めようがない。

 

しかも、あれだけ問題視されたにも関わらず、簗和生議員は、自身の発言について説明も謝罪もしていない。「ご照会頂いた会議は非公開のため、発言についてお答えすることは差し控えさせて頂く」とコメントしただけで、下村博文政調会長に対してのみ「お騒がせして申し訳ありません」と謝罪があったことが明かされている。

 

www.asahi.com

 

6月5日現在では、まだどうなるかわからない。法案見送りの動きに対しては当事者団体だけでなく大手企業からも反対の声が上がっている。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

もし、こうした声を抑えて、本当に法案が見送りになったならば。こうした動きがこともあろうに「プライド月間」に起こっていることのメッセージが国外に伝わることの意味は、とても大きいと思う。 

 

■「誇り」とは何だろうか

こういうニュースを見たときは、怒ったり、がっかりするだけじゃなくて、なんでそういう行動原理で動いている人がいるのかを調べることにしている。

 

反対の声を上げている議員について、ニュースでは「自民党内の保守派」としか書かれていないことが多いが、名前を丹念に調べていくと、たいてい、日本会議か、神道政治連盟か、そのあたりの支持母体があることがわかる。親学とも深く結びついている(親学推進議員連盟の常任幹事は山谷えり子、事務局長は下村博文)。

 

そして、日本会議とか神道政治連盟のホームページを見ると、必ず使われているのが「誇り」という言葉だ。日本会議のHPには「誇りある国づくりを目指した新しい国民運動」と説明がある。 

 

www.nipponkaigi.org

 

神道政治連盟のHPには「日本に誇りと自信を取り戻すため、さまざまな問題に取り組んでいます」とある。

 

www.sinseiren.org

 

こういう人たちの支持と集票が原動力になっているのだろうと推察される。

 

でも、実際のところ、こうした団体の支持を受けた政治家が推し進めていることは、ソチ五輪のときのロシアがやっていることと同じだと感じる。

 

toyokeizai.net

 

こうして見ていくと、一連の物事は、文字通り誇りにまつわる問題なのだと思う。そもそも 「プライド月間(PRIDE MONTH)」だって誇りにまつわる言葉だ。

 

人がどういうものに誇りを感じるかは、人それぞれだとは思う。「日本に誇りを取り戻す」と言っている人が、どんなものが誇りだと思っているのか、何をもってそれが損なわれていると感じているのかは、よくわからない。

 

僕が考える「誇り」という言葉は、自分が自分らしくいられることへの信頼と強く結びついている。

 

なので、「プライド月間」に関しても、LGBTQ+コミュニティのための言葉であるのは当然として、同時に、共同体全体にまつわるイシューでもあると思っている。少なくとも差別を許容するような社会や国家に、僕は誇りを感じることはできない。

 

「誇り」という言葉について、そんなことを考えている。

 

 

日々の音色とことば 2021/06/06(Sun) 17:30

無力感の中で

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久しぶりの更新。

 

迷ったけれど、やっぱり書いておこう。今考えていることを忘れないために。

 

■取り残された国

 

およそ1年前、僕はこう書いた。

 

地球上で様々な国、文化、統治機構の「A/Bテスト」が行われてしまっている

 

shiba710.hateblo.jp

 

パンデミックという未曾有の事態にどう立ち向かうか。危機をどう乗り越えるのか。沢山の国や地域が、同じタイムラインで、同じ問題に直面した。だからこそ如実に統治機構の差があらわれる。共同体の価値観や、行政組織の運営の効率性をどうアップデートしてきたかどうかが問われる。そして、ここ日本においては、心底残念な形で、その結果が証明されつつある。

 

news.yahoo.co.jp

 

ワクチンの接種を進めることが解決策であるのは最初からわかっていた。が、日本という国家は接種開始に乗り遅れ、そこからの歩みも遅々として進んでいない。

 

上記の記事で引用されている5月10日時点のデータによると、日本で少なくとも1回の接種を受けた人の割合は2.4%にとどまっている。世界196カ国中129位、経済協力開発機構(OECD)加盟37カ国の中では最下位。

 

一方で、NYでは、5月8日現在でワクチン接種率は約60%(完了は47%)となり、新型コロナウイルスの検査陽性率は1.29%まで減少した。ワクチン接種する人が頭打ちになったことから、観光振興策として「ワクチンツーリズム」が導入されている。

www.huffingtonpost.jp

 

 EUでも、承認した国のワクチン接種証明書があれば、6月から域内の入出を自由にできると表明している。

 

www.bbc.com

 

欧米各国は、着実に新型コロナウイルス感染終息後の世界、ポスト・パンデミックの時代に移りつつある。しかし、日本は、確実に周回遅れの道を歩んでいる。

 

■夏に訪れるであろう惨状について

 

東京オリンピック・パラリンピックについても、目を覆うような状況が続いている。

 

基本的に、僕は「TOKYO 2020」というものについては「関わりを持たない」というスタンスを守ってきた。だからこそ言及を避けてきた。たとえば2019年末に受けた以下の取材などでも「オリンピック後のことが大事」と言い続けてきた。

 

www.j-cast.com

 

基本的には、その考えは変わっていない。

 

でも、今率直に感じていることは、書いておくべきだと思う。

 

現時点では、いよいよ不透明な状況になってきている。変異株による感染拡大が猛威を振るい、緊急事態宣言が延長されるなか、世論調査では7割以上が開催に否定的な声を上げている。開催中止を求めるオンライン署名も数十万筆が集まっている。

 

僕も基本的には再延期か中止が妥当だと思っているけれど、もはや、問題はそういうところじゃなくなってきている気がする。開催か中止かじゃなくて、もっと大きい何かが問われているように思う。

 

日本の民族性には「穢れ」の観念が色濃くある。今のこの状況に至っては、たとえ開催が強行されようが、すでに多くの人が無意識のうちに抱いてしまっている「TOKYO 2020」というものに対する穢れのイメージはすぐには拭い去ることはできない気がする。穢れとは「忌まわしく思われる不浄な状態」のこと。そもそも、コロナ禍に至る前から、不浄な状態は各所で露出していた。招致を巡る疑惑や、競技場やロゴを巡る経緯や、いろんなところで不透明な意思決定プロセスがあって、その淀みがオリンピックという利権にまとわりついていた。ひどい性差別発言もあった。

 

端的に言うと、この状況でたとえオリンピックの開催が強行されたとして、そこでスポーツ選手の活躍を見て、本当に「勇気をもらいました」みたいな気持ちになれますか?ということだと思う。アスリートが悪いわけではまったくない。身体的にも、そして精神的にも、競技団体の組織構造の中で「決まったことを受け入れて頑張るだけ」という制限された状態を強いられている辛い立場だとは思う。でも、ここまで不透明で不誠実な意思決定によって動かされ、奮闘してきた医療従事者にさらに負荷をかけ、人々の感染リスクを増すことが確実な大規模スポーツイベントに参加する選手を果たして心から応援できるんだろうか?ということだと思う。申し訳ないけれど僕にはできない。そういうことに対しての忌避感のようなものも、じわじわと広がっている感じがする。

 

「コロナ禍だからしょうがない」と言う人もいるだろう。しかし、そういう「しょうがない」事態になったのは、やはりワクチン接種の遅れが原因だ。

 

7月から8月にかけては、きっと欧米各国ではワクチンパスポートを持った大勢の人たちが久々のバカンスを目一杯楽しんでいるはずだ。イギリスやアメリカでは、すでにいくつかの大規模な野外フェスが予定されている。夏頃にはパンデミックの閉塞感は過ぎ去り、旅行も、パーティーも、ライブやイベントも、スポーツ観戦も、沢山の楽しいことが再開された日常が戻っているはずだろう。日本以外の先進国では。

 

中止するにしろ、開催を強行するにしろ、おそらく、こういう惨状が夏頃に待っている。この状況を「敗戦」になぞらえる論調も増えていくだろう。しかし、数十年前の敗戦と違うのは、これを機に劣化した組織をゼロから立て直す、ということにはならないだろうということだ。

 

■負けた先のこと

 

この先のことを考えよう。オリンピック後のことが大事。

 

だいぶガタが来てしまった仕組みを、少しでもマシなものにしていくことはできるだろうか。10年後、20年後、人生の大切な機会が奪われてしまっている子供たちや若い世代の人たちが大人になった頃に、少しでも“いい社会”をイメージできるようになっていられるだろうか。

 

でも、いい社会ってなんだろう。そのことを、ここしばらく、考えていた。

 

昨年2月に僕はこう書いた。

 

権威と忖度ではなく、知性と信頼によって、公共性はデザインされるべきだ。 

 

shiba710.hateblo.jp

 

その思いは変わっていない。

 

そして、その先で、もっと“豊かな”社会になっていたらいいなという願いがある。豊かさというもののイメージを、ちゃんと更新していかないといけないだろうなという感覚がある。

 

ひょっとしたら、このコロナ禍の先の世情は、予想していたよりも、もっときな臭いものになるかもしれない。すでに香港で、ミャンマーで、弾圧が進んでいる。エルサレムは戦場になっている。国家という組織が持つ暴力性がむき出しになっている。

 

そしてその非人道性は、どこか他の国の話だけではなく、たとえば『ルポ入管』のような本を読むと、すぐそばにあることもわかる。

 

そして、突き詰めていくと、それは、たとえばジェンダーの不平等とか、それこそブラック校則だとか、いろんな問題にも通底している構造だとも思う。権威主義的な体制というのは人々に「決まったことを受け入れて頑張るだけ」な状況を強いるもので、逆にそれを「決める側」に説明責任を回避させる構造を持つ。“豊かな”社会って、そういうものじゃないよね、という。

 

もちろん貧しいと惨めな気持ちにはなる。”豊かさ”から経済的な意味合いを抜きたいわけじゃない。でも、それだけでなく、選択肢が多様で疎外されないこと、少数者の意思がちゃんと尊重されることが、”豊かさ”のこの先のイメージだと思っている。だからこそ、「絆」という言葉で全体性に個人を縛り付ける言葉には警戒する気持ちもある。

 

いろんな意味で未来は不透明。でも、僕がニヒリズムに陥らないでいられるのは、かつての古い意味合いで“豊か”だった日本を知らない僕より若い世代の聡明さとしなやかさを実感として知ってるから。政治のことも経済のことも専門ではないけど、カルチャーのことについては自信を持ってそう言える。

 

この先、どうなっていくのだろうか。まだ、結論は出ないまま。

 

 

日々の音色とことば 2021/05/15(Sat) 12:47

2021年1月に聴いてよかったアルバム&EP

 

2021年に入って、もう1ヶ月。はやいですね。いろんなことが飛ぶように過ぎ去っていってしまうので、これはよかったなーと思うアルバムやEPを記録していこうと思います。

 

■Arlo Parks『Collapsed in Sunbeams』

サウス・ロンドン出身のシンガーソングライターによるデビューアルバム。いやー、これは素晴らしいです。たった数年前に音楽制作を始めたそうだけれど、ほんとに成熟してる。ネオソウルとR&Bと、あとはレディオヘッドやポーティスヘッドあたりのオルタナティヴ・ミュージックの、いろんな要素が流れ込んで、独特の詩情に結実してる。

■Rhye 「Home」

こういう、ピンと研ぎ澄まされていて美しい音楽、大好きです。デビュー当初はシャーデーにも比較されたライの4作目。「Intro」のアカペラでため息がでる。アナログシンセとリズムマシンを駆使してレトロ・ディスコな音像を作っていて、ストリングスの音の使い方も含めて、すごく徹底している感じ。

 

■Julia Shortreed『Violet Sun』

Julia Shortreedの1stアルバム。気だるくて、メランコリックで、耽溺できるテイストがあって、とても好き。

カナダと日本をルーツに持ち、アシッドフォークやアンビエントを追求してきたシンガーソングライター。小林うてな、ermhoiと結成したBlack Boboiのメンバーでもある。ということで、改めてBlack Boboiすごいなと思う。

■KID FRESINO『20,Stop it.』

2年振りのアルバム。僕が観たのはフジロックのステージだったけど、石若駿とか小林うてなとかとのバンド編成でどんどん音楽性が豊かになっていった近年の歩みを経た作品で、カネコアヤノとか長谷川白紙とのコラボもあってめちゃ充実してる一枚。”Rondo”が一番好き。

 

■YOASOBI「THE BOOK」


YOASOBIについて語るとき、どうしても企画やマーケティングも含めた「プロダクトの優秀さ」について先に言っちゃいがちなんだけど、音楽としても非常に練られていて、Ayaseのクリエイティビティはほんとに特筆すべきものだと思います。代表曲になった「夜に駆ける」よりも、「群青」に顕著。さらに新曲の「怪物」にも出ていて、シンプルに言うと、カウンターメロディの主張の強さがYOASOBIの、というよりAyaseのシグネチャーになっている。BOYS NOISEあたりを思い出しました。


■ヨルシカ『創作』

特設サイト掲載のオフィシャルインタビュー担当しました。

ヨルシカ - EP『創作』特設サイト
2021年1月27日発売!大成建設のTVCMソング「春泥棒」、映画『泣きたい私は猫をかぶる』エンドソング「嘘月」、TBS系
sp.universal-music.co.jp
そこでn-bunaさんとsuisさんが語ってることがすべてなんだけど、『盗作』と『創作』のコンセプトも、いろんなところに散りばめられている引用も、そしてsuisさんのちょっと怖いくらいの歌の表現力も、脱帽だと思います。

「春泥棒」のMV、桜の向こうに花火が打ち上がるところがとても美しい。


■崎山蒼志『find fuse in youth』

メジャー1stアルバム。かなりトリッキーな構成で、過去曲をバンド編成でリアレンジした「Samidare」「Heaven」「Undulation」が収録される一方で「waterfall in me」や「目を閉じて、失せるから。」「Repeat」は自身で打ち込んだ過剰なエレクトロニックミュージック。僕は後者が断然好み。

 

■quoree『鉛色の街』

https://open.spotify.com/user/shiba710/folder/ecb78f3396af936a

quoree名義での初のEPをマルチネからリリース。こちらも僕の中では「過剰なエレクトロニックミュージック」という括りで、わりと崎山蒼志に近い感じがするんだよなあ。ボーカロイドの声を基調にしているんだけど、いわゆる「ボカロっぽい」曲作りというよりは、エクスペリメンタルなところがいい。3曲めの「動物」のヴォイスシンセがよい。

その他、いろいろセレクトした曲は以下のプレイリストに入っています。

 

日々の音色とことば 2021/01/31(Sun) 10:45

今年もありがとうございました。/2020年の総括

例年通り、紅白歌合戦を観ながら書いています。

 

「特別な一年だった」「困難な一年だった」「大変な一年だった」と、皆が振り返る2020年。とりあえず、こうして無事に年の瀬を迎えられたことに感謝しています。

 

2020年はどんな年だったか。それはKAI-YOUに寄稿したコラムにも書きました。

 

premium.kai-you.net

 

なかなかシビアな一年だったんですが、その一方で、クリエイティブや、価値観という意味では、新しい種が撒かれた一年だったような気がします。

 

個人的にも、生活の習慣も、考え方も、いろいろとアップデートしていった一年だったように思います。新型コロナウイルスのパンデミックだけでなく、ジェンダーや、メンタルヘルスや、いろんなことについても。改めて自分自身と向き合った時間も沢山ありました。

 

2021年は、もっと勉強したい。

 

そうつくづく思います。たぶん2019年までの世界には戻らない。だからこそ、これまでの習慣や当たり前にとらわれず、前に進んでいくことを考えていかねばなと思っています。

 

最後に2020年によく聴いていた曲と、50枚を。

 

来年もよろしくお願いします。

 

open.spotify.com

 

 

 

A.G. Cook『7G』『APPLE』
Rina Sawayama『SAWAWYAMA』
米津玄師『STRAY SHEEP』
Phoebe Bridgers『Punisher』
BRONSON『BRONSON』
Holly Humberstone『Falling Asleep At The Wheel』
The 1975『Notes on a Conditional Form』
テーム・インパラ『The Slow Rush』
レディ・ガガ『Chromatica』


BTS『BE』
Moment Joon『Passport & Garcon』
テイラー・スウィフト『folklore』
Internet Money『B4 The Storm』
メジャー・レイザー『Music Is The Weapon』
青葉市子『アダンの風』
Sufjan Stevens『The Ascension』
The Japanese House『Chewing Cotton Wool』
Love Regenerator『Love Regenerator 3』
Khruangbin『Mordechai』


チャーリーXCX『how i'm feeling now』
The Weeknd『After Hours』
Boon『Midnight』
Sub Urban『Thrill Seeker』
春ねむり『LOVETHEISM』
羊文学『POWERS』
Joji 『Your Man』
King Gnu『CEREMONY』
君島大空『縫層』
Oneothtrix Point Never『Magic Oneohtrix Point Never』

Jonsi 『Shiver』
ディスクロージャー『ENERGY』
Awich『孔雀』
Yaeji『WHAT WE DRAW』
Viva Ola『STRANDED』
Glass Animals『Dreamland』
4s4ki『おまえのドリームランド』
THE NOVEMBERS『At The Beginning』
Dua Lipa『Future Nostalgia』
GEZAN『狂(KLUE)』


Shohei Takagi Parallela Botanica 『Triptych』
Juice WRLD『Legends Never Die』
ヨルシカ『盗作』
J Hus『Big Conspiracy』
ROTH BART BARON『極彩色の祝祭』
玉名ラーメン『future』
eve『Smile』
寺尾紗穂『北に向かう』
Kelly Lee Owens『Inner Song』
高井息吹『kaleidoscope』

日々の音色とことば 2020/12/31(Thu) 14:42

津野米咲さんの急逝に思う

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あまりに突然の悲しい報せ。

 

赤い公園の津野米咲さんが亡くなった。29歳だった。

 

natalie.mu

 

「どうして」という言葉が湧き上がって、胸に詰まる。とても大きな喪失感がある。

 

最初に赤い公園のライブを観たのは2011年のことだった。インタビューで最初に会ったのは2012年にメジャーデビューのミニアルバム『透明なのか黒なのか』『ランドリーで漂白を』をリリースしたときのこと。その頃は全員が白い衣装を身にまとっていた。独特な和音と、不思議なほど耳が惹きつけられるメロディのセンスを持ったバンドというのが第一印象だった。話してみたら、すごくあっけらかんとした明るくて人懐っこい人柄と、底知れない才能を感じた。

 

www.cinra.net

 

この頃からある時期まで、赤い公園は、ずっとライブの最後に「ふやける」という曲を演奏していた。自主制作盤には収録されているが、デビュー以降は音源化されていない。明らかにバンドの中でも特別な曲だった。静かに、抑えたテンポの中で歌が始まる。途中でエモーションが溢れ出すかのように轟音に転じ、濁流のようなギターノイズを掻き鳴らし、ステージを降りる。

 

その姿がとても鮮烈だった。

 

メジャーデビューした2012年10月からは津野米咲の体調不良による半年間の活動休止もあったけれど、2013年8月には1stフルアルバム『公園デビュー』をリリースする。

 

津野米咲が「赤い公園のリーダー」としてだけでなく作曲家としてメキメキと頭角を現していったのもこの頃で、その大きなきっかけになったのは、やはりSMAP「Joy!!」だったと思う。

 

無駄なことを 一緒にしようよ
忘れかけてた 魔法とは
つまり Joy!! Joy!!
あの頃の僕らを 思い出せ出せ
勿体ぶんな
今すぐJoy!! Joy!!
どうにかなるさ 人生は
明るい歌でも歌っていくのさ

 

「無駄なことを一緒にしようよ」というフレーズは、それをSMAPというアイドルグループが歌うという意味合いも含めて、本当に「大衆の心の負荷を取り除く」エンターテイメントの真髄のような一節だったと思う。

 

そして、その曲が活動休止中に作られていたことも以下のインタビューで語られている。インタビュアーは三宅正一さん。

 

natalie.mu

 

2014年には赤い公園は2ndアルバム『猛烈リトミック』をリリースする。このアルバムの1曲目に収録された「NOW ON AIR」を最初に聴いたときの高揚感は今でも覚えている。

 

www.youtube.com

 

music.fanplus.co.jp

 

アルバム『純情ランドセル』収録の「KOIKI」も、とても好きな曲の一つ。

 

www.youtube.com

 

バンドはいろんな紆余曲折を経てきた。

 

2017年8月にはヴォーカリストの佐藤千明が、Zepp DiverCityTOKYOにて行われたライブ「熱唱祭り」にて脱退。そして翌2018年5月、『VIVA LA ROCK 2018』のステージから新ヴォーカルとして元・アイドルネッサンスの石野理子が加入。2019年にはエピックレコードに移籍。

 

苦境も乗り越え、バンドは歩みを続けてきた。昨年11月には『消えない -EP』をリリース。辿ってきた道筋を感じさせる曲だ。

 

www.youtube.com

 

こんな所で消えない 消さない

 

今年4月には「2度目のファーストアルバム」となるフルアルバム『THE PARK』をリリースしたばかり。そして11月25日には『オレンジ/pray』がリリースされる予定だった。

まだまだ、途上だった。赤い公園というバンドの歩む道は、こんな所で消えるようなものではなかった。津野米咲という人は類まれなる音楽家としての才能の持ち主で、これからも沢山の名曲を生み出していくはずだった。

 

心から冥福をお祈りします。安らぎとともにあることを。

 

 

そして、もうひとつ、大事なことを。

 

しんどい時代が続く。暗がりや荒波の渦中にある人、綱渡りの向こう側が見えないような苦しい思いを抱えている人も、きっといると思う。でも、できるだけ、心をゆるめて、身体を休めて、頼れる誰かに頼ってほしい。どうか一人で抱え込まないでほしいと願う。

 

ミュージシャンへのメンタルヘルスへのケアは、今後、より大事な問題になっていくはずだ。アメリカやヨーロッパでは専門家によるカウンセリングやセラピーの窓口も設けられている。

 

heapsmag.com

 

日本でも、こうした海外の動きに学ぶべきと強く思う。音楽やエンターテイメント業界が動くべき時にきている。『なぜアーティストは壊れやすいのか?音楽業界から学ぶカウンセリング入門』の著者でもある手島将彦さんが提言している。僕も同意する。

 

<script async="" src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

 

 

rollingstonejapan.com

 

 いとうせいこうさんと星野概念さんの『ラブという薬』も参考になると思う。

 

ラブという薬

ラブという薬

 

 

喪失を埋めることはできない。でも、悲しみを繰り返さないために、社会のほうが、環境のほうが、変わるべき時に来ているのだとも考えている。

日々の音色とことば 2020/10/20(Tue) 14:54

コロナ禍によって音楽産業はどう変わったか 執筆・取材リンクまとめ

ここ半年、「コロナ禍によって音楽産業はどう変わったか」というテーマで沢山の取材をしてきました。

 

そのリンクを随時こちらにまとめておきます。

 

 

 

gendai.ismedia.jp

 

野村達矢氏(一般社団法人 日本音楽制作者連盟理事長・株式会社ヒップランドミュージックコーポレーション代表取締役社長)へのロングインタビュー。前編では野村氏がプロデュースを手掛けたサカナクションのオンラインライブの裏側から、今後のライブエンタテイメントの可能性まで語ってもらった。(9月23日掲載)

 

magazine.mercari.com

岐路に立つ音楽やミュージックカルチャーの行く末をさぐるメルカリマガジンの新連載「新しい音楽」。その第1回として、綾小路 翔さんに、紆余曲折を経て実現に至ったという今年の「氣志團万博」開催までの裏側から、来年にむけての決意まで、その目に見える未来をたっぷりと語っていただきました。(9月25日掲載)

 

realsound.jp

 

コロナ禍で音楽業界が大きな打撃を受ける中で、ストリーミングサービスや動画プラットフォームの存在感は日本でもいよいよ大きくなってきている。

 「スマホ発のヒット」が世を賑わせ、瑛人を筆頭にインディペンデントながらもTikTokをきっかけにブレイクを果たすニューカマーが登場しつつある今、この潮流はどこに向かおうとしているのか。

 TikTokのゼネラルマネージャー・佐藤陽一さん、LINE MUSICの取締役COO高橋明彦さんとコンテンツマネージャーの出羽香織さんへの前後編インタビュー。(9月6日掲載)

 

spice.eplus.jp

 

未曾有の危機に瀕している演劇界、そして変化を求められるエンターテインメント業界について、一般社団法人日本音楽事業者協会会長もつとめるホリプロの堀義貴代表取締役社長に話を聞いた。(8月24日)

 

spice.eplus.jp

 

クリエイティブマン代表の清水直樹氏へのインタビューでは、スーパーソニックの開催にむけて、そして今後のライブエンターテインメントの未来に向けての、熱い思いのこもった話を聞くことができた。(6月23日掲載)

 

 

spice.eplus.jp

 

エンターテインメントはどこへ向かうのか? エンタメビジネスの未来について、各業界の識者に話を訊くインタビュー連載「エンタメの未来を訊く!」。初回のゲストは一般社団法人 日本音楽制作者連盟理事長/株式会社ヒップランドミュージックコーポレーション代表取締役社長の野村達矢氏。

 

 

 

 

ampmedia.jp

 

miraisozo.mizuhobank.co.jp

 

 

日々の音色とことば 2020/09/29(Tue) 01:41

「心のベストテン」で喋った、2020年が転機の年になるということについて

 

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■「土の時代」から「風の時代」へ

 

今日はちょっと突飛な話をしようと思う。

 

去年くらいから西洋占星術をかじっていたんだけど、いろんな人が、2020年は大きな転機の年になると言っていた。

 

木星と土星が重なる約20年に一度の「グレート・コンジャンクション」が起こる年で、さらにそれが起こる星座のエレメントが約200年ぶりに入れ替わる「グランド・ミューテーション」の起こる年なのだという。

 

詳しい話はそれ専門の人に任せるけど、ざっくり言うと、

 

1600年から1800年が「火の時代」
1800年から2000年が「土の時代」
2000年から2200年が「風の時代」

 

という位置づけで、2020年は、その移行期の20年が終わる年なのだという。つまり、これからは「土の時代」から「風の時代」になるのだ、と。

 

さらに2020年は冥王星と木星と土星が同じ星座に位置する何百年に一度の年であり、約248年が公転周期の冥王星は「破壊と再生」をつかさどる星なのだという。

 

そういう話を読んで、ほう、と思ったわけです。もちろん占いとか眉唾に思う人は多いと思う。でも、いろんな国の歴史を調べると、やっぱり200年〜250年で体制や王朝が変わっている傾向にあって。巨視的に見れば、ひとつのパラダイムがそれくらいの時間軸で移り変わっていくというのは、すごく納得がいく話でもある。

 

そこから、じゃあ200〜250年前に何があったのか、ということを振り返る。

 

1760年頃〜 イギリスでの産業革命
1776年 アメリカ独立宣言
1789年 フランス革命

 

というわけで、ざっくり言うと、その頃に始まった「資本主義」のパラダイムが終わっていくのが、今ということなのだと思う。

 

火(牡羊座、獅子座、射手座) : 生命力、情熱
土(牡牛座、乙女座、山羊座) : 物質的な豊かさ、安定
風(双子座、天秤座、水瓶座) : 思考、関係性、コミュニケーション、自由
水(蟹座、蠍座、魚座) : 感情、共感、共同体

 

というエレメントそれぞれの意味を踏まえても、ああなるほどな、と思うところはある。「資本主義の終焉」みたいな大仰なことは言うつもりはないけれど、「物質的な豊かさ」から「関係性の豊かさ」へと人々のフォーカスが変わっているような気もする。

 

■歴史のうねりがリアルタイムで起こっている

 

 

なんで、こういう話をしたかというと、「心のベストテン」のことなんですよ。

 

大谷ノブ彦さんとやってる対談連載。基本的には「ここ最近でぐっときた曲、おもしろい現象について打ち合わせなしのフリートークで喋ってく」というやり方で、cakesで始まってからもう5年以上続いてるのかな。

 

この仕事、わりと楽しいんですよ。というのは、やってるうちに、だんだん「楽しい誇大妄想」みたいな変な熱量が語りに宿っていくから。語りがドライブしていく。そのあたりは芸人である大谷ノブ彦さんを相手にやってるおかげなのかも。

 

それを最初に実感したのは公開イベントとして2018年に最初にやった「cakes×note fes」のイベントのときだったかな。実は担当編集の中島さんの退社と共にcakesでの連載が終わることが決まってたタイミングでもあった。

 

note.com


そのあとCINRA.NETに移籍して何回かやったのも、「ここ最近のぐっときた曲」の話がどんどん「カルチャーの歴史を作っていく」みたいな感じに飛翔していった実感があった。

 

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で、いろいろあって、CINRA.NETでの連載も一旦終了ということになり、基本的にはこの座組は終了になるかなと思いつつ、中島さんの驚異的な粘り腰もありYouTubeで復活しました。かつ初回からリモート収録という“新しい様式”でのスタート。

 

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まずやってみて面白かったのが、PCの別窓でストリーミングサービスを開いて音楽をかけて、それを耳元で聴きながらしゃべるというスタイル。著作権の関係上音楽をBGMに鳴らせないという制約からそうなったんですが、やってみたらとても楽しい。こういうリモート飲み会、音楽好き同士でやるの超楽しいと思います。

 

で、前半に書いた占星術の話は最後のほうにしてます。

 

これ、収録、5月21日だったんですよ。そのあとにジョージ・フロイドさんの事件が起こって、BLACK LIVES MATTERの大きなうねりが起こって、アメリカという国が持っている制度的な差別と暴力、それが積み重ねてられてきた歴史を、根本から見直そうという動きに結実している。

 

たとえば、ネットフリックスで配信されたドキュメンタリー映画『13th -憲法修正第13条-』はこのあたりの問題を産獄複合体の話ともからめて語り起こしている超重要作。僕も観ました。これ観たら、そして他にも沢山ある作品を観たら、レイシズム=人種主義がアメリカという国にどれだけ深く根付いているかが伝わってくる。

 

たぶん6月に収録していたら事態はより深刻だったからあんなテンションで喋り散らかしてないだろうけれど、それでも予感がちょっと確信に変わりつつある気はしてる。

 

COVID-19だけじゃない。歴史のうねりがリアルタイムで起こっている。

 

2020年は後から振り返って、世界史的にとても大きな変化の1年になる気がしてる。

日々の音色とことば 2020/06/28(Sun) 12:50